第34章 幻惑の果て(6)
「本当に美しく成長したものだ。心から嬉しく思うよ、エリス」
穏やかに言葉をかける自分を、モニターの向こうから愕然と見返すプルシャン・ブルーの瞳。
数年ぶりの再会は、画面越しであっても、それなりにアドルフを満足させた。
6年という歳月を経て成長したその貌は、《メガロポリス》随一を誇った亡き母の美貌をも凌ぐほどであり、その知性と教養、品位は、母のそれを遙かに上回っていた。
気位の高さ、意志の靭さは、常人には到底御しきれるものではないだろう。
手もとに置きたい。置いて、その才能を余すことなく発揮できる場を与え、存分に育ててみたい。
親族、殊に父亡きあと、もっとも強力な後ろ盾である長姉マグダレーナの猛反対を押して、その不興を買ったとしても、それは、充分すぎるほど魅力的な考えだった。
自分の血を受け継ぐ存在として愛情を感じたことは、これまでただの一度もない。そしておそらく、そのような種類の感情が自分の中で生じることは、今後もないだろう。
その母である女ですら、彼は少しも愛してなどいなかった。
目映いばかりの美貌に心奪われ、耽溺したのは、ほんの最初だけにすぎなかった。非凡であったのはその外見のみで、女は、所詮ただの女でしかなかった。
愚かで、くだらない生き物。
イザベラ・グレンフォードが、その生涯で成した唯一の偉業は、母であるみずからの性質を引き継がせることなしに我が子を出産したぐらいのことだろう。
実母を手にかけ、グレンフォードから逃れ、公には存在を抹消された人間が、いま、こうして自分のいる場所まで這い上がってきた。そのことに、彼は無上の喜びを感じていた。
自分が手に入れようと腕を伸ばすかぎり、この美しい生き物は全霊で拒み、力尽きるまで抗いつづけるに違いない。
その手応えが、嬉しかった。
《グレンフォード》という一大王朝を築き上げた偉大なる父。
その掌の上から、ずっと抜け出すことができずにいた。だが、それもついに今日で終わる。エリスは、そのための重要な切り札だった。
「エリス、グレンフォードにおまえのための充分な椅子を用意しよう。足りなければ、おまえが欲するすべてを、叶え得るかぎり与えてもいい。私の許へ戻れ」
答えなど、とうにわかっていながら、アドルフ・グレンフォードはあえて強い口調で言った。その顔を瞶め返す相手の瞳に、臆した色は見られない。血色を失った口唇から、暫時の後に謐かな声が漏れた。
「エリス・マリエール・グレンフォードは、6年前に死にました」
答えなど、聞くまでもなく最初からわかっていた。そしてこれから、この青年がなにをしようとしているのかも。
「──そうか」
呟いて、アドルフはかすかに笑った。
「ならばそれでいい。もう、会うこともあるまい」
その言葉に、画面の向こうにある美貌が、あきらかな不審の色を浮かべて眉を顰める。だが、グレンフォードの若き新総裁は、かまわずつづけた。
「おまえに、最初で最後の贈り物をしよう」
言いながら、アドルフは用意していたデータを転送した。受け取ったデータの内容を確認した青年の瞳が、途端に色をなくして驚愕に瞠かれた。
「私が父から個人的に譲り受けたものだ。セキュリティはすべて解除してある。むろん、いっさい複製はしていない。転送を終えた時点で、手もとのデータも自動消去された」
「なぜ……」
「こうするのがいちばんいい。それは、本来、おまえが受け取るべきものだ。どうするかは、おまえ自身で決めるがいい。カルロスに引き渡すも、自分で大切に保存するも自由。私は、おまえの出した結論にいっさい関与しない」
「…………」
「――エリス、おまえにイザベラを返そう」
昂然と告げ、アドルフ・グレンフォードは通信を切った。
これで、逃がした小鳥は2羽。
それから……。
やがて、会場内を映すカメラが唐突に、ある映像を流しはじめたスクリーンをとらえた。ほどなく壇上に、長きにわたり消息を絶っていた高名なる遺伝子工学の権威が現れ、映像の解説をはじめる。
場内にひろがる不安と動揺、混乱が、じかに伝わってくるようだった。
このショウが終わったとき、グレンフォードの名声は、地に墜ちていることだろう。
アドルフは、ひっそりと笑った。
「これで、おまえも満足だろう? マリン」
振り返った視線の先で、続き間のドアの陰から、ひとりの人物が姿を現した。




