第38章 全能神(4)
「だけどさ、いまの話からすると、その声紋システムを悪用しようと思えば、いくらでも応用可能ってことだよね? あんたの声を録音して、それを音響分析にかけてうまく『カルロス・グレンフォード』を作り出しちまえば、ジュピターを従わせることは簡単にできる。違うかい?」
「情緒を理解しない人間なら、すぐにも思いつきそうな発想だな」
「ジュピターは所詮機械だからね。あんたの声と判断すれば、疑いもせず言いなりになるだろ?」
「だからこそ、『彼』には私を解らせる秘密のパスワードを設定している」
「へえ、パスワード。そりゃまた用心深いことで」
「この世で信じられる者など自分しかいない。君は、そうは思わないか?」
「さあ、どうかな」
レオはとぼけたように答えた。
「たしかにあたしは、いままで自分の腕を頼りにやってきたけどね。おかげさまでというか、フリーの身でも他人に頼る暇もないほど繁盛してるもんで、人間不信に陥るような裏切りにあった経験は、いまのところないかな」
「君は本当におもしろい人間だ」
カルロスは心底愉快そうに笑った。
「エリスの高貴なる知性と比類なき美しさも捨てがたいが、君もなかなか見どころがありそうじゃないか。機知に富んでいるうえに、度胸も、強靱な肉体も持ち合わせている。おまけによく見れば、なかなかのハンサム・レディじゃないか。どうだ、私の側につかないかね? 悪いようにはしないよ」
「そうは言っても、あたしも情緒を解しない朴念仁だからね。あんたやジュピターと、うまくやっていけるとは思えないな」
「そんなことはない。君ならきっと、私のパートナーとして申し分ない働きをしてくれるだろう」
「他人に命令されるなんて、まっぴらだね」
「魔法の言葉をかければ、君も必ずや従順になる」
「ジュピターみたいに?」
「そうだとも」
「無駄じゃないかな、暗示にはかかりにくい体質だからね」
「君もまた、心がけ次第で〈神〉への栄光に近づくことができる。試してみる価値は充分あるはずだよ」
「悪いけど、あたしはそんなものに興味はないね」
「これっぽっちも? そんなはずはないだろう。君にだって、少しくらい願望や欲望はあるはずだ」
「あるかもしれないし、ないかもしれない。だけど、あんたに答える義理はないね。あたしはたとえ魔法の言葉をかけられようが、あんたの言いなりになって、簡単に尻尾を振ったりはしない。絶対にね」
「……ひょっとして、君はその『魔法の言葉』を、私から聞き出そうとしているのかな?」
話の流れに違和感をおぼえたカルロスの眼差しの中に、猜疑の色が混じった。レオはそれを平然と受け止め、それどころかニヤリとふてぶてしく笑い返してみせた。
「おや、バレちまったかい? けど、言葉だけ聞き出しても意味はないんだろ?」
「ああ、そのとおりだとも。機械の合成音であっても、意味を成さない。ジュピターは私の肉声にしか反応しない。そう調教されている」
「なら、いまここであたしが魔法の言葉をかけられたところで、どってことないわけだ。あんたがじかにジュピターに話しかけなきゃ意味がないっていうならさ。ま、どうせ効かない魔法になんか、こっちは興味もないけどね。あんたは自分に従順な機械だけ飼い慣らして満足してりゃいいよ。どんなに美味しい餌をチラつかせたって、結局は、ほんとにあたしが欲しいってわけじゃないんだろ?」
「そんなことはない。いまの発言を聞いて、私はますます君が欲しくなった」
「あたしは安くないよ」
「どの程度なら自分に見合うと考えている?」
「ジュピターを手懐ける言葉」
言下に言い切ったレオに、カルロスは瞠目した。そして直後に、今度こそ本当に愉快でたまらなさそうに大笑した。
「無欲だ、興味がないなどと言っておきながら、じつにあっさりととんでもないことを要求する! まさか本気で、この私と同等の権利を欲していようとはな!」
「ジュピターとおなじように、ほんとにあたしも手懐けたいと思ってるなら、そのぐらいの見返りを要求したっていいだろ」
「君は本当に、それだけの価値が自分にあると?」
「さあね。それを決めるのはあたしじゃなく、あんただろ? あたしはべつに、無理にとは言わないよ。さっきから言ってるように、〈神〉の栄光なんてものに興味はないし、たとえだれであろうが、命令されるなんてまっぴらだからね。そのあたしをどうしても手に入れたいというのなら、その本気を示すためにも、あたしの価値に見合った取引に応じるべきだろ?」
「なるほど、よくわかった」
カルロスはなおも愉快そうに笑いながら頷いた。
「いいだろう。ますます本気で君が欲しくなったよ。私以外には決して懐かない魔法の言葉を、君にもかけてやるとしよう。そうすれば、少しは態度をあらためるかな?」
「さあね。魔法の言葉とやらを聞いてから考えることにするよ」
「どこまでも強情な。いいだろう。それもまた手懐け甲斐があるというもの」
言って、カルロスは睦言でも交わすかのようにレオの耳に口許を寄せた。レオが黙って耳を傾ける。カルロスは、その耳に向かってなにごとかを囁いた。
「へーえ……」
瞬間、レオの目がキラリと光った。
