第36章 栄光の一族の闇(5)
「あんたには筒抜けってわけか」
皮肉混じりのセリフは、あっさりと受け流された。
「それっぽっちで、とてもこんなご立派な都市まるごと買えるとは思えんがね」
「なに、貴公と私の仲だ、特別にまけておくよ」
カードを受け取った紳士は涼やかに笑った。
「それに、都市まるごとひとつなどと無謀なことも言うまい。現段階で完成している、この中枢部のみでかまわない。《Xanadu》も、これ以上は手をひろげるつもりもないのでね」
「へえ?」
「――軍曹、《楽園》は、所詮、何者の手にも届かないところにあるから人は焦がれていられる。そうだろう?」
「あんたんとこのクソ親父が始めたこった。俺には関係ないね。それより、俺は面倒ごとはゴメンだからな。煩わしい手続きは全部そっちで請け負ってくれよ。俺は、おもてにはいっさい出ないからな」
「承知した」
アドルフ・グレンフォードは執務卓上のコンピュータを操作し、おそらくは財閥が投資した建設費用と等価とまではいかないまでも、充分契約に見合うであろう価値のある電子カードを差しこんだ。
目顔で促され、ザイアッドは執務卓に近づく。コンピュータの指示に従って、暗証番号等、認証事項をいくつか入力し、最後にコンソール中央のパネルに遺伝子パターンを読みこませた。ロックの解除と同時に画面に表示された金額及び手続内容にざっと目をとおすと、ザイアッドは、いとも無造作に巨富全額を手放す旨の同意ボタンを押した。
「しかし、おたくも随分変わってるな」
自分を完全に棚上げして、男は暴言を吐いた。
「なにを好きこのんで、せっかく手に入った玉座を自分の手で叩き壊しちまうかね。黙って座っときゃ、いやでも世界を支配できたってのに」
「なんのこだわりもなく巨億の金を手放した君に言われると、不本意な気もするね」
「なにを仰いますやら。俺はそんな無欲じゃないぜ。ちょいとでかい買い物をしたってだけで、動産が不動産に換わったぐらいだからな。資産価値は、むしろ高騰したんじゃねえか?」
「表向きはね。その後、君がその『不動産』をどうするかは、大体のところ想像はつくが」
「どうしようと俺の自由だろ、俺のモンなんだから。勝手な想像で、人を善意の塊に仕立て上げないでもらいたいね」
不快げに男は言い放った。
「そんなことより、スラムの化け物どもをひっこめてもらえると助かるんだがな。真の親玉は、表立って悪事働いてる小悪党じゃなく、あんただろ?」
「ご推察のとおりだが、撤退はさせないよ。なに、手加減は無用だ。存分にやりあってくれたまえ。貴官らなら、あのぐらい片すのも造作もなかろう」
「奴らがまともな人間だったらな。だが、ありゃ反則もいいとこだ」
「だからこそ君らの司令塔は、完全な素人集団である自分の配下ではなしに、戦闘のプロである軍を差し向けたんだろう? いくら個々の身体能力レベルが高くとも、それだけでは限界がある」
「専門知識と集団訓練積んだうえでの実績があったって、こっちゃ生身の人間だぞ。いくらそれで給料もらってるとはいえ、あんたひとりの勝手な都合に命張る義理はないね」
「まあ、そう言わずに」
グレンフォード新総裁は苦笑した。
「軍の活躍ぶりは、戦闘区域内各所に設置された監視カメラが余すところなく撮影しているはずだ。画像データは、式典会場の様子と一緒にリアルタイムで《首都》のマスコミ各社に転送されている」
「あんた、なんだってそんな……」
「容易に推測がつくとも」
「ああ、そうだろうよ。だが、なんだってそう平気な顔で笑える?」
平静すぎる相手のさまが、男には不気味にすら思えた。
短い沈黙があった後、アドルフ・グレンフォードは口を開いた。
「これは、万物に通ずる真理だと思うが、自己の限界を知らずに肥大化したものの寿命は、たかが知れている。明るい見通しなど、必然としてありえない。己を維持するだけの充分なエネルギーが末端までまわらないからだ。当然、機能が働かなくなった場所から腐敗は始まり、それは刻々と時を経るごとに中枢に向けて侵蝕をひろげ、深刻化していく。
グレンフォードは、我が父一代の力によって現在の地位を確立した。一見、その築き上げた栄華は、グレンフォードあるかぎり不動のものですらあるように感じられる。だが、やはり――」
「限界は見えつつある、か?」
「中枢からの指令が行き渡らず、膿んでいることはたしかだね」
「で? あんたとしては、この際、多少荒療治でも、腐った四肢は切除しちまおうって考えたわけだ」
新総裁は、うっすらと笑ったのみで直答を避けた。
「劇薬が過ぎて、自滅しなきゃいいがな」
「ご懸念には及ばないよ。要さえしっかりしていれば、蘇生は容易い」
気負いのない、自信に溢れた言葉だった。
「うちの総大将にしろ、頭のいい人間てのは、かわいげのなさって点で相通ずるもんがあるな」
「最高の褒め言葉だ」
「解釈はご随意に。で? おたくの末っ子の始末はどうつける?」
「ウィンストン・グレンフォードの末子は私だ。如何にグレンフォードとはいえ、死人を生き返らせることは不可能だ」
「結構」
男はその回答に満足した。
「さて、そんじゃ、招待客としての俺の役割も終わったようだし、そろそろ暇乞いをするかね。どーも、お邪魔さま」
飄然と言って、男は身を翻した。その背へ向かって、アドルフ・グレンフォードは言った。
「イザベラは、いましがた彼女の息子に返した」
出口に向かいかけた男の足が、ぴたりと止まった。
「軍曹、あとのことを、よろしく頼む」
「――あんたに頼まれる筋合いはねえよ。俺は、身の程知らずにも、この俺に刃向かおうってバカなヤロウが現れれば容赦なく叩きのめす。それだけのこった。これまで、そうしてきたようにな」
出ていく際、男は、もうなにものにも視線をとどめなかった。が、最後に。
「幸せにな」
戸口に佇む人物に、すれ違いざま、低く呟いて消えていった。
室内に、静寂が戻った。




