第40章 死闘(2)
「軍曹っ!!」
激しい衝撃に数瞬呼吸が止まって、目の前が真っ暗になる。ハウザーの二の舞になるまいと咄嗟に頭を庇った結果、背中が無防備になった。それが仇となった。
地面に転がったザイアッドは、蹴られた腹を抱えこんでふたつ折りになった。ここで一気に息を吸いこめば、確実に呼吸困難に陥る。苦しい息の下、男は数瞬、呼吸を止め、ひきつけを起こしかける全身に力をこめて懸命に堪えた。
やがて、頃合いを見てカハッと血の塊を吐き出す。同時に酸素が肺に入りこんで、ザイアッドは激しく咳きこんだ。
立てつづけに受けるはずだった攻撃をキムが引き受けた。そのおかげで、男はかろうじて息を吹き返す時間的猶予を与えられた。
呼吸を整え、わずかに頭を振ってゆっくりと立ち上がる。ふらつく足を踏ん張って顔を上げたとき、ちょうどキムが、戦っていた相手の顔面に拳を叩きこんだところだった。ほぼ同時に、隊員のだれかが撃った弾が、絶妙のタイミングで敵の右耳から左へと貫通した。ひしゃげた顔と弾痕が突き抜けた耳から多量の血糊と脳漿を噴き散らして、敵は声もなく地面に沈んだ。
「軍曹! 大丈夫で!?」
走り寄ってくる副官に、男は脇腹を押さえたまま掠れた声で言った。
「やるじゃねえか。いいパンチだ」
「いや、もう、とにかく夢中で……。そんなことより軍曹、お怪我は?」
「大丈夫だ。油断したばっかりに、ちょいと一発くらっちまった」
ザマァねえなと男は笑ったが、キムの眼に映ったその様子が、先程受けた強烈な一撃も含めて、鵜呑みにできるほど軽いものでないことはあきらかだった。
「んなことより、キム、あと3匹も残ってんぞ」
キムが口を開くより早く、ザイアッドは頼りになる副官に注意を促した。
「パッパと片付けちまわねえと、厄介なことになる」
「わかってますって。オレらがすぐに掃除しちまいますから、軍曹はそこで、高処の見物と洒落こんでてくださいよ」
「ボケッ! すかしたこと抜かしてんじゃねえ。ハンパに臨んで太刀打ちできる相手かっ!」
一喝して、ザイアッドは背筋を伸ばした。その背中に激痛が奔る。だが、男はそんな様子をおくびにも出さず、平静を装った。息を吸うと、刺すような痛みが胸に奔った。肋骨の何本かが折れて、肺でも傷つけたのかもしれない。
吹き出す脂汗とは裏腹に、男は涼しい顔で辺りを一瞥した。いつのまにか、《セレスト・ブルー》の拠点近くまで来ていた。
敵と隊員たちは、緊迫した中で睨み合いをつづけている。だが、相手の発するのっぺりとした熱のない殺意に、味方がじりじりと押されつつあることは瞭然だった。均衡にわずかでも綻びが生じれば、敵は一挙に攻めに転じるだろう。
なんとかセレストの拠点に潜りこめれば……。
勝手知ったる建物内部に敵を分散して誘いこむことができれば、多少は有利に戦局を運ぶことができる。なにより、いまよりもう少し威力のある武器を、武器庫から調達できるのがありがたかった。
「軍曹」
おなじ結論に達したらしいキムが、強い目線で伝えてくる。男はそれへ頷きを返すと、銃を構えた。
「キム、いくぞ! ……3、2、1、いまだ!!」
出力レベルを最大にして、ザイアッドはキムの抛った手榴弾めがけて銃弾をお見舞いした。瞬間、いちばん手前にいた敵のすぐ真横で、閃光と爆風が炸裂する。
「ヤロウども、撤収だっ!」
強靱な肉体が爆裂に巻きこまれて薙ぎ倒された瞬間、キムは大音声で命じた。事情を察した隊員たちが、転げるようにひとつの建物を目指す。ザイアッドとキムもまた、ホセ、ハウザー両名を担ぎ上げると、全速でそのあとを追った。
彼らに追い縋る敵を、先に建物内に到達した隊員たちがこぞって牽制した。援護の甲斐あって、怪我人を担ぐザイアッドとキムは、ギリギリ追いつかれずに建物内へと飛びこむことができた。
「隊長、自分が替わります!」
エントランス・ホールをなおも駆け抜けるザイアッドを追ってきた隊員のひとり、ヒューイットが、ホセを運ぶ役を引き受けようとする。ザイアッドは速度をゆるめることなく中央のエスカレーターを駆け下りながら、後方の部下へ声だけを飛ばした。
「いい! おまえはこのまま武器庫へ直行しろ!! 機関砲でもなんでもかまわねえ、とにかくパワーのあるヤツをありったけ持ってこいっ!」
「了解っ!」