赤毛の女傑はおもむろに表情を一転させると、不敵な笑みを浮かべた。と同時に、羽交いじめにしていたカルロスを突き飛ばす。そして立ち上がるなり、右腕の銃創を勢いよく踏みつけ、悲鳴をあげてのたうちまわる男を後目に、先刻以来、回線を開きっぱなしにしていた通信機に向かって話しかけた。
「ってことらしいよ。いまの単語、しっかり記録できたかい、ルシファー?」
レオの問いかけに、イヤホンを通じて低い笑い声が伝わってきた。
「ああ、お手柄だ。あんた、やっぱり最高にイイ女だな、レオ」
「な……っ、いったいなにを……っ! どういうことだっ!?」
床に転がるカルロスが、身を捩って喚き散らした。自分が足蹴にしているその男を、レオは腕組みをしたまま傲然と見下ろした。
「どうもこうもないよ。はじめっから言ってるだろ、あたしは情緒を解さない朴念仁だってね。ついでに何度も言うように、〈神〉にも、夢の世界で謳歌できる栄耀栄華にもまったく興味がない。地に足をつけて生きてるいまの自分に、充分満足してるからね」
「貴様っ! 騙したな!!」
「あたしの言葉を勝手に都合のいいように解釈して、ひっかかったのはそっちだろ。この世で信じられるのは自分だけ――そう言ったのは、あんたじゃないか。あたしはあんたに味方する、なんてひと言も言ってないよ」
「く…っ!」
屈辱に顔を歪めた男は、しかし、なおも往生際悪く、強気な態度で口の端を吊り上げてみせた。
「私がそう簡単に大切な秘密を漏らすわけがないだろう。おまえごときに真実を打ち明けたりなどするものか!」
「それならそれで、べつにかまわないよ。そんなの試してみりゃ、すぐに判ることなんだから。けど、あんたの自尊心と征服欲はめいっぱいくすぐってやったからね。ちょっとくらいは自分のエライところをひけらかして、珍しく自分に尻尾を振ろうとしない不遜なひねくれ者を屈服させてみたくなっただろう? あんたは自分が上位者であることにも、他人から諂われることにも慣れきってる。人間、自分が優位な位置から相手を見下したときには、案外無防備になるものさ」
「おまえの魂胆が見え透いていたから、乗せられてやったふりをしたまでのことだ。あんな言葉に効力があるわけないだろう! ひっかかったのはそっちだっ」
「だからそれでもかまわないって言ってるじゃないか。確かめりゃ済むことなんだから」
言いながら、レオは自分の通信機の通話パターンをスピーカーに切り替えた。音量を充分に上げた通信機から、抑揚のない独特の機械音が流れてきた。
〔コチラハ バイオサイエンス研究センター ブレイン・システム第3プロジェクト研究室 メイン・コンピュータ『ジュピター』――
各研究グループノ 管理データニ アクセススル場合ハ 次ノ操作手順ニ従イ 照合手続ヲ 進メテクダサイ〕
スピーカーから流れ出る自動音声に、男の顔色が、あきらかにそれと変わった。
キーを叩くかすかな音がわずかにつづいた後、コンピュータのロックが解除される特有の軽快音が鳴り響いた。
〔照合手続ガ 完了シマシタ〕
「や、やめろ……。なにをする気だ」
カルロスの額に、じわりと汗が浮かぶ。
「レオ、パネル操作じゃ経過が伝わりにくいだろうから、ここから先は、音声入力に切り替えるぞ」
男の焦燥を感じとったように、通信機の向こうからルシファーが語りかけてきた。
「そうしてもらえるかい? そのほうが臨場感があって、こっちも楽しめるよ」
「オーケー」
笑って、ルシファーが次の手続きに入る。
〔続イテ 接続先ノ 実験登録ナンバー 及ビ コードネームヲ オ答エクダサイ〕
「実験登録ナンバーOB-0001。コードネーム『神の子羊』」
〔――ソノ情報ニ アクセススル場合ハ 登録サレタ声紋ニヨル パスワードノ照合ガ 必要デス〕
「わかってる」
「や、やめろ……」
虚しく宙を掻きながら、カルロス・グレンフォードが掠れた声を絞り出す。その表情からは、先程までの余裕は完全に消し飛んでいた。
〔パスワード プリーズ〕
「やめろっ、ジュピター……ッ」
「『メメント モリ』」
「よせっ! そいつは偽物だっ!! 言うことを聞くんじゃないっ!」
男の絶叫に、解除音が重なった。
〔声紋確認 完了シマシタ 実験情報ヲ 呼ビ出シマシタノデ 次ノ操作ヲ ゴ命令クダサイ〕
「制御装置のプロテクトを完全解除したうえ、『神の子羊』に関する全データを抹消しろ」
〔組織細胞ノ分解処理ハ 行イマスカ?〕
「徹底的に消し去れ」
〔了解イタシマシタ 実験登録ナンバーOB-0001 コードネーム『神の子羊』ハ コレヨリ 制御装置ノプロテクトヲ 強制解除シ――〕
「ああっ、やめろっ、ジュピターッ、やめろ……っ! 頼む、やめてくれっ。やめろーぉっ!! ヒイィィィーッッ!!!」
顔を掻き毟るように両手で覆い、カルロス・グレンフォードは天を仰いで奇怪な絶叫を咽喉の奥底からほとばしらせた。
「『メメント モリ』――不死を望んだ人間が『死を想え』とはな。たしかにカルロスは、情緒を讃美する究極のロマンチストだったようだ」
満足げな笑いを残して、ルシファーは通話を切った。同時にレオは、カルロスの首筋に手刀を叩きこむ。そして、力を失ったその躰を床に転がした。
今度こそ、終幕は訪れた――




