第30章 それぞれの戦い(2)
「誠に申し訳ございません。ただいま迅速な対応を図るべく原因究明中でございます。ご臨席の皆様におかれましては、いましばらくこの場にてお待ちいただけますよう、ご理解とご協力のほど、お願い申し上げます」
不安にざわめく会場内に、繰り返しアナウンスが流れる。マイクをとおして来賓たちに呼びかける声が、いつのまにか当初の担当者と入れ替わっていることなど、だれひとり知る由もなかった。
「キムたちのほうでも、どうやらおっぱじまったようだぜ」
会場の隅でその様子を見守っていた男が、手もとの通信機にさりげなく視線を落として低く囁いた。おなじく腕を組んで壁に寄りかかり、会場内を眺めていた長身の女が、小さくそれへ頷く。
「よし、そろそろこっちも戦闘開始といくか」
「はいよ、陛 下。 仰せのままに」
かすかに開いた扉の隙間から、ひと組の男女が姿を消したことに気づいた者は、だれもいなかった。
新しい追っ手は、侵入者らの行く手を阻もうと、休む間もなく追撃を開始してきた。
「もう、やんなっちゃうわね。やっつけてもやっつけても、ゴキブリみたいにうじゃうじゃ湧いて出てくるんだから」
元気な口調で不平を鳴らす金髪の黒人の顔にも、さすがに疲労の色が隠せなくなっていた。敵の数は、時間の長さに比例して次第に増えていく。いかな豪傑といえど、焦燥を抑えることができなかった。
切迫する精神に追い打ちをかけるように、左手奥の通路からも新手の足音が複数近づいてきた。
舌打ちをしかけたデリンジャーの耳に、不意にとがった女の声が突き刺さった。
「ちょっとっ、なにする気よ!?」
咄嗟に声のするほうを顧みた金髪の黒人だったが、直後、状況も忘れて構えた銃を取り落としそうになった。
狙いを定めてまともに当たった例がない。
ついさっき、そう豪語したばかりの新見ジェーンが、真っ正面から銃を構えて、ほかでもない自分に銃口を向けていたのである。
「あんたは銃を使うなって言ったでしょ! バカなこと考えてないで、逃げることに専念しなさいったらっ!! 味方殺す気なの!?」
「いくらあたしだって、あんなおっきな的、はずすわけないでしょ。大丈夫、任せといて!」
「あの……、あのね、たしかにあたしは、狙いやすいおっきな的かもしれないけどね──」
「デリンジャーッ、伏せてっ!!」
「ええっ!?」
頭で考えるまえに、躰が反応していた。
ジェーンの鋭い警告と同時に、床に飛びこむように伏せた瞬間、
「うおりゃーっ!」
勇ましいかけ声を放って、ジェーンが引き金を引き絞った。
「きゃあぁぁぁーっ!!」
絹を裂く女の悲鳴につづいて、派手な爆発音と破裂音が前後して響きわたる。直後に、強風があたりに吹き荒れた。
頭上でなにが起こっているのか、まったくわからない。だが、想像がついてしまうだけに、デリンジャーは恐ろしくて顔を上げることもできなかった。
やがて──
嵐が過ぎ去って、そっと頭を上げた彼の正面で、仁王立ちになったまま肩をいからせ、荒い呼吸に胸をはずませているジェーンの姿が、まず視界に飛びこんできた。風は、まだ吹いている。おそるおそる後ろを振り返ったデリンジャーは、予想どおりの惨状に息を呑んだ。
廊下の左側に嵌めこまれた超強化ガラスが粉々に砕け散り、辺り一面に破片が飛散している。その周辺で、血まみれになった男たちが倒れ、呻吟していた。
「……嘘でしょう」
茫然と呟いたデリンジャーに向かって、新見ジェーンは自慢げに胸を反らした。
「だからやればできるって言ったじゃない」
