第31章 再会(1)
エレベーターのドアが開き、無人のホールに、ひと組の男女が降り立った。
青年の誘導にしたがって女があとにつづき、さらに奥へとつづく通路を抜ける。そして、右手最奥の部屋へ入室した。
扇状にゆるやかな曲線を描く独特の形状をした部屋には、壁面全体に、大型のコンピュータが組みこまれている。そのひとつに近づいてパネルを操作すると、入り口の正面に見えた扉が左右に開いた。
女――新見ジェーンはそれへ歩み寄り、扉の手前で自分を見守っているシヴァを顧みた。シヴァは、コンピュータの操作を終えるとジェーンに頷きかけ、コンソールのそばを離れてその傍らに立った。
「《ウィンストン》に直通している、グレンフォード専用の特別移送機です。一族の専用空港ではなく、一般客向けに用意された公共用空港に到着先を設定しておきました」
「ええ。本当に、いろいろとありがとう」
ジェーンはすっきりとした表情で青年に笑いかけた。
「あなたたちにはたくさん迷惑をかけてしまったけど、来てよかったわ。翼のこと、どうかよろしくね。とっても楽しかった。ああ、でも、あなたにはしつこくつきまとっちゃって、悪かったと思ってるわ。ただ仲良くなりたかっただけなの。他意はなかったのよ。ごめんなさいね、煩かったでしょう」
「いいえ、とんでもない」
青年は温雅に応えた。
彼女の熱烈なアプローチにはじめこそ戸惑いはしたものの、青年がそれを不快と感じたことは一度もなかった。彼女が向ける屈託のない笑顔には、いつも自分を気遣う優しさが感じられた。彼は、そのことを素直に嬉しく思っていた。
「ご主人の顔を見ずに戻ってしまわれて、本当によろしいんですか?」
「いいの。だって、翼は自分で帰ってくるもの。だから、それを出迎えるのがあたしの役目。それより、あたしが地上へ来たことは、あの人には内緒よ? 約束破ってこんなところまで乗りこんできちゃったなんて、ちょっと決まりが悪いじゃない? ほら、シャロン――大事な愛娘も放り出してきちゃってるし。妻として、こうゆうのはどうかな、なんて、いまさら思ったりもするわけなのよ」
「そういうものですか?」
「そういうものなの。あなたのボスには跳ねっ返りだのじゃじゃ馬だのってさんざんな評価をされてたみたいだけど、愛する夫のまえでは、やっぱりいつまでも可愛い恋女房でいたいじゃない?」
ジェーンは嬉しげにフフフと笑う。つられたように、シヴァも表情をなごませた。
「お嬢さんのお名前は、ひょっとしてご主人が?」
「そうなの。あたしは彼の名前に合うように、『桜』とか『空』みたいな名前がいいんじゃないかと思ったんだけど、翼はどうしても『シャロン』がいいって」
「きっと、お嬢さんも、あなたとおなじ美しい緑の瞳をしてらっしゃるのでしょうね」
青年の言葉に、ジェーンは感心したように目を瞠った。
「すごいわ。すぐにわかっちゃうのね」
「ヘブライ語で『森』――とても美しい名前だと思います。きっと、地上への想いもこめてつけられたのでしょう」
「ええ、そう。本当にそのとおりよ。だから娘のためにも、どうしてもあの人を喪うわけにはいかなかった。自分でも無茶なことをしたと思うけど、諦めなくてよかったわ」
ジェーンに同意するように青年は頷いた。そして、穏やかに言った。
「彼が、羨ましいですね」
緑の瞳がふたたび大きく瞠られる。直後に、ジェーンは花が開いたような、満面の笑みを浮かべた。
「お世辞でも、あなたがそう言ってくれると嬉しいわ。そこに、ちょこっとでも本音が混じっててくれると、もっと嬉しいんだけど」
ジェーンの言葉に、美貌の青年もまた、無言で微笑んだ。
「翼がもし、あたしよりもうんと先に死んじゃって、あたしが未亡人になっちゃったら、そのときはあなたを、お婿さんにもらってあげるわ」
「光栄です」
ジェーンは、ふわりと手を伸ばして優しく青年を抱きしめた。
「主人とレオをよろしくね、シヴァ。また会いましょう」
「ええ、いずれまた」
ジェーンは扉の向こう側へ移動した。シヴァの見送る中、左右に開いていた扉が静かに閉じる。晴れ晴れとした笑顔を置き土産に、新見ジェーンは、自分が本来在るべき世界へと帰っていった。
取材旅行中に撮影された多くの写真の中に、馴染み深いスラムの仲間たちにまじって、じつに愉しげな様子で写っている我が妻の姿を見つけ、彼女の夫が驚愕するのは、もう少しあとのことになる。




