第38章 全能神(2)
「なるほど、随分とおもしろいものを見せてもらった」
くつくつと嗤いながら、カルロスは管制室に入ってきた。進路の途中にあったヴィンチの遺体を、ゴミでも扱うように蹴ってわずかにどかす。そして、目の前に立つふたりの人物に、それぞれ舐めるような視線をじっくりと這わせた。
「――数年前に消息不明となったまま行方が判らないはずのシルヴァースタイン家次期ご当主と、死んだはずの我が末の弟君。意外な場所で、意外な組み合わせのふたりに会うものだ」
翼は瞠目して、ザイアッドを視つめた。同様に、狼もまた、一瞬怒りを忘れたような顔で振り返る。だが、カルロスを見据える男の険しい表情は動かなかった。おなじく、陶器のように白く血色を失った顔で次兄を見返す美貌の青年も、微動だにしない。
カルロスはうっすらと笑みを刷いたまま、中央のメイン・コンピュータに歩み寄ると、ごく慣れた手つきでパネルを操作しはじめた。その背に、シヴァが足もとから拾い上げた銃を向けようとする。それを、傍らの男が制止した。
蒼褪めた表情のまま、問いかけるように見上げる青年に、ザイアッドは黙って目顔で制した。
「言っておくが、私になにかしようと思っても無駄だよ」
その動きを見透かしたように、すかさずカルロスが言った。
「いましがた、警備システムの設定内容をセキュリティ・ルームで変更してきたところだ。私がボタンひとつ押せば、防犯装置が作動する。最初にレーザー砲の的になってもらうのは、だれがいいかな?」
コンピュータの操作をつづけながら、カルロスは歌うように言った。手もとの手動スイッチを、これ見よがしにチラつかせることも忘れなかった。
「アドルフのくだらない茶番になど、これ以上つきあってはいられない。私は《ウィンストン》に戻るが、一緒におつきあい願えるかな、エリス。それからサー・ラルフ・シルヴァースタイン」
「――俺たちを人質にとって、なにを企むつもりだ」
カルロスの言葉を受けて、ザイアッドがはじめて口を開いた。カルロスは愉しげに笑って男を顧みた。
「人質などとんでもない。グレンフォード財閥は、本日かぎりをもって我が手中に落ちた。新組織は人材に事欠くものでね、優秀な君たちに、ご協力願おうと思ったのさ」
「新総裁就任披露の件はどうなっている?」
「さてね。そんなものは私には関係ない。愚かな六男坊は、どうやら父から受け継いだものが気にくわず、すべて叩き壊そうとしているようなのでね。グレンフォードなどなくなっても、財閥の機密データさえ入手できれば世界は私のものになる。それも、未来永劫にわたって――
協力するならば、君たちにもその栄光と栄誉を分け与えてやろう」
得意の絶頂でカルロスは演説を締めくくり、内ポケットから取り出したデータ・ファイルを陶然とした眼差しで見つめた。その舐めるような視線が、ねっとりと糸を引くように移動する。そして、ある一点で静止した。
「エリス、可愛い我が弟。ついでに、もうひとつのデータもこちらへ引き渡してもらおうか。ああ、もちろんわかっているとは思うが、この場合、『否』という選択肢は当然、存在しないよ」
促されて、青年は口唇を噛みしめた。だが、やがてザイアッドの手に銃を戻すと、メイン・コンピュータに近づいた。
「シヴァ!」
「いい子だ、エリス。おまえは賢く、そしてとても美しい」
言われるまま、コンピュータを操作する青年の傍らに立ったカルロスは、なおも舐めるようにその横顔をじっくりと観察した。青年の硬い表情に、嫌悪が浮かぶ。それすらも味わうように眺めつくした後、男はほっそりとしたその肩に腕をまわして、思わせぶりに撫でおろした。
「――っ!」
怖気あがった青年が、ビクンッと身を慄わせる。その反応を娯しむように、カルロスは細い首筋にみずからの口唇を寄せ、一瞬のうちにきつく吸い上げた。
