第9章 造反部隊との協定(3)
戦闘開始後6時間あまりの後に出された撤退命令。絶対であるはずの指揮官命令を、残存部隊のうちただ1グループ、第13部隊のみが傲然と無視した。
「ザイアッド軍曹、ほんとに命令無視しちまってかまわないんですかい? きっといまごろ、我らが指揮官殿はエライおかんむり、間違いなく軍法会議もんですぜ」
「なーら、おめえはきっちり言いつけ守って、さっさとトンズラこいちまいな。ご立派なキム・ビョルン伍長さんよ」
「ちょっ、待ってくださいよ、軍曹っ。オラァなにも、テメエの身がかわいくて言ってるわけじゃ……」
「だったら四の五のぬかさず黙ってついてきやがれ、ボケナスが。処罰が怖くて軍人なんぞやってられるか。ここまで来といて、いまさら退却だあ? ロイスダールのヤロウ、寝とぼけたことぬかしてんじゃねえよ。体面にこだわるあまり、おつむに花でも咲かして耄碌したんじゃねえのか? ハイソーデスカって、素直に従うほうがどうかしてるってもんだぜ。腐った脳みそで人形みてえに他人の言うなりにしか動けねえんなら、人間やめちまえってんだ、クソッタレ。うるせえから通信切っとけよ」
物陰に身をひそめて、あたりの様子を用心深く窺っているわりに、男の声のトーンは少しも下がらない。部下たちは内心ひやひやしながら周辺に注意を払った。
「軍の退却と同時にガキどもも引き上げたみたいですけど、こうまるっきり気配がなくなっちまうってのも、案外、なんか罠でもありそうで薄っ気味悪いっすね」
「バカヤロウ、ウォルター、気ィ抜いてんじゃねえ。何年軍人やってて、そんなすっとぼけたことほざいてやがる。気配が完全になくなったってこたあ、ガキどもがいなくなったってことじゃねえ。逆だ逆。俺たちゃいま、いっちばんヤベェとこに踏み入れつつあるんだよ」
「――てこたあ、ひょっとすると……」
「戦闘中の奴らの指揮系統みてて、おまえら、なんも感じなかったか? ありゃなかなか筋はいいが、それでもせいぜいが副官クラスの腕前よ。つまり総大将は、手下どもに戦闘任せといて、テメエは優雅に高処の見物決めこんでいやがったのさ。まったくとんでもねえクソガキだぜ。だがもう、この辺は空気が全然違う。この俺の野生の勘にビンビンくるもんがあんだよ。これからますますおもしろくなろうってときに、命令どおり、おとなしく退却なんぞしてられっか。軍律、軍令なんぞ、くそっくらえだ」
プロ中のプロである戦闘集団を相手に、少年たちは互角どころか、それを凌駕する手腕で迎撃、あるいは先制を仕掛けて着実に公安の兵士たちを葬っていった。その見事な戦いぶりを思い出して、山賊のような風体の男たちは皆、一様に身を慄わせた。
「まさか……、あれでまだ奴ら、本気出してねえってんですかい?」
「奴らにしてみりゃ、まだまだお遊び半分の軽いウォーミング・アップってとこだろうよ」
「くそっ、なんてえガキどもだっ!」
「俺たちが相手にしてるのが、ただのクソガキどもの集団じゃねえってことが、これではっきりしたな」
落ち着き払った上官の物言いに、部下のひとりが訝しげな視線を向けた。
「――軍曹」
「なんだ、ホセ」
「なにか、ご存じなんですか?」
「俺がか? なんだって、そう思う?」
「いや、なんかその、最初っから全部わかっておられるみたいに冷静なんで」
「バカヤロウ、俺はいつだって沈着冷静なんだよ。カシム・ザイアッド様ともあろう者が、この程度でおたおた動揺してたまるか。くだらねえこと言ってねえで、しっかり周りに注意払っとけ」
頭ごなしに一喝されて、無骨な兵士は恐縮したように引き下がった。
第13部隊――部隊長カシム・ザイアッド軍曹を筆頭とする計11名は、現在のところ、奇蹟的に全員無傷のまま港湾区の南第7ブロックに位置するミッドタウン北部を移動していた。部隊長指示のもと、彼らが目指すのは、さらに北上した先にある港湾北第7ブロックの深奥部。そこに、目的の人物がひそんでいると思われた。
あたりは依然、静寂に包まれている。そして、彼らが進むほどに、静寂はよりいっそう濃く、深くなっていった。
