第40章 死闘(4)
苛烈を極めた戦闘は、いつしか目に見えるかたちで終熄に向かいつつあった。
つい先程、この部屋で、桁外れの額の不動産売買契約をこともなげに取り交わした人物が、モニターの中で先陣を切って死闘を繰り広げている。切れ味のよい動きは、しかし完全に計算しつくされ、相手の次の行動を見切ったうえで展開されていた。
大局を絶えず観察し、随時部下たちに指令を送りながら、みずからも激戦の中に身を置いて敵を斃していく。指揮官としても戦士としても超一流。そして、組織全体を統率する司令官としても、男は比類ない能力を有する稀有なる存在といえた。
一族にとって、彼という人間の損失は、どれほどの痛手であったか想像にかたくない。彼ならば、歴代頭首の中でも、ひときわ英邁な長として一族を束ね、さらなる栄光と発展をシルヴァースタインにもたらしたに違いない。
彼に自分の片翼を担わせることができたなら、今後の再建にどれほど大きな影響を与えることだろう。だがそれは、いくら望んでも叶わぬ夢想でしかなかった。
グレンフォードの巨富を注ぎこんでカルロスが完成させた殺戮専門の実験体は、その男の指揮する組織によって次第に追いこまれ、駆逐されていった。
父が長年にわたって夢見てきた理想の《楽園》は、瞬く間というに相応しい時間のうちに見事に費え去ろうとしている。だが、それでよかったのだ。こうなることこそが自分の望みだった。
夢は、夢のままに終わればいい。
『アドルフ、我が最愛の息子よ、おまえに儂の夢を託そう。おまえこそが我が後継者たるに相応しい能力、そして器量を兼ね備えている。儂は、本当に幸運な人間だ』
(お父さん――)
『小さな輸送会社から始まったグレンフォードも、気がつけばいつのまにか、この世界を統べるまでになっていた。早いものだ。半世紀以上ものあいだ必死で走りつづけているうちに、儂は、人間ならだれもが欲するすべてのものをこの手に掴んでいた。富も、名声も、権力も……。だが、我が人生における最大の功績は、アドルフ、おまえという宝を成したことだ』
(お父さん、僕は――)
『アドルフよ、他者はだれもがこの儂を史上最大の成功者と崇め、羨み、あるいはその至高と欲するところのものに肖りたがる。儂は随分長いこと、そのことに満足していた。だが、あるとき不意に、すべてが虚しくなった。この先、あとどのくらい生きられるのかはわからん。しかし、確実に自分にも老いが迫り、死が訪れる。〈神の申し子〉とまで呼ばれたこの儂がだ!
不老を願い、不死を望むわけではない。あまりに永すぎる人生もまた虚しい。そのときが訪れたなら、儂は甘んじて己の終焉を受け容れよう。だが、そうなるまえに、儂は自分に与えられた最大限の可能性を試すため、神というものに挑戦してみたくなった。アドルフ、我が息子よ、おまえに儂の望みがわかるか? この手で造り上げた《楽園》に、〈選ばれし種族〉を繁栄させ、我がグレンフォードの一族を造物主の座に据える。むろん、それらはかぎりなく優美で秀絶した能力を備えた、特別な人類の亜種たちにより構成される。ヒトの遺伝子を持ちながら、ヒトにあらざる新種の生命こそが、我が《楽園》の恩恵を享受する唯一の〈種族〉となるのだ」
(お父さん……)
『彼らはやがて、その俊英をもって人類をも支配するものへと登りつめていくようになるだろう。そのときこそ、我がグレンフォードは真に人類の至上へと冠し、また人類は、この儂の手によって、より高度な進化を遂げる。そうして儂は、真に〈神〉を超えるものとなるのだ』
(お父さん、貴方は僕に、その意志を継げと……?)
