第34章 幻惑の果て(3)
翼を中央管制室まで送り届けた後、単独行動に移ったザイアッドは、ホテルに戻ってVIPルームのひとつを目指した。
執拗なまでにエリスに執着した危険人物。
なぜ、もっと早い段階でその正体を見抜けなかったかと、己の迂闊さに腹が立った。
このままで済むはずがない。
白晢の肌、ガラス細工を思わせる繊細な美貌、贅肉や脂肪とは無縁の、すらりとした肢体。他人を決して寄せつけない冷血な雰囲気。
内務省にあって、地上保安維持局長の右腕を勤め上げた男は、偶然にその地位にあったわけではなかった。
一見してすぐにわかる、ある人物との類似点。
その、表面には現れない根深い憎悪が、だからこそ牙を剥く瞬間を待っているはずだった。
あの男は必ず現れる。そして現れるとすれば、その場所は、ただひとつしか考えられなかった。
「軍曹!」
不意に声をかけられ、ザイアッドは鋭い視線をそちらへ向けた。見れば、見知った顔が近づいてくる。
「恐い顔して、独りでどこに?」
「なんだ、おまえ。そっちこそ、こんなとこでなにやってる? 相棒はどうした、刹?」
男の質問に、青年は澄まして肩を竦めた。
「ま、諸事情ありまして。狼ならルシファーと一緒に司令部に詰めてる。俺はちょっと、済ませなきゃならない私用があって別行動とってるんだけど、そっちは?」
「似たようなもんだ。俺もあとで落ち合うことにする」
「そう? じゃあ、後刻ってことで」
「はいよ。なんだか知らねえが、気ィつけろよ」
「軍曹もね」
涼やかに笑って、青年はその場から立ち去った。それを見送ったザイアッドは、視界からその姿が消えるのを待って通信機に手を伸ばした。
「ルシファー、俺だ。なぜ刹に単独行動を許している?」
「刹と行き会ったか?」
「ああ、たったいまな」
「気になるなら、なぜ黙ってやりすごした?」
相手の反応に、男は表情を険しくした。
「おい、軽口叩いてる場合か。あんたの意図がわからなきゃ、こっちだって動きようがねえだろが。どうすんだよ。俺はこのまま、やりすごしといてかまわねえのか?」
「ああ、いまはそれでいい。刹は、造反者のヴィンチの始末に行った」
「……ひょっとして、泳がせてんのか?」
眉間に深く皺を刻んだまま厳しい表情を崩さないザイアッドに、《セレスト・ブルー》の覇王は苦笑をもって応じた。
「言葉は悪いが、そういうことになるかもしれない。接触する人間を知りたい」
「なにを言ってる。そんなのは、とっくの昔にお見通しだろうが」
「まあな。だが、相手の尻尾を掴むいいチャンスなんだ」
「わかった。そういうことなら俺も見逃そう」
頷いて、ザイアッドは通話を切り、そのまま別の回線に繋げた。入れ替わりに画面に現れた人物に、男は単刀直入に用件を切り出した。
「キム、俺だ。どうだ、そっちの様子は」
「まあ、ぼちぼちってとこっすかね」
へへへと愛想よく応じる部下の、お世辞にも造作がいいとは言いかねる顔にはすでに、勇猛な戦いぶりを窺わせる負傷痕が見られた。左眼を覆うように巻かれた白い布には、赤黒い染みが滲んでいる。
「ちょっとの間で、随分男前になったじゃねえか」
「いやあ、テメエの不細工な面にもいいかげんうんざりしてたとこだったんで、ちょうどいいハクがつきましたよ」
「ほかはどうだ?」
「13班はみんな、ピンシャンしてますぜ。ぼんくらぞろいでも、軍曹じきじきに仕込まれた戦闘技術は、ちっとやそっとじゃガタつきも錆びつきもしやせんぜ。ロイスダールにしても、まあ、あのおっさんにしちゃ、そこそこ頑張ってんじゃないですかね」
「そうか」
「軍曹、なんだったらその、なんとかって天国にあるホテルのゴージャスなスイートルームで、午睡でもしててくださいよ。そのあいだに、こっちもパッパと片付けちまいますから。なぁに、あんな奴ら捻り潰すのなんざ、わけもねえ。赤子の手を捻るよりチョロいっすよ」
「天国じゃねえよ、楽園だ。《Xanadu》ってんだよ。どっちだってかまわねえけどな」
どうでもよさそうにザイアッドは言った。
「キム、調子っくれて、あんま暴れすぎんじゃねえぞ。ほかの奴らにも言っとけ」
「へい」
「てめえにもそのうち拝ませてやるよ、お貴族様が寝泊まりする、5つ星ホテルの格調高きプレジデンシャル・スイートってやつをな」
冗談まじりに言ってザイアッドは通信を切り、直後に表情を険しくした。
あまり悠長にかまえてはいられない。ルシファーに資料を渡されたときからわかっていたことではあるが、いくら戦闘のプロフェッショナルでも、所詮、軍を構成するのは生身の人間である。如何に厳しい訓練を積んだところで、身体能力にも限界があった。
ずば抜けて優れた戦闘力を持つキムですら、あの状態なのだ。他の連中が無傷でいるはずもなかった。
バイオボーグもどきのグレンフォードの使い捨て兵器。
製造過程を想像するだに吐き気がした。
悪趣味の極みもいいところではないか。
「楽園が聞いて呆れるぜ」
苦々しく吐き捨てて、男は歩き出した。
それは、『だれ』のための《楽園》であるというのか。
神になれると思い上がった瞬間から、人間が行き着く先に〈希望〉という言葉は存在しなくなるのだ。