建物の陰をうまく利用して、男たちはスラムの深奥部へと侵攻をつづけた。が、ほどなくその歩みは止まった。
「隊長?」
不意に立ち止まって、気配を探るように周囲に鋭い視線を巡らせたザイアッドを、男たちは緊張の面持ちで注視した。
「――来る」
低く呟いた瞬間に、男は地を蹴って物陰に飛びこんでいた。彼の部下たちもまた、ただちにそれに倣っていっせいにその場から飛び退く。数々の修羅場をくぐり抜けてきた猛者たちだけのことはあって、その反応に、まったく躊躇いはなかった。
ほぼ同時、コンマ数秒の差で、彼らの立っていた位置に数百のエネルギー波と弾丸が撃ちこまれた。
派手な爆裂音をさせて降り注ぐ銃弾と光線の雨が、路面に無数の穴を穿ち、アスファルトや周辺の建物のガラス、外壁を破砕して飛散させた。そして、危険極まりない集中豪雨は、降りはじめたとき同様、十数秒の後に唐突に熄んだ。
「うひょーっ、間一髪。危ねえとこだったぜ」
不気味な静寂にふたたび包まれて、瞬く間に様相の変わった眼前の光景を眺めやりながら、ザイアッドは冷や汗を拭った。おなじ方向に逃げこんだ数名の部下たちもまた、物陰に身を寄せながら、しばらくのあいだ声もなく肩で息を繰り返していた。
「くっそーっ、とんでもねえ奴らだ。悪魔の申し子としか思えねえ。よくまあ、気配ひとつ感じさせずにあんな真似ができるもんだ。一歩間違や、オレたち全員、蜂の巣にされて一巻の終わりじゃねえか」
「だーから、はじめっから言ってんだろが。ただのクソガキと思ってナメてかかっと、イテー目見るってよ。ひとの話聞いてんのか、キム」
「いや、もちろん聞いてますって。ただ、あんまりふざけたことしやがるんで……」
「バカか、てめえ。ふざけたもクソもあるか。俺たちゃ、こんなとこまでかくれんぼしに来てんじゃねえんだぞ。見つかりゃ、向こうはソッコー殺しにかかってくるに決まってんだろが。ここは戦場なんだからよ」
「はあ……、すんません」
「んなこた、どうだっていいんだよ。おい、いいかおまえら、作戦会議んときに見せられた可愛コちゃんの貌、憶えてんな? 俺の標的はあの別嬪ただひとりだ。奴を捜し出して、なんとしてでもとっ捕まえろ。余分なのは要らねえ。奴ひとりでいい」
「はあ、そんじゃ軍曹、本気であのお綺麗な坊やをコマすつもりなんで?」
言った途端に容赦のない拳が側頭部に炸裂して、キムの目から星が飛んだ。
「品のねえこと言ってんじゃねえ。ちょいと大事な用があるんだよ。いいから捕まえたら、とにかく全力で逃げろ。多少カッコが悪くてもかまわねえ。逃げて逃げて逃げまくれ。ただでさえ多勢に無勢のとこもってきて、奴らには土地勘もあればやたらと小知恵もまわる。今回ばかりは、俺たちゃ圧倒的に不利だからな。とりあえず人質とテメエの生命最優先だ。ま、もっとも、捕まえるもんさえ捕まえちまえば、ほかの連中も迂闊に俺たちに手は出せなくなるだろうがな。――おっと、それから俺の大事なハニーには傷ひとつつけんなよ。ロイスダールのおっさんに報告すんのもいっさいなしだ。なんか質問はあるか?」
「あの、もし捕まえたら、どこへ逃げればいいんです?」
「ああ、そうだな、とりあえずは全員に合図送れ」
言って、ザイアッドは腕に嵌めている小型の通信機を手早く操作した。そして、部下たちにも周波数を合わせるよう指示し、合図となる振動を送ってみせる。通話機能の主電源を切っておいても、仲間内で連絡を取り合うだけなら、それで充分だった。
「で、集合場所だが、そうだな、いま通ってきた道の途中に、病院かなんかの看板の出た、でけえ廃屋のビルがあったろ。ミッドタウンの北のはずれの。あの地下に連れこめ」
「ガキどもの縄張りん中に留まるんで?」
「そのほうが都合がいんだよ。スラムの外じゃ、すーぐ『お仲間』に見つかっちまうだろが。つべこべぬかさず、黙って言うとおりにしろ。わかったな?」
「了解」
「ああ、それから合図があってもなくても、2時間過ぎたら、とにかくいま言った場所に全員集合だ。残りの奴らにも、そう伝えろ。行くぞ」
ザイアッドの合図とともに、男たちはあらためて武器を構えなおす。そして、思い思いの場所に散っていった。




