第39章 崩れゆく黄金の玉座(5)
「これはこれは、皆様おそろいで。それぞれ戦闘配置に就いておられるものと思ってましたが、こんなところで如何されましたかね?」
「なに、ほんの骨休めをね」
「骨休め!」
男は大仰に驚いてみせた。
「各小隊を指揮する立場におありの方々が、そろって骨休めとはね。戦況は、いつからそこまで明るい見通しになったのか、不明を忸じる小官にも、ぜひともお教えいただければありがたいんですがね、オルグ中尉、デューガン少佐」
あくまで傲岸としか映らない男の態度に、将校たちは名指しされた2名を中心に、軍の鼻つまみ者である下士官らのまえまで近寄ってきた。
「戦況? そんなものは我々の知ったことではないね。我々の当初の目的は、スラムの碌でもない餓鬼どもを叩き潰すことだったんだ。それが、なんだってわざわざ奴らを援護するようなかたちで、軍があんな化け物どもと闘わなきゃならない? そんなに闘いたければ、卿らが闘えばよかろう? お育ちのいい者同士、スラムのお坊ちゃまがたとは、随分ウマが合うようだからねえ」
悪意に皮肉という名のスパイスをたっぷり利かせた厭味が、荒くれ男たちを殺気立たせる。それを制して、ザイアッドは相手を厳然と見据えた。
「軍令は、下ってるはずですが?」
「さあ、どうだったかな。いずれにせよ、我々が陣頭に立たずとも大丈夫だろう。軍律って言葉からはほど遠いだれかさんが、いつにもましてご立派に、獅子奮迅の働きを見せてくれているようだからね」
「そうそう、圧勝、圧勝」
ふたたび将校たちのあいだで嗤笑がひろがった。彼らを見つめる男の目が、眇めるように細められる。その眼光に、熾烈な色の光が加わった。だが不幸にも、男の顔つきと声色が一瞬にして変わったことに、相手はまったく気づかなかった。
「――あんたがたが、そうやって胡座をかいてるその下で、何百って兵が死闘を繰り広げて、いまこの瞬間にも生命を落としかけていても、ですか?」
「むろん、連中には気の毒だと思うがね。そこはそれ、所詮無頼の輩の横行にも気づかず、上からの命令に従うだけが能といった、使い捨て同然の働き蟻どもの悲しいサ…ガッ!?」
エリート将校の得意然とした演説は、無念にも、そこで中断せざるを得なかった。なぜなら、彼のがっちりとしたよく動く顎は、この瞬間に跡形もなく粉砕されていたからである。
べらべらとよくまわる舌を持った彼の悲運は、すぐ背後に立っていた数名にも同時に波及した。勢いよく吹っ飛んだその体躯に巻きこまれ、一瞬にして無様に転倒したその数は4名。
「なっ、なっ……!」
ただの一撃で仲間の半数が床に叩きつけられるという信じがたい光景を目の当たりにした残りの将校たちが、動揺を隠しきれない様子でわずかに後退った。
「きっ、貴様っ、自分がなにをしたかわかってるのか!? 下士官風情が、こともあろうに少佐を――」
「やかましいっ!!」
裏返った詰責の声は、大音声の一喝によって撥ね除けられた。
将校たちはヒッと首を竦めた。彼らはここにきてようやく、自分たちが触れてはならぬ逆鱗に、命知らずにも爪を立ててしまったことに気づいたのだった。
恐怖に蒼褪め、畏れ戦く愚かな連中をまえに、男は烈火となって噴き上がる瞋恚を、これ以上ないほどの勢いで爆発させた。
「無頼の輩、おおいに結構だよ。べつに俺は、おまえらみてえな性根の腐りきった連中に、なに言われたって痛くも痒くもねえからな。だがな、貴様らみたいに自分のことしか考えねえクズどもが、平気で仲間を踏みつけにして、見殺しにすんのだけは我慢ならねえんだよっ。バカ正直に他人信じて、その結果、裏切られて命奪られたんじゃ、代償があんまりでかすぎんだろうがっ!
