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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第2部 楽園編
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第38章 全能神(5)

 ――気がつけば、殺伐とした光景がそこにひろがっていた。


 シヴァは、身じろぎすら忘れてその場に立ち尽くした。その視線の先で、赤毛の女傑の一の子分を自負する少年が、カルロス・グレンフォードの躰をその辺から引っこ抜いてきた配線コードで縛り上げていく。


「大丈夫か?」


 声をかけられて顧みると、なおも背後から支えるように自分を抱いていた男の、しずかな視線が降ってきた。

 青年は、血色の戻らない顔に、それでもなんとか笑みを浮かべて頷いた。


「大丈夫です」


 男の視線で、彼ははじめて自分が無意識のうちに首筋を押さえていたことに気がついた。あわてて下ろした途端、手の内に隠されていた部分が露わになる。雪花石膏アラバスターを思わせる肌を染める忌まわしい口吻の痕。寒気をおぼえる不快な感触は、いまなお生々しく残っていた。


「赤くなってるな」


 男に指摘され、シヴァは顔を背けた。


「――すぐに、消えます」


 俯いた青年を、ザイアッドは無言で見下ろした。が、その肩を、不意に引き寄せた。よろめいた青年が倒れこむタイミングで、男はかがむ。


「解毒剤だ」


 言うなり、ザイアッドは繊細なラインを描くすべらかな頬に、派手な音をたてて口づけた。


「な……っ!」


 ギョッとして頬を押さえた美貌の青年を、男はカラカラと笑って解放した。そして、さりげなくそのまま背を向けた。


「ラルフ……?」

「スラムの化け物どもと、ケリをつけてくる」

「――! ラルフ!」


 気遣わしげに呼び止めた青年に、ザイアッドは肩越しに振り返り、悠然と笑んだ。


「心配すんな。きっちりカタをつけて、すぐに戻る」


 言い置いて、男は去っていった。


 ――赤紫に腫れ上がった口唇の傷が、痛まなかったはずはない。


 思い至って、シヴァはあらためてみずからの頬に触れた。

 それは、如何にもの男らしい慰めかただった。

 そして――



「クローディア……」


 翼が声をかけると、女は仲間たちから背を向け、膝に愛人を抱きかかえたままボソリと言った。


「行ってちょうだい。私たちのことは放っておいて」

「でも……」


 躊躇する翼の腕がやんわり引かれる。振り向いた翼に、シヴァが無言でかぶりを振った。かわりに、みずからが歩み寄ると、青年はふたりの傍らに膝をついた。

 クローディアに抱きかかえられるヴィセラスの瞼は、すでにかたく閉ざされて、動く気配もなかった。けれどもその顔からは、これまでつねに彼を支配してやまなかった深い絶望の色が、きれいに拭い去られていた。

 視線を交わしたあの瞬間に、彼の中で、すべての思いは溶解したのだろう――


「母を、あなたにお返しします」


 低く囁き、シヴァは手にしていたファイルをヴィセラスの掌中にそっと握らせ、立ち上がった。


「行きましょう」

「――うん」


 促されて、翼もまた、クローディアを案じながらも青年のあとにつづいた。


「アニキ、大丈夫か?」


 ふと、声のしたほうへ翼が視線を向けると、縛り上げたカルロス・グレンフォードを移送機に放りこんできたレオが、舎弟に付き添われながらこちらへ近づいてくるところだった。頼もしい女傑は、翼と目が合うなりニヤリと笑った。


「妙な救出劇になっちまった。感動の再会もなにもあったもんじゃない」

「そんなことないよ。絶対来てくれるって信じてた。こうしてまた会えて、すごく嬉しい。――怪我は?」

「平気さ、かすった程度だからね。あたしよりディックのほうが心配だ」


 言って、額から血を流している少年を見下ろすと、レオは茶目っ気たっぷりに付け加えた。


「バカなうえに、あんなに何遍も頭を殴られたんじゃ救いようがなくなっちまう」


 途端に少年は、ぷうっと頬を膨らませた。


「なんだよ、人をバカの権化みたいに」

「おや、おまえでも『権化』なんて言葉、知ってたかい?」

「アニキ!」


 ふたりのやりとりに、翼はわずかに心をなごませた。


「翼」

「ん?」

「パットがね、あんたにありがとうって、言ってたよ」


 一瞬ハッとした彼を、相棒がじっとみつめている。翼は、さとらざるを得なかった。


「うん、わかった……」


 やりきれない思いを抱えて歩き出すと、自然、口から重い吐息が漏れる。すぐまえを歩いていた青年が、それに気づいて声をかけてきた。


「大丈夫ですか?」

「あ、うん。僕はね」

「そうは見えませんが」

「いや、なんていうか、自分の無力さ加減にちょっと自己嫌悪」

「そんなことはありません」


 青年は歩調をゆるめて翼と並ぶと、穏やかに言った。


「あなたはいつだって、自分が正しいと思ったことにまっすぐにぶつかっていく。たとえそれが、無謀なことだとわかっていても。そのことで救われる人間も、ちゃんといます。武器を持って戦うことだけが手段ではない。私はそう思います」

「シヴァ……」

「先程は、ありがとうございました」


 青年は、その麗容に優しげな微笑を含ませて、心からの謝意を述べた。

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