第33章 追憶(2)
コンベンション・センターの一角に仮設した本部で、狼と刹は《Xanadu》のメイン・コントロール・システムへのアクセス権をシヴァから引き継いだ。
司令塔の役割を担うべく、ふたりは内部に潜入している仲間たちの状況を見定めながら適宜指示を出していく。その彼らと、ルシファーはほどなく合流した。
現況についての報告を受けた後、彼らの頂点に君臨する覇王は刹に向きなおった。
「二、三、確認しておきたいことがある」
あらたまったその口調に不穏な気配を感じとり、狼は緊張を浮かべて相棒を顧みた。
ルシファーの言わんとしていることを、あらかじめ承知していたのか、刹の態度に動揺は見られない。すでに覚悟を決めている様子で、無言のうちに先を促した。
「これを作った奴は、だれだ?」
目の高さに示された指先に、硬質の輝きを放つブルー・ダイヤのイヤリングが揺れていた。
「《夜叉》の副頭、ヴィンチが手がけた」
「いま、どこにいる?」
「中央塔の潜伏組の中に加わっている。だが、少しまえに消息を絶った」
あくまで従容と応える青年を暫時静観していたルシファーは、直後、信じがたい言葉を口にした。
「では、潜伏している配下に伝えろ。ヴィンチを捜し出せ、と。見つけ次第、始末。それでこの件は不問にしてやる」
「おい、ルシファー…ッ!?」
驚愕の声をあげたのは、狼だった。ルシファーはその声を聞き流し、硬い表情で立ち尽くす青年を見据えていた。
「──断る、と言ったら?」
拳を握りしめていた刹の口から漏れ出た声は静かで、渇いていた。対するルシファーの眼差しは、冷厳を極めた。
「刹、俺に逆らうのか?」
「あんたに楯突く気はない。だが、命令には従えない」
「おい! ちょっと待てって、ふたりとも!」
剣呑な空気にあわてた狼が、あいだに割って入ろうとした。だが刹は、それを制してわきへ押しやった。
「配下の不始末は、かわって幾重にも俺が詫びよう。だが、内輪のことに余計な口出しはしないでもらいたい。如何に《ルシファー》といえど、そこまでの権限はないはずだ。あとのことは、俺が責任をもって処理する。それで勘弁してもらいたい」
「……いいだろう」
ルシファーは、それで鉾をおさめると、手にしていた装飾品を刹の手に渡した。受け取った刹が、謝意を示してわずかに頭を下げる。そして、そのまま踵を返した。
「刹!」
あとを追った狼の呼びかけに、少し離れた場所まで移動してから刹は足を止め、振り返った。
「なんなんだよ、いまの……」
「ばかだな、そんなに心配そうな顔するなって。大丈夫だよ」
刹は、相棒を思いやるように、やわらかく笑ってみせた。
「べつにルシファーと仲違いをしたわけじゃない。彼はね、俺が動きやすいよう取り計らって、ああして俺の背中を押してくれたんだ」
「背中を……?」
「俺は、甘いのかな」
ふと独語するように言って、刹は自嘲的な笑みを浮かべた。
「俺にとって、仲間は家族同然なんだ。頭ではわかってるのに、どうしても情を優先させたくなってしまう。護らなきゃならない人数のほうが多いって、わかってるつもりなんだけれどね。だから俺は、たぶん一生ルシファーを超えられない」
「おい、待てよ、刹。俺には、なにがなんだかさっぱり……。ヴィンチの奴がどうしたってんだよ。あいつの作ったガラス玉に、なんか問題でもあったのか?」
狼の問いかけに応じて、刹は握っていた掌を無言で差し出し、指を開いてみせた。手の内におさまっていたジルコニアのイヤリング。それをよくよく注視した狼の瞳が、たちまち驚きに瞠らかれた。
「これは……!」
「見事な細工だろう? ルシファーに指摘されなければ、俺でも気づかなかった。埋めこまれている発信機は、残念ながらルシファーの注文によるものじゃない。ヴィンチの独断。だとすれば、あいつには、そうすべき理由がちゃんとあるんだ」
「だけど、刹──」
