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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第1部 スラム編
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第1章 旅立ち(2)

「まあ、君の気持ちもわからんこともないんだがね、新見くん」


 動転する翼を後目しりめに、脂ぎったトドを彷彿とさせる巨躯を深々と椅子に沈めて、編集長のバッティスタ・モラビアはのんびりと応じた。その、同情や親身さの欠片かけらもない物言いが、平社員プラス新米という身分の翼にはすでに、猶予あるいは拒否という選択権が与えられていないことを物語っていた。

 一見穏やかなモラビアの態度の奥に、会社の権威がチラついて見える。悄然しょうぜんとする翼にモラビアは言った。俺はな、新見、おまえがここに入ってきたときから、こいつはいまに、きっとばかでかいことをやってのけるに違いないと踏んで一目を置いていたんだよ、と。


「たしかにおまえは、まだ入社半年のぺーぺーだ。だが、おまえの志は貴い。おまえのかかげる理想こそ、まさにジャーナリズムの王道だ。この世界にはびこる悪をひとつでも多く白日の下に曝し、正義によって裁く。人々に真実を伝える。自分で選んだその道を信じて命懸けてひた走る。それこそ、男ならだれもが夢見る瞬間だ。理想の生きざまだ」


 モラビアはそこで、如何にも勿体ぶった様子で頷いてみせた。


「これで成功をおさめれば、おまえは我が社の、いや、この業界、マスコミ中の英雄だぞ。いっぱしどころか、一流のジャーナリストとして世間に認められるんだ。どうだ、魅力的な話じゃないか。最高の栄誉だとも。な、そうだな、新見?」

「あ、あの、ですが編集長……」

「これで断るような奴ァプロじゃない。最低だ、最悪だ、クズだ。新聞記者を名乗る資格もないミジンコ以下のクソッタレヤロウだ。イカレポンチのできそこない、一生ヒラのままで、そのうち窓ぎわに追いやられて忘れ去られるのがオチの人生の落伍者だ。な、そうだな、新見?」

「は、はあ、それはまあ、その……。しかしですね、編集長――」

「この話が上層部うえから出たとき、真っ先に俺の頭に浮かんだのはおまえのことだった。俺にはおまえしか浮かばなかった。ああ、そうだとも。おまえならきっとやってくれる。最高のルポルタージュに仕上げられるに違いない。俺はな、おまえを買ってるんだよ、新見」


 巧みに褒詞アメ恐喝ムチとを使い分け、モラビアは熱弁をふるった。そして、返答に窮して言いよどむ翼にとどめを刺した。


「新見、おまえたしか、このあいだ子供が生まれたばかりだったな」

「は、はい。僕には大切な妻と子が――」

「そして、子供のためにももっと広いところにと、立派なマンションを購入して新居を構えたばかりだった。ああ、よく憶えているとも。忘れようがない。なにしろ新人研修を終えてうちの部署に配属されたばかりのころのことだったが、それでも可愛い部下のためと、いつも以上に祝儀をはずんだからな。な、そうだな、新見?」

「そっ、そうですね」

「子供が大きくなれば、ますます金はかかるぞ。出てく一方だ。おまえのその薄給じゃあ、生活もさぞ苦しかろう。愛する女房にも、かけなくていい苦労をかけることになる。な、そうだな、新見?」

「は、はあ、それはその……」

「まあ、なんにせよ、おまえのような部下を持つことができて俺は幸せだ。俺も、そしてもちろん上の連中だって、おまえには期待してるんだぞ。この仕事を任せられるのは、やはりおまえしかいない。いや、これができるのはおまえだけだ。俺はそう思っている。おまえなら、ジャーナリズムの最高峰、最優秀栄誉賞クリスタル・ディウルナも間違いなしだってな。ああ、確実だとも」

「…………」

「どうだ、引き受けてくれるな? 新見」


 モラビアの巨体の向こうに嵌めこまれた巨大な窓ガラス越しの街並みが、見慣れたはずの翼の目に、やけに遠い世界に映った――




 不意に手もとの通信機が着信を告げて、翼は我に返った。

 気がつけば、予定されていた迎えの姿が見当たらない。すぐさま応答すると、果たして画面上に、約束の相手が現れた。


 ライト・ブラウンの頭髪にライト・グレーの瞳。知的で穏やかな印象の、端整な貌立かおだちをした紳士は、30代半ばという年齢に相応ふさわしく、若々しい覇気と快活さを備えていた。内務省に籍を置くその人物は、同省管轄の地上保安維持局において最高位の役職に就く高級官僚で、名をアドルフ・シュナウザーといった。

旧世界ガイア》滞在期間中、翼は取材活動にあたって、この高官の支援を受けることになっていた。


「やあ、新見くん。もう地上こっちに着いてるね?」

 小型画面の向こうから、シュナウザーは人好きのする笑顔で語りかけてきた。

「申し訳ない、会議が思いのほか長引いてしまってね。いま、そちらに向かっている途中なんだが、もう少々お待ち願えるかな。5分ほどで到着できる予定だから」

「わかりました」

「悪いね、着いた早々に心細い思いをさせてしまって。埋め合わせは必ずさせてもらうよ。じゃあ、ともかく5分後に」


 通信が切れると、翼はほっと息をついた。あらためて周囲を見渡せば、深閑としたロビーに人の気配はまるでない。


 学者たちの研究、あるいは実験対象としての調査区域。終身刑を受けた罪人の送りこまれる流刑地。そして、社会から逸脱した流れ者たちが逃亡の果てに行き着く、無法の地。


首都キャピタル》と《旧世界》とを結ぶ《メガロポリス》唯一の移送機は、通常、桁外れの搭乗費用を含め、一般市民とはあらゆる意味で無縁の交通機関である。そのため、利用者数は圧倒的に少ない。細かく区切られた各座席(ブース)の収容人数は、1名から最大でも3名まで。乗客の受付口は、チケット・ナンバーによって定められており、座席ごとに入出場ゲート、乗降口、ロビー等が用意されていた。乗客同士が互いに接触することなく利用できるこの構造つくりは、それを利用する人間もまた、特殊な事情を抱えている場合が多いことから、プライバシー保護と安全面を配慮した結果と言える。


 その移送機の発着場を、《空港》と呼ぶ。


 飛行場と同義の『空の港』ではなく、《首都》の真上に位置する地上の都市、すなわち、その頭上に『〈空をいただく都市〉へと向かう港』を意味した。


《メガロポリス》では、地下空間の内部に築かれた独特な都市の構造上、現存する交通手段は陸路と水路にかぎられている。

 底部に整えられた一般道と、都市の天井部を支える柱を利用して中空に設けられた高架道。天井部に張り巡らされたレールに沿って最短距離を高速移動するシャトルの開発。柱の内部は、最上部にシャトルの発着場となる《駅》が設けられているほか、住居やさまざまな商業施設、企業のテナントなどにも利用されていた。同様に、各都市を繋ぐ運河もまた重要な役目を果たしているため、海や川が消えても、人々の生活から完全に船という交通手段がなくなることはなかった。


 その結果、人類の生活空間から飛行機のみが姿を消す。


 人類史上最高の勲功のひとつとも謳われた発明、そして文明の光は、〈過去〉という名の澱んだ海に沈み、朽ち果てていった。

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