第7章 ヒエラルキー(2)
ホテル爆破事件発生後、数日間はなにごともなく平穏に過ぎていった。
ボスが戻ってくると、少年たちの精神状態は劇的なまでに落ち着きを取り戻し、翼たちに対する態度も軟化するようになった。それどころか、しぶしぶではあるものの、その存在を受け容れるような雰囲気さえ見せはじめた。
ルシファーが彼らに対してとくになにかを言ったわけではない。ただ、1日の大半の時間、翼を自分の傍に置き、それとなく気を配っている様子を示しただけである。ただそれだけで、彼は翼が自分の賓客であることを少年たちに知らしめたのである。
配下の少年たちに対するルシファーの影響力は絶大だった。
少年たちの自分を見る目つきが瞬く間に変わっていくことに、翼は深い感嘆をおぼえた。興味、羨望、そしてわずかに混在する嫉妬。ボスだけでなく、グループのナンバー・スリーであるデリンジャーまでもが翼を目にかけていることも手伝って、彼らのあいだで、翼はすっかり好奇の的となったようであった。
「あいつらの妬心に火を点けて、必要以上の反感を買わずに済んでるのは、ひとえにおまえの人徳の賜物だな」
少年たちが燻らせている複雑な心理の元凶であるボス自身は、まるで他人事のような感想を口にしておもしろがっている。えこひいきの対象である翼としては、立場上、なんとも微妙な心境ではあるのだが、彼のおかげで自分の呼びかけに対する反応がごく稀に返ってくるようになったこともまた、否定しようのない事実であった。
ボスのついでとはいえ、食事や飲み物などを翼、レオのぶんも運んできてくれる。洗面の場所を尋ねると、ぶっきらぼうにその方角を顎の先で示してくれる。挨拶をすると、返事とも唸り声ともつかぬ、低いくぐもった声が戻ってくる。
目に見えるほどの進展ではないにせよ、それでも翼は、着実に少年たちとの距離を縮めることに成功していた。
ただし、あからさまな例外もまたひとり――
「ボス、ミッドタウン周辺の市街図と地下経路の見取り図、その他、現在の補給状況及び派兵予定とされる実戦部隊の詳細データです」
入手した情報の分厚い資料が有能な補佐によってもたらされると、ルシファーはその場ですべてにざっと目をとおし、二、三指示を与えた。その後、いくつかの確認事項と簡単な打ち合わせを済ませて退室しようとした《セレスト・ブルー》のナンバー・ツーは、
「あ、シヴァ」
ちょうど向きを換えたところで、部屋に入ってきた翼とばったり鉢合わせすることとなった。
ガラスのように透きとおった無表情が、さらに硬化する。対照的に、翼はにっこりと美貌の青年に笑いかけた。
「打ち合わせしてたの? お茶もらってきたんだけど、よかったら君も――」
一緒にどう?という言葉を発するまえに、青年のほっそりした肢体は邪魔な障害物のわきをすり抜け、入り口の向こうに消えていた。
「…………」
愛想笑いを顔中に張りつかせたまま、翼はしばしその場に固まった。ルシファーが笑いを噛み殺しながら、気にすんなと辛辣な仕打ちを受けた気の毒な客人に向かって慰めの言葉をかけた。
シヴァは、徹底的に翼の存在を無視する姿勢を崩さなかった。
ルシファーの傍に翼がいるときも、用事があって翼が彼に声をかけたときも、なんとか歩み寄ろうと努力して近づいたときも。
翼という個を頑なに拒絶し、冷たい沈黙をとおして、その存在意義を決して認めようとしなかった。
「あの子、おとなしやかな顔して結構コンジョー座ってんのね」
連日無視されつづけているにもかかわらず、いっこうにめげる気配もみせずに果敢に《セレスト・ブルー》のナンバー・ツーにアタックしつづける翼を見て、デリンジャーが呆れたように呟いた。カメラの機材を手入れしていたレオが、その横で可笑しそうに笑った。
「まあね、あの程度でへこたれるようじゃ、おたくのボスの眼鏡にはかなわなかったろうよ。うっかり外見に騙されがちだけど、翼はそこらへんの半端な破落戸どもより、よっぽど気合い入ってるよ」
「そうみたいね。ひょっとすると、うちのボスより手ごわいかも。あんなに苦戦強いられてるシヴァ見るの、はじめて」
本人の知らぬところで高い評価を受けた翼だが、成果を上げるには、まだ当分、気合いと根性を試される挑戦の日々はつづきそうな気配だった。