たまりかねた青年が、小さく悲鳴をあげて男を突き飛ばした。
「さっ、触らないでくださいっ!」
首筋を押さえ、怯えきった表情で後退りする青年の繊細な麗容を見て、カルロスは心底愉快そうに嗤った。
「そんな顔をすると、ますます力ずくで手込めにしてやりたくなるな。イザベラそっくりの表情をする」
「なん……っ」
「気位も知性も高いぶん、おまえのほうが、より征服のしがいがありそうだ。そうだな、当分カルロスでいて、おまえを『妻』に娶るのも悪くはないかもしれない。女の躰ならば、いくらでも簡単に用意できる。いや、いっそのことおまえの母の躰を培養して、そこにおまえを移してしまおうか。それならば娯しみも倍になろうというもの」
くつくつと不気味に嗤う男を、瞠かれたプルシャン・ブルーの瞳が凝視した。
母は、まさかこの男に――
愕然とする青年の目が、不意に、カルロスの背後にいる人物のそれと合った。自分と、たしかにおなじ血を引く存在。瀕死の状態で倒れ、女に抱えられながら、それでもしっかりとこちらを見据えるロイヤル・ブルーの瞳。
その目が、かすかに頷くように瞬かれた。
「さあ、はやくデータを渡すんだ」
ヴィセラスの存在に気づかないカルロスが、勝ち誇ったように催促する。
我に返ったシヴァは、緊張した面持ちでふたたびコンソールに近づいた。パネルを操作しながらさりげなく周囲の様子を窺うと、ザイアッドとレオが、すでにしっかりと臨戦態勢に入っていた。
アドルフ・グレンフォードから転送されたデータを、青年はファイルに保存する。そのROMチップを、次兄に差し出した。カルロスが満面の笑みを浮かべて近づいてくる。その背後で、クローディアに支え起こされたヴィセラスが、ゆっくりと撃鉄を起こした。
気配に気づいたカルロスが、ハッとして振り向く。刹那、銃口が火を噴いた。
「ぐあっ!」
右腕を押さえてカルロスが蹲り、その瞬間、コンピュータの卓に手をついたレオとザイアッドが、同時に床を蹴って操作スペースに飛びこんできた。青年の腕を強く自分のほうへ引き寄せたザイアッドが、カルロスの持つレーザー砲の手動スイッチを撃ち抜いて弾き飛ばした。そして、
「軍曹っ!」
カルロスの背後から一気に間合いを詰めたレオが、その腕を瞬時に捻り上げ、グレンフォードの機密データ・ファイルを取り上げて抛った。あわてて取り戻そうと伸ばしたカルロスの手を、レオはさらにがっちりと押さえこんで羽交いじめにした。
「お、のれ……っ!」
シヴァを抱きとめてデータ・ファイルを受け取ったザイアッドは、憎悪と屈辱に顔色をどす黒く変色させたカルロス・グレンフォードを侮蔑をこめて一瞥した。
「俺の大事なハニーに気安く触るんじゃねえよ、変態ヤロウ」
吐き捨てるように言って、男は表情をあらためると、コンソールの向こう側に佇立したままの人物へと視線を向けた。
「相棒の仇をとってやれ」
言うなり、データ・ファイルを空中に投げ上げる。放物線を描いて飛んだファイルは、次の瞬間、数発の銃弾に貫かれて辺りに砕け散った。
「わっ、私の《楽園》が……」
愕然とした表情で呻いたカルロスは、その場にがっくりと膝をついた。
それへ向けて、狼はさらに銃口を向けた。その殺気に恐れをなして、カルロスが全身を硬直させる。だが、冷めきった表情で標的に照準を合わせていた狼は、結局、ひと言も口を開かずに銃を下ろすと、そのまま背を向けた。
無言で立ち去っていく彼のあとに、配下の少年たちがつづく。刹もまた、少年たちの手によって運び出されていった。
厳かなその葬送を見送った後、訪れた沈黙を裂いて、不快な、低い笑い声が響きわたった。振り返ると、全員の視線の中で、レオに押さえこまれたままのカルロスが肩をふるわせて高笑していた。




