第41章 楽園の崩壊(4)
愛車を駆って、ほどなくトレーラーに追いついたルシファーは、速度を調整して車両の運転席のわきで併走する位置を定めると、ふたたびインカムを通じてラフに声をかけた。
「いまからハンドル操作をおまえに預ける。ほんの1、2分でいい。頼んだぞ、ラフ」
「わーったよ、任せとけ。こうなりゃ、やけくそだ。おまえのキチガイじみたお祭り騒ぎに、とことんつきあってやらあ」
相変わらずの口の悪さに、ルシファーは低く笑った。
「いいか、しくじるなよ。そもそものリミットがすでに5分ギリギリなんだからな。タイミング逃して逃げ遅れりゃ、タワーにつっこもうがわきに逸れようが、どっちにしろトレーラーもろとも木っ端微塵に吹っ飛ばされて一巻の終わりってこと、よーく肝に銘じろよ」
「了解」
答えて、ルシファーはハンドルから手を放す。そして、アクロバットさながらにシートの上に立ち上がると、わずかに反動をつけて、身軽くすぐ横の運転席の扉に飛びついた。そのまま絶妙のバランスと抜群の身体能力を発揮して器用にドアを開け、運転席の中へ滑りこむ。軍用車のモニタでそれを見ていた将兵たちのあいだから、どよめきの声があがった。
運転席に乗りこんだルシファーは、すぐさまハンドルを握ると、巧みに操りながら運転席側のドアを外側に向かって力まかせに蹴破った。操作を終えて飛び降りる際、邪魔になると判断したためだった。
派手な衝撃音を残して路上に吹っ飛んだドアの端が、すぐ横を併走するバイクに当たってバランスを崩しかける。途端にラフが、イヤホン越しにえらい剣幕でがなりたてた。
「ルシッ――、おまっ…、喧嘩売ってんのか、このヤロウッ! カレンが転けたらどうしてくれるっ!!」
「悪い。邪魔だったんで、つい」
笑いながら、風とおしのよくなった運転席越しにすぐ横を確認すると、愛車はもとの定位置を守ってけなげに併走しつづけていた。
中央塔に向けてハンドルの調整をしながら、ルシファーは脱出する頃合いを頭の中ですばやく計算した。タイヤの一部がパンクしているせいで、ともすると軌道が逸れやすくなっているため、トレーラーからハンドルを放すには、かなりギリギリまで調整を行う必要があった。
オート・ドライブ・システムに不具合を生じていても、速度設定は活きているらしく、トレーラーのスピードは徐々に上がっている。リミットの30秒前に脱出を図れば、あとはカレンの馬力があれば、充分安全圏まで移動できるだろう。
残り2分。
「おい、ルシファー、そろそろいいんじゃねえのか?」
「ああ、わかってる」
通話マイク越しに応えて、ルシファーはトレーラーの位置とスピード、中央塔との距離を測って時間を確認した。そして、ハンドルを握ったまま座席から立ち上がり、トレーラーの外に身を乗り出すと、最後の調整を図った。
あと90秒。
愛車に飛び移るまでの時間を内心でカウントしはじめたルシファーは、不意にすぐ背後に殺気を感じて振り返ろうとし、直後に強く首を絞められて天井から吊り上げられそうになった。
「――っく!」
ものすごい膂力で上方に引っ張られ、危うくハンドルごと躰を持っていかれそうになる。車体が激しく左右に振られるのを感じて、ルシファーはあわててその手を放した。掴まるものがなくなり、抵抗をなくした躰がたちまち車両の天井上まで引きずり上げられる。そのまま馬乗りになった相手に完全に自由を奪われ、押さえこまれたまま、掴まれた首をギリギリと締め上げられた。
尋常ならざるその力に、意識が遠のいていく。
「おい、ルシファー? どうしたっ!?」
イヤホンから事態の異常を察したラフが問いかけてきたが、ルシファーは声を発することさえできなかった。
突然発生した緊急事態に気づいたのは、むろんラフばかりではない。
トレーラーの様子を見守っていたザイアッドは、すぐさま異常を察知して軍用車に駆け戻り、望遠カメラが映す車内の小型モニターをチェックした。
「取り逃した最後の1匹だ……っ!」
舌打ちするなり、男は車から降りて、大股で軍の専用バイクに近づいた。
「軍曹っ!」
男の意図に気づいた副官のキムが、制止しようと飛んでくる。だが、男は無言で自分に向かって伸ばされた腕を乱暴に振り払った。
最後まで捕獲できなかった唯一の個体。
ルシファーを襲った敵は、いつのまにか自分たちの目を盗んでトレーラーに身をひそめ、反撃のチャンスを窺っていたのだ。
「エリス、来い!」
大声で呼ばわりながら、ザイアッドは途中、すれ違いざま、すぐわきにいた兵士のライフル銃をひったくるようにして奪いとった。そして、弾倉の中身を乱雑な所作で地面に振り捨てると、かわりに軍服のポケットから取り出した弾を1発だけ装填した。
それは、先程翼が男に託した麻酔弾だった。
スラムを発つ際、たまたま手にしていた余った最後のひとつを、翼は自分のポケットに入れて持ってきていた。とくに深い意味があったわけではない。ただなんとなく、持っていても邪魔になることはないだろうという程度の認識からとった行為にすぎなかった。
別れる直前、彼はそのことを思い出し、万一の場合を考えてそれを手渡した。
托す相手をルシファーではなくザイアッドにしたのは、時折、驚くほど無茶な行動に出る友人を、ザイアッドならうまくフォローしてくれるに違いないと思ったからだった。
結局、翼の判断は正しかったことになる。
蒼褪めた顔で駆けつけてきた青年に、男は1発だけ弾のこもったライフル銃を、バイクに跨ってエンジンをかけながら押しつけた。
「後ろに乗れ。いいか、あの怪物を仕留められるチャンスは一度きりだ。それ以上の猶予はない。ギリギリまでトレーラーのわきに車体を寄せるから、的の中心まで引きつけられるだけ引きつけて仕留めろ。ただし、万一急所をはずしても、この弾ならそこそこのダメージは与えられるはずだ。焦らず落ち着いてやれ。いいな?」
厳しい表情で見据えられ、青年もまた、硬い顔つきで頷く。そして、リアシートに飛び乗った。男の怪我を慮って一瞬躊躇した青年の腕を、ザイアッドはしっかり掴まらせると、一度咆吼するように強く噴かし、アクセルを全開にした。
ふたりを乗せたバイクは、瞬く間にその場から飛び出していった。
――ルシファー……ッ!
ラフとともに眼前のモニターを凝視する翼の額と首筋から、じっとりと嫌な汗が流れ落ちた。
心臓が、先程から胸を突き破って飛び出しそうなほど強く、早鐘を打ちつづけている。左右のこめかみで、血管が激しく脈打っていた。
息苦しさに翼は眉を顰め、奥歯を噛みしめた。
その手もとには、時限装置の起爆スイッチがきつく握りしめられていた。




