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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第1部 スラム編
21/202

第5章 会食の夜(1)

 翼とレオが地上に来てから、まもなく3週間が過ぎようとしていた。


 取材期間は残すところ10日あまり。

 これから最後の追いこみに向け、後半のスパートをかけなければならないところである。しかし実際には、肝腎の記事の書き手である翼が、ここ数日どっぷりと落胆の底に深く沈みこんでいるため、取材は思うようにはかどらなかった。

 原因は、取材対象の中心人物として追いかけていた相手が、彼の率いるグループごと、行方ゆくえを眩ましてしまったことにある。


《セレスト・ブルー》のルシファー。


 前日までたしかに彼らの拠点であったはずの場所をふたたび訪れてみると、そこはすでに、もぬけの殻となっていた。ようやく彼と接触することが叶った、その翌日のことである。


 人の気配が完全に消えた廃墟の中で、翼はあまりの事態に立ち竦み、呆然とするばかりだった。


 縁があれば、そのうちに、また――


 苦笑まじりに彼がそう言うのを聞いたとき、翼はその言葉の中に、たしかに拒絶以外のなにかを感じることができた気がした。


 視線が、知らず知らずのうちに手もとの端末に落ちる。


 あのとき、もう少し自分に、彼の心を動かせるだけの力があったなら……。



「翼、がっかりする気持ちもわからなくはないけどさ、なにもたったひとりに、そこまでこだわるこたないじゃないか。ほかに目を向けても、いい記事は書けると思うぜ?」


 相棒であるレオにそう励まされても、翼の気持ちは容易には晴れない。集めた情報と資料をもとに、いくつかの文章をまとめてはみたものの、肝腎の部分に踏みこめない内容は上滑りするばかりで、それ以上の作業をする気にはとてもなれなかった。


 取材期間中の翼たちの全面支援を任されている内務省の高官、アドルフ・シュナウザーから夕食の誘いがかかったのは、そんなさなかのことである。

 最初の対応で悪印象を抱いて以降、レオのシュナウザーに対する評価はマイナスのままだった。平生であれば、峻拒すること必至の招待だったが、このときばかりはふさぎこむ翼のいい気分転換になると快諾し、指定された時刻、指定された高級レストランまで渋る青年を言い含めて引きずっていった。


 そろった顔ぶれは、招待者であるシュナウザーとその秘書のフィリス・マリン、招待客側である翼とレオの4名――ごく私的な会食であった。




「どうだい? その後、取材活動は順調に進んでるかな?」


 上機嫌でゲストを迎えたシュナウザーは、アペリティフで乾杯をした後に、これまた上機嫌を絵に描いたような笑顔で翼に尋ねた。前振りもなしのいきなりの直球に、レオは一瞬ひやりとしたが、翼は過敏に反応することなく、落ち着いた態度でそれに応じた。


「そうですね、なかなか思ったようには捗りませんけど」


 翼の言葉に、シュナウザーはそれはそうだろうと楽しげに笑った。


「あっさり取材に協力するような連中なら、地上こんなところにはいないだろうね」

「ええ、まあ。でも、思っていたよりはずっと親しみやすかったですし、きちんと話をすれば、それなりに理解も示してくれるので、いまのところはそんなに大変な印象はないですね。もちろん、有能なパートナーのおかげ、というのがいちばん大きいですけど」

「油断は禁物だよ」


 オードブルの野菜のフォンダンにナイフを入れる手を止めて、シュナウザーは真顔で言った。


「知り合った者たちがたまたま君に好意的だったからといって、皆が皆、そうとはかぎらないだろう。ここでは我々一般の常識は通用しない。公的な立場を別にしても、私がつねに君たちの身を案じていることを忘れないでいてくれたまえ」


 神妙に頷く翼の横で、レオは一瞬、腐った卵料理を口に入れたような顔をした。とはいえ、さすがに場の雰囲気を壊すことには気が引ける。珍しくスーツ姿でフォーマルに決めた女カメラマンは、黙ってシャンパンで料理を飲み下すと、細心の注意を払って会話の輪からはずれ、ひとり食事に専念することにした。


 招待される側の立場をわきまえて、最低限の節度は保つつもりだが、レオに譲歩できるラインの限度は、ここまでであった。


 使おうと思えばナイフもフォークも使いこなせる。ひととおりのマナーも一応は心得ている。だが、基本的にこんなのはガラではなかった。どうせ食事をするなら、皿の上に展開される芸術品を上品に崩しながら、優雅な手つきでひと口ずつ切って上品にソースをからめ、上品な会話の合間に上品に口に運ぶのではなしに、安くてうまいものを大皿で好きなだけ頼み、気心の知れた仲間たちと豪快に平らげていくほうが、どれほど自分のしょうに合っているかしれない。シュナウザーにしろ、その隣で優美にナイフとフォークを操っているお高くとまった秘書官にしろ、根本的に自分とは人種が違うのだとレオは思う。しかし、その程度のことで他人を毛嫌いするほど偏狭ではないつもりだった。それをいうなら、翼とだってあきらかに生きる世界が違っている。そうではなく、レオが彼らを敬遠する理由は、もっと別のところにあった。


 現時点でそれを具体的に説明することは難しい。ただ、他人より遙かに鋭敏な直感が告げるのだ。彼らを信用してはならない、と。

 シュナウザーはこれまでのところ、自分たちに対し、一貫して紳士的な態度を示している。けれども、それをまったくの額面どおりに受け取ってはならない気がした。


 防御体勢を整えるには、まず、相手の出かたをある程度把握しておく必要がある。今回、レオがシュナウザーの招待に応じたのは、消沈する翼のことも踏まえ、そのような理由も含んでいた。