「そんなこと言ったって……、だって、どこどうしたら、そんな小銃1挺で、特殊加工の超強化ガラスが砕けるのよ!?」
「そんなの簡単。イイオンナの必須アイテムよ」
ジェーンは得意げに、ふたつの空瓶を目の前に翳してみせた。
「!?」
「除光液と愛用の香水。通りすぎざまに、まとめてガラスにかけておいたの。もっとも、こんなにうまくいくなんて自分でも全然思ってなかったんだけど」
結構威力があるものなのねと、けろりと言ってのける女テロリストを、兵で鳴らした《セレスト・ブルー》のナンバー・スリーは唖然と眺めた。実際のところ、瓶の中身はデリンジャーの私室の薬品棚からこっそり持ち出した液体を適当に詰め替えたものだったのだが、ジェーンはそれについては沈黙をとおすことにした。
「──信じられない。どんな香水よ……」
今度こそ本当に脱力しそうになりながら、それでも金髪の黒人は気力をふり絞って立ち上がった。ジェーンのすぐ横で、正真正銘、腰を抜かしてしまっているクローディアの腕も掴んで扶け起こす。
「とにかく行きましょう。おかげで時間稼ぎといい休憩ができたわ」
「すぐに新手が来るものね」
「そうね。シヴァのところまで、あと少しよ」
女たちを、というよりは自分自身を鼓舞して、デリンジャーは先を急ぐことにした。
新たなる追捕の手は、すぐ背後まで――そして当然のごとく他方からも――迫っていた。
「デリンジャー、まえからも来たわっ!」
「わかってるわよ。ふたりとも頭下げてっ」
言うと同時に、黒い豪傑は壁にかかっていた額を取りはずすと、おそらく数百万連邦ドルはするだろう中身の絵画ごと、前方の男たちに向かって力まかせに投げつけた。
百号は軽くありそうな絵を、立派で頑丈な額縁ごともろにくらって、男たちが悲鳴をあげて吹っ飛ぶ。そのわきを走り抜けて、3人は正面のホールに駆けこんだ。
息つくまもなく、吹き抜けになっている右手後方の奥の回廊から、男たちが彼らを狙って次々に狙撃してくる。正面、背後、左手の通路からも追っ手が追いついてきて、絶体絶命の窮状に追いこまれたと思ったそのとき、
「早くっ、こっちです!」
右前方斜向かいのVIP専用エレベーターの扉が開き、シヴァが声を張り上げた。
デリンジャーが敵を牽制している隙に女たちがエレベーターに飛び乗る。そして、黒い巨漢もすばやくその後につづいた。派手な乱射音があたりに響きわたったが、間一髪のところで扉が閉まった。これより上の階へは、本来であれば一族の者であっても限られた者を除いて立ち入ることはできない。ギリギリのところで追っ手を躱しきった悪運の強い3人組は、なんとか最悪の危機を脱出したのだった。
「スリル満点。さすがにもう、ほんとに、ダメ、かと思った、わ」
肩で息をしながら、ジェーンが途切れ途切れに言う。クローディアにいたっては、床に座りこんだまま声も出ないありさまだった。
「大丈夫ですか?」
へたりこんでいる女たちを見下ろしながら、シヴァが眉宇を曇らせた。壁に手をついて荒い呼吸を繰り返していた彼女たちのお守り役が、わずかに緊張を解いた表情でそれに応えた。
「おかげさまで、みんななんとか無事よ。奇蹟的に怪我ひとつしてないわ。いいタイミングで現れてくれて助かったけど、管制室は無人にしたままで大丈夫なの?」
「ご心配なく。地上で待機している狼の端末に、ホスト・コンピュータの主統制システムを移しかえましたから」
「相変わらず、厭味なぐらいやることが完璧ね」
それこそ厭味ともとれる言葉のわりに、ぐったりと過剰に憔悴している様子の同朋を、優美な貌立ちの青年は不思議そうに見つめていた。