地下2階まで下りたところで、彼らはふた手に分かれて走り出した。ザイアッドとキムは、非常階段からさらに階下を目指し、ヒューイットは武器庫に向かう。背後では、怪我人を運ぶザイアッドとキムを援護するため、J.J.たちが派手な銃撃戦を繰り広げていた。全員、無事でいてくれと願いながら、ザイアッドは懸命に足を動かしつづけた。
ホセの意識はすでになく、ザイアッドも、鉛のように重い足を一度でも止めればその場に倒れこみそうだった。
「軍曹! とりあえず医務室でいいっすね?」
「ああ、それでいい」
なにはともあれ、怪我人をベッドに寝かせてやりたい。男の頭にあるのは、それだけだった。
銃撃戦の音は、次第に遠ざかる。おそらく、隊員たちが階上で懸命に敵の侵入をくい止めているのだろう。
地下3階の廊下を一気に走り抜けたザイアッドらは、通常、《セレスト・ブルー》のナンバー・スリーである金髪の黒人が、私的に専有している部屋に飛びこんだ。気休め程度のものとはいえ、念のため入り口を施錠し、重傷を負ったふたりの部下をベッドに横たえさせる。それだけで、膝から力が抜けそうになった。
「軍曹、階上の怪物どもはオレがカタしてきますんで、このまま少し休まれたほうがいいんじゃ」
「ああ? てめえ、この俺がお荷物だとでも言う気か?」
「めっ、滅相もないっすよっ!」
男のひと睨みに、上官思いの部下は仰天して飛び上がった。
「オ、オレはただ、冗談抜きに軍曹のことが心配で……」
もごもごと弁解をするキムの背後が、何気なく男の視界に入る。途端、その表情が一変した。
「で、ですから軍曹、オレはべつに――」
血相を変えて近づいてくる上官に、キムはますます動転し、必死になってその怒りを解こうと言い訳を重ねようとした。だが、伸びてきた腕がキムを掴み、殴られると首を竦めた瞬間、
「邪魔だ、どけっ」
ザイアッドは部下の巨体を邪険に押しのけて、その背後にまわった。
「……軍曹?」
おそるおそる顧みたキムの背後で、ザイアッドはベッドを囲むように取りつけられたカーテンを乱暴にめくり上げ、その後ろの壁に現れた小さめの扉を押し開いた。
開戦と同時にルシファーはこのスラムを軍に開放しており、セキュリティ・システムを解除している。そのため、扉は難なく開いた。
隠し扉の奥にひろがった空間は、ごくシンプルで、せいぜい2、3人も入ればいっぱいになるような狭い小部屋だった。だが、そこでザイアッドが見たものは――
「こ、こいつは――」
ザイアッドの後ろから首だけ覗かせたキムが、やはり言葉を失って息を呑む。
「ヤロウ……」
低く呟いて、男は奥歯を噛みしめた。その腕で、じつにタイミングよく通信機が着信を告げた。
「ザイアッドか? 俺だ。まもなくスラムに到着する」
「ルシファーッ、おまえなっ!! ふざけんのも大概にしとけよっ!」
小型モニターに現れた相手の小面憎いまでに落ち着き払った態度を見た瞬間、男は理性の箍を引きちぎられて怒声を放った。そのあまりの剣幕に、金髪の覇王は目をしばたたいた。
「どうした、急に? なにをそんなに怒っている?」
「なんでだぁ? んなもん、決まってんだろが! おまえがなんだって《Xanadu》から医療用データまで引き出したか、これで理由がはっきりしたからなっ!」
言った途端、ルシファーは得心したように笑い出した。
「なんだ、ついにバレたか」
「笑ってる場合か、このペテン師ヤロウッ。なにが肝腎なものは全部|《Xanadu》に移し終えてあるだ! なら、この『眠 り 姫』はいったいなんだ!? これで軍は、グレンフォードの怪物どもと一戦交えるふりでもしとけばいいだと? いちばん肝要のもんをちゃっかり残してんなら、せめて俺にぐらい、ひと言いっとけっ!!」
「悪い。まさか俺が戻るまでに、おまえが見つけるとは思わなかった」
言って、ルシファーはなおも愉しげに笑っている。そのまるで悪びれない様子に、色を成して怒っている自分のほうがバカらしく思えてきてザイアッドは一気に脱力した。
「それより、そっちの様子はどうだ?」
「そうさな、悪くもねえが、良くもねえってとこか。軍を自在に動かすには、ちと手足が重たすぎてな」
「やむを得まい。出る杭は打たれるのが常理というものだ。これまで持ち堪えているだけでも上等。そのうえ、おまえのことだ。どうせ味方優位で戦局を運ばせているだろう」
「そりゃ、どーも。随分お高く買っていただいちゃいまして」
男は気のない返事を返した。
「いずれにせよ、まもなくそっちに着く。それで一気にカタをつけるぞ、いいな?」
「はいよ、陛下。仰せのままに」
言って、双方は通話を切った。