生命の重さに違いなんぞあるもんかよっ! だれだってみんな、自分のことは可愛い。他人より少しでも長く生きたきゃ、ラクしたりイイ思いだってしてえだろうよ。あんたらの言うこた、それなりにわからねえでもねえ。けどな、軍人て職業選んだからには生命張んのがあたりまえだし、お山の大将じゃねえんだから、それなりの階級と役職に就いた人間には、相応の果たさなきゃならねえ義務とか責任てやつがあるんじゃねえのか? おたくら将校の仕事は、少しでも多くの部下や兵どもを生かすことであって、自分が助かるために、下っ端犠牲にして高処の見物決めこむことじゃねえんだよっ! 配下があっての将校さまだろがっ!」
言うなり、男は手近にいた大尉の胸倉を乱暴に引き寄せた。
「俺はな、えらく気がみじけえからいっぺんしか訊かねえけどよ、いますぐ心を入れ替えてお仕事に専念するのと、ちょいと早すぎる退役を迎えるのと、どっちを選ぶ? もっとも、働く気がねえんなら、こういう頑健な躰は無用の長物ってことになるよなあ?」
軍靴の爪先で軽く脛を蹴られながら猫なで声で迫られ、青年将校は心底から慄え上がった。
「わ、わかった。卿の言うとおりだ。私が間違っていた。心を入れ替えるとも。ああ、いますぐにっ」
「賢明な選択だ」
男は相手を突き放すと、狼狽える面々に鋭い視線を向けた。
「さっさと持ち場に戻れっ!!」
大喝されて、気位ばかりが高い能なしのエリートたちは這々の態で四散していった。足もとに転がっている少佐とその下敷きになって一緒に伸びているお仲間たちは、そろって見捨てられたようだった。もっとも、正気づいたが最後味わうことになる地獄の苦しみを思えば、このまま失神させておいたほうが本人のためにも親切というものであろう。
無言で歩き出したザイアッドのあとに、彼の部下たちは緊張の面持ちで黙って従った。隊長の怒気が完全に冷めていないことを承知で、副官のキムが全員を代表してそろそろと男に近寄ってみる。
「……軍曹、なんかあったんで?」
「なにがだよ」
男はむっつりと前方を見据えたまま、不機嫌に応えた。
「いやその、お怒りはごもっともなんですが、いつにもまして加減がなかったというか、容赦がなかったというか……」
「うるせーな、ぐだぐだと。どうだっていいだろが、んなこと。おまえらバカが短慮おこさねえように、俺が代表で躰張ってやっただけだろ」
ぶっきらぼうな返答に、隊員たちは互いに顔を見合わせた。やはり、なにかがあったのだと思わざるを得ない態度だった。
そもそも、いまでこそ軍服に着替えてなんでもなさそうに走りまわっているザイアッドだが、軍に戻った当初は、それこそ血みどろの状態で、キムをはじめとする隊員たちは危うく腰を抜かすところだったのだ。
服にべったりとついた血糊は、すぐにザイアッド本人のものでないことが判明してひとまず安堵したものの、男の赤紫に腫れ上がった左頬は隠しようもない。男は、それについて言及することは決してなかったが、自分たちの隊長がおとなしく他人に殴られるような人間でないことを知悉している彼らにしてみれば、不安とも心配ともしれぬ感情を捨て去ることはできなかった。
あまりしつこく問い質して、これ以上男の機嫌を損じてはと思うものの、キムはなおも遠慮がちに訊いてみた。
「ひょっとして、《Xanadu》で、なんか揉めごとでもあったとか?」
「だから、なんもねえってばよ」
「はあ、そんだったらいーんすけど……」
羆を思わせる巨漢が歯切れの悪い口調でもごもごと口籠もると、空腹時の猛獣のように気が立っている彼の上官は、眉間の皺をさらに深くした。
「――さっきから、いったいなにが言いてえ?」
鋭い一瞥を投げつけられて、キムは文字どおり飛び上がった。
「い、いやっ、べつになんも……っ」
「それがなにもって面か! 言いたいことがあったら、はっきり言え!」
「いや、だからそのっ、れっ、例の別嬪と痴話喧嘩でもしたんじゃねえかと……」
「痴話喧嘩ァ?」
思いもしなかった言葉に、ザイアッドの表情から一瞬にして険が消えた。
「別嬪って、どの別嬪のことだよ? ルシファーのことか?」
「いや、じゃなくて……軍曹がハニーとか呼んでる……」
「俺がなんであいつと揉めなきゃならねえ? いくら大人びて見えたって、ひとまわり以上も年下のガキだぞ?」
「でっ、でもその……」
キムの視線に気づいた男は、途端に憮然とした表情を浮かべた。
「バカかおまえは。掴んだら折れそうなあのか細い腕に、こんな馬鹿力、出せるわけねえだろ」
「え……、じゃ、いったいだれが……」
「うるせーよ。亭主の浮気追及する口うるせー女房か、てめえは。顔半分ミイラみてーに布っきれ巻いた奴に、とやかく言われたかねえんだよ」
「す、すんません」
巨躯を精一杯縮こまらせて、叱られた仔犬のようにしょげかえる哀れな副官の姿を見て、ザイアッドはわずかに態度をやわらげた。
「べつに、おまえらが心配するようなことはなんもねえよ」
小さく息をつく男の様子を窺うように、キムは上目遣いで男の横顔を盗み見る。ザイアッドは、そのキムをチラリと横目に見やって言った。
「ってゆうか、そもそもなんで痴話喧嘩なんだよ。どっからどう見たって、ありゃ男じゃねえか」
「そーっすけど、でも軍曹が――」
「あれ、まさかおまえ、こっち系?」
男が左頬に右手の甲の側を軽く添えてシナを作ると、見かけによらず純情な副官は、たちまち茹で蛸のように真っ赤になった。
「ぐっ、軍曹っっっ!」
「悪い。俺、差別も偏見も持たねえ主義だけど、そっちのケはまるっきりねえんだわ。すまねえが、ほかあたってくれや」
「オッ、オレだってそんなシュミないっすよっ! 冗談じゃねえ、ただでさえ野郎ばっかのむさっくるしい職場だってのに」
半泣き状態でキムはみずからの潔白を主張した。
「軍曹がはじめに言ったんじゃないすか、最高級の美形と最悪の醜女だったら美形のほう選ぶって」
「ばっかじゃねえの、おまえ。んなわけねえだろ。いくら綺麗な面してたって、野郎は野郎だろがよ。ブスだろうがおかちめんこだろうが、女択るに決まってんだろが。暗くしちまや、そんなもんわかんねえんだからよ」
「そんなぁ」
「もいっぺん男として一から修行しなおしたほうがいいぞ、キム」
情けない顔でついてくる副官を、男はいつもの調子に戻って茶化した。隊員たちは、その様子を見て、喫緊の事態が起こったわけではなさそうだとひそかに安堵した。
だが、仲間たちの緊張がゆるむ中、キムは独り表情を昏くした。彼は、本当に訊きたかった質問を、ついに口にすることができなかった。
長年行動をともにし、もっとも身近に接してきた彼だからこそ、男の言動の中からさとらざるを得ないものがあった。おそらくこの戦いが済んだ後、己の上官が軍に残ることはあるまい、と。
ザイアッドもまた、最後までそのことを口にすることはなかった。