「いいんだ、もう。誤解でもなんでもない。ヴィンチは造反者なんだ」
「刹……」
「ルシファーが海辺で襲撃を受けて、大怪我をしたことがあっただろう? 彼が《夜叉》を来訪して客人を連れ出したことを知ってたのは、あの場に居合わせたうちのメンバーだけ」
囁くようなひそりとした独白。その口許に、自嘲めいた苦笑が閃いた。
「もともと俺は、あまりメンバーのすることに口うるさく干渉する質じゃないけど、それでもなんとなく、ここしばらくのヴィンチの言動で、奇妙に感じる部分はあったんだ。それがあの一件で確信になった。知ってて今日まで放任しておいたのは、俺の怠慢だ。ルシファーはだから、俺にカタをつけるチャンスをくれた。いまのやりとりは、つまりはそういうことなんだ」
話の枢要は、すべて伏せられていた。語らない刹の心中に去来するものを、狼は複雑な心境で思いやった。
「んだよ刹、水臭ェじゃんかよ。それだったらひと言ぐらい、俺に相談してくれたってよかったじゃねえか。そりゃ、おまえにしてみりゃ俺は頼りねえ相棒かもしんねえけどよ」
「ばかだな、子供みたいに拗ねるんじゃないよ」
刹は笑った。
「助けが必要なことなら、俺だって真っ先におまえに相談したさ。だけどこれは、そういう問題じゃないんだ。俺自身が決着をつけなきゃならないことだから」
やわらかい語調に反して、その眼差しには強い意志がこめられていた。
「狼、あとのことをよろしく頼む」
何気ないはずのひと言に、狼はなぜかドキリとした。
「──ひとりで、大丈夫なのか?」
「大丈夫に決まってるさ、これでも《夜叉》の刹だぞ。おまえの相棒を信じろよ」
裏返した手の甲で親友の額を軽く小突く。刹は、涼やかに笑んで歩み去っていった。
こんなのは、あまりにもおかしすぎる。
狼の中で、ざわつくなにかが警鐘を鳴らした。
ヴィンチの造反。海辺の襲撃。身内の人間の裏切りを知りながら、今日までそれを放任してきた刹……。
本当に? 本当にそれだけなのか、刹。
俺はおまえを、信じていいんだよな。
あとをよろしく――
いつもいつも、だれより身近だった存在。だが、だからといって、知り合って以降のすべての歳月を知っているわけではなかった。
刹には、だれにもなにも告げずにふらりと姿を消し、しばらく音信の途絶えた時期があった。刹のそういった気まぐれは、そのときばかりにはじまったことではなく、それゆえ狼も、最初のうちは、さして気に留めずにいた。だが、そのときにかぎり、刹はなかなか戻らなかった。長すぎる。焦りにも似た苛立ちをおぼえるようになったのは、半年も過ぎたころだったろうか。刹は、それでも姿を現さなかった。
空白の期間は、結局1年以上にも及んだ。ようやく舞い戻った刹の腕には、生後まもない、小さな赤ん坊が抱かれていた。
それを最後に、刹はスラムに腰を落ち着け、アジトを空けることはなくなった。
消息を絶っていたあいだの彼に、どんなことがあったのか、刹はなにも語らなかった。狼もまた、なにも尋ねなかった。刹の笑顔は、以前と少しも変わらない。それでもその笑顔の裏側に、自分の踏みこめない領域ができてしまったことを感じとって、狼は寂しく思った。
なにも語ろうとしない刹の心情を理解しているふうを装って、長すぎる不在について沈黙を保っていたのは、本当は刹ではなく、自分のほうだったのではないか。
尋ねなかったのではない。訊くのが怖かったのだ。
スラムの日常の中に、自分だけが置き去りにされてしまったことを思い知らされるような気がして、どうしても尋ねる気にはなれなかった。
訊いておくべきだったのかもしれない。
遠ざかる親友の背を見送るうちに、なぜか後悔の念が押し寄せてきた。
『ばかだな、狼……』
刹は、いつでもそう言って微笑う。
またもや置き去りにされてしまった感覚が拭い去れず、狼はいつまでも、その場から離れることができなかった。