『愚かしい思い上がり。狂人の戯言。アドルフ、儂は自分がなにを口にしているのか、ちゃんと理解しておる。それでも止めるわけにはいかんのだ。これは、儂の人生最大の博奕。すべてを賭けた、な。
賽はすでに振られた。結果は出さねばならん。わかるな? おまえは我が後継にもっとも相応しい資質を備えておる。それゆえアドルフよ、おまえに儂の持つすべてを与え、我が最大にして至高の夢を託そう――』
(お父さん、僕は……)
――私は貴方の夢を、継ぐことはできない。
複数のモニターを見つめながら、アドルフ・グレンフォードは心の中で父に語りかけた。
幼きころ、彼は父に連れられ、グレンフォード財閥が《旧世界》のドーム内に所有する生化学研究所の視察に訪れたことがあった。そしてその際に、父はドームの外へも彼を伴った。
はじめて目の当たりにする光景。荒涼とした、しかし、たしかになにかが力強く息づく、目映い耀きに満たされた世界。
彼は、溢れ出る涙を止めることができなかった。
みずからの血の中にひそむ人類としての回帰の想いが、彼をして望郷と哀切の念を抱かしめ、還りたいと願わしめたからなのかもしれない。
切望する〈自由〉が、そこにはあるように思えた。
成人して内務省の役人となり、地上保安維持局の長たる椅子を与えられてからも、彼はたびたび独りでドームの外へ行き、己の出発点となった原風景である世界と対峙した。そしてそのたびに、人間の無力さを痛感せずにはいられなかった。
流れゆく大気は、絶えず生命の息吹を孕んでいる。そんなことすらも忘れ果て、人工の世界に閉じこめられていることを、人類は知るべきなのだ――
モニターのひとつが、軍とは別に、少年たちを従え、その中心となって実験体に闘いを挑む黄金の髪の少年を映し出している。その覇気と生気に溢れた耀きは、見る者を圧倒し、魅了する光輝を放っていた。
彼が、〈神〉をも超える存在に選ばれた〈種族〉の具象であり、先駆者であるならば、その彼が反旗を翻したこの一事をもって、父の成したすべてに対する結末と見ることができるだろう。そしてそれこそが、自分の望みでもあったともいえる。
これで、よかったのだ……。
アドルフは、傍らに佇む人物を顧みた。
「貴女を、とんだことに巻きこんでしまった。申し訳なく思っています」
「詫びていただく必要などございませんわ。堅苦しい式典などより、遙かに楽しゅうございましたから」
アナベル・シルヴァースタインは悠然と微笑した。
「これからが大変ですわね。パーティーはいつだって、準備や本番当日より、後片付けのほうが面倒なのですもの。でも、これだけ派手に騒いでしまうと、かえって腕の振るいがいがあって楽しいかもしれませんわね。わたくしも、微力ながらお手伝いできることを嬉しく存じますわ」
婚約者の言葉に、男は困ったような顔をした。
「私はこのあと、貴女との婚約を解消するつもりでいたのですが……」
「なぜでしょう? わたくし、婚約を破棄されるような不始末を、なにかいたしましたかしら?」
「いいえ、そんなことはもちろんありません。強いて言うなら、不始末をしでかしたのは、貴女ではなくこの私のほうです」
「アドルフ様にはアドルフ様のお考えあってのことでしょう。わたくしは、そんなふうには思いません」
「だが、今回のことで、貴女の一族に多大なるご迷惑をおかけしたことは明白な事実です。貴女の名前にも、お詫びのしようもないほど大きな疵をつけてしまった。そしてこのままいけば間違いなく、もっと大きな、深い疵をつけてしまうことになる」
「いまさらですわね」
女は嫣然と答えた。
「わたくし、一度は婚約者に逃げられた女ですのよ。わたくしにとって、あれ以上の恥辱はありませんでした。それなのに、あなたはもう一度、わたくしにおなじ思いをせよと仰るのですか?」
「アナベル」
「それに、こう申し上げてはなんですけれど、いまのあなたにこそ、わたくしの――シルヴァースタインの力を必要とされるのではありません? わたくしは、だからこそあなたに選ばれたのだと、そう思っていました」
昂然と頭を反らす女の瞳に迷いはない。己が王座を叩き壊したグレンフォードの若き総裁は、完全に敗北を喫して降参の意を表した。
「ご親族は、猛反対されるでしょうね」
「わたくしの結婚ですもの、わたくしの意志をとおさせていただきますわ」
「彼の、あとを追わなくてよかったのですか?」
男の問いかけにアナベルは一瞬黙りこみ、しかし、すぐにきっぱりと言い放った。
「だれのことを仰っているのか、わかりませんわ」
男は無言でモニターのひとつに視線を移す。そこでは、もっとも激しい戦闘が、なおも繰り広げられていた。
「籠の中で飼い馴らされた鳥は、外の世界へ飛び立っても生き延びることはできません。わたくしもおなじ、飼い馴らされた籠の鳥です。それも、遠くまで飛んでいけないよう羽を切られた。正直申し上げれば、ときどき、天空を自由に飛翔する鳥たちを羨ましく思うこともあります。でも、わたくしの生きる場所は、籠の中しかないのです」
男の心に己を添わせるように、女は傍らに立つ相手の腕に、みずからの腕をそっと絡めた。