 いずれにせよ、ディナーに招くにあたって、自分にイブニングドレス――それは完璧に『特注』と呼ぶべきものであったが――を送りつけてこなかっただけ、いつぞや取材した、バカ丸出しの血迷った政治屋よりはまだまっとうな神経と美意識、想像力を持っているのだろう。


「――ですか、ミス・イグレシアス?」


 意図的に会話をシャットアウトしていたレオは、不意に話題を振られて、スープ皿から顔を上げた。


「は?」

「こちらで弟分ができたそうですが、彼と親しくなるのに、どんな魔法を使ったんだろう、という話です」


 いつのまにか、話題はディックのことに移っていたらしく、訊き返したレオに、シュナウザーはやわらかな微笑を浮かべて質問を繰り返した。


「さあ、どんなと言われても、とくにこちらから、なにか働きかけたわけではありませんから」

「すると、向こうから自発的に?」

「このとおり自分は粗野ながさつものですから、ウマがあったんじゃないですか」


 シュナウザーの言いまわしがどことなくかんに障って、レオはそっけなく応えた。


「がさつだなどととんでもない。あなたは私が知るかぎり、責任感の強い、立派なプロのカメラマンでいらっしゃる。あなたが新見くんのパートナーであるということで、私も随分と安心しているのですよ」


 シュナウザーの言葉はあくまで屈託がない。言われる筋合いのない相手からの称讃を、余計なお世話だと思いながら、レオは儀礼的に軽く頭を下げて食事に戻った。


「そういえば、地上に来て驚いたことがあるんですけど、ここでは、《メガロポリス》にはない、自然な空気の流れがあるんですね」


 多少なりと気分が浮上したのか、翼が率先して会話に加わった。のぼった話題が興味深かったこともあって、レオはさりげなく話のほうへ注意を向けた。



旧世界ガイア》の中には、空調によるものとはあきらかに異なる、薫りとでもいうべきものを含んだ空気の流れがある。翼は取材中、終始そのことに関心を寄せていた。


 4月である現在は、暦の上で陽春にあたる。《メガロポリス標準時》をもとに定めた1年は、北半球の《首都キャピタル》が置かれた位置を基準に四季――形ばかりではあるが――を振り分けていた。それゆえ、空気の中に含まれるかすかな薫りは、草花が芽吹く、いわゆる春独特の気配がもたらすものではないかと翼は言うのだ。

 実際、さまざまな方角から自儘に流れてきては通り抜けてゆく、目に見えない不可思議な気配は、そのときどきで刹那的に発生しては消えていった。ときに漂い、ときに吹きすさび、また、一瞬で過ぎてゆくものもあれば、いつまでも強く、弱く頬を撫でていくものもある。そして匂いも、それぞれが種々のものをはらんで、気まぐれに鼻孔をくすぐった。

 空調、あるいは移動時の加減速による摩擦から生じる空気抵抗とは異なった馴染みのない感覚に、レオもはじめは違和感をおぼえ、戸惑ったものである。

 なぜ、閉塞した空間の中にありながら、そのような現象が起こり得るのだろうか。ここしばらくはふさいで探究心に精彩さを欠いていたものの、翼はつねづね、そのことに強く興味を惹かれているようだった。


 その翼の言を受けて、シュナウザーは投げられた問いに慣れた様子で応じた。


「ああ、〈風〉のことだね。地下では体感できないものだから、たしかにこちらにくると、みんなまず最初に驚くんだ。かくいう私もなんだが」

「じゃあ、やはりあの現象は、自然の?」

「そう。地球が自転することによって昼と夜が交替で訪れ、気圧や転向力の働きによって大気が流れる。かつて人類が大地とともに在ったとき、それはごくあたりまえのことだった。むろん、現在いまだってこの地球ほしは昼と夜を繰り返しながら自転しているし、その結果、潮の満ち引きがあって、風だってちゃんと吹いている。でも、私たち人間は、そういったことも含めて、自然の恩恵にあずかることをみずから放棄してしまった」


 シュナウザーの言葉は、いつになく熱を帯びていた。


「たしかに《メガロポリス》は住み心地のいい、理想的なアメニティ空間かもしれない。けれどね、新見くん、それでも私は、《メガロポリス》が巨大なおり、もしくは鳥籠とりかごのように思えてならないんだ。人間は、みずからが造った檻の中に、みずから率先して閉じこめられて、それに気づきもせず、安逸な日常を享楽している。そんなふうに感じているのは、私だけだろうか」


 痛烈な社会批判、またはそれを超えるなにかとも受け取れる発言をしたあとで、シュナウザーは不意に表情を一転させると、くだけた態度になった。


「なぁんていうと、如何にも偉そうだが、じつはなんのことはない。長年俗世間と切り離された場所で世事に疎い生活をしているとね、どうも楽隠居か仙人にでもなったような気になって地下したの世界を眺めてしまうんだね、これが」

「中央から辺境へ飛ばされたまま、呼び戻してもらえずにくすぶっている人間のやっかみとも受け取れますね」

「……ひどいなマリン。私はべつに、左遷されたわけじゃないんだよ」

「さあ、どうでしょう」


 ふたりのやりとりに、翼が笑う。


「ところで本題はなんだったっけね。ああ、そうそう、〈風〉の話だったかな」


 優雅な手つきでバゲットをちぎりながら、シュナウザーは脱線していた話題を引き戻した。

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