第29章 決行(4)
「ねえ、大丈夫かしら?」
心細げな女の声に、複数の視線が集まった。
レオ、デリンジャー、ディック、パット、クローディア、そしてジェーン。
中央塔を正面に臨む位置の物陰に身をひそめながら、彼ら6人は、次の合図に備えてじっと待機していた。そうしているうちに、不安と緊張が増してきたのだろうと、レオが慰めの言葉をかけた。けれども、ジェーンは首を振った。
「違うの。そうじゃなくて、シヴァが大丈夫かしらと思って。だって彼、単独で行動してるんでしょう? もし目的地に着くまえに見つかっちゃったりしたら、すごく危険な状況に追いこまれちゃうんじゃないかしら」
「大丈夫よ。あいつはそんなヘマやらかしたりしないから」
ジェーンの言葉に、金髪の黒人が自信満々に請け合った。
「それにね、もし見咎められるようなことになったとしても、シヴァだったら必ずうまく切り抜けるわ。同行者がいたほうが、かえってあいつには足手まといなはずよ。ああ見えても《セレスト・ブルー》のナンバー・ツーですもの、荒っぽいことには結構慣れてんのよ」
「だったらいいんだけど……」
その様子を見て、デリンジャーはまえまえから気にかかっていたことを口にした。
「ジェーンは、どうしてそんなにシヴァのことが気になるのかしら?」
訊かれたほうは、思いがけない問いかけだったようである。ひどく驚いた様子で顔を上げた。
「え、なぜ?」
「だって、いつもとても気にしてるわよ。新見ちゃんが知ったら嫉妬しちゃうんじゃないかって思うくらい」
デリンジャーは冗談めかして笑ったが、ジェーンは真剣な表情でしばし考えこんだ。口を差し挟むことはなかったが、レオも興味深そうにその様子を見守っている。それに気づいているのかいないのか、ジェーンはややあってから、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「翼は、嫉妬なんてしないはずよ。たぶん、あたしと一緒だと思うから」
「なにが一緒なの?」
「うまく言えないんだけど、あたしがシヴァを気にするのって、きっとイルカとおなじなんだと思う」
言ったあとで目線を上げると、ジェーンは困ったように笑った。
「イルカって、集団で触れ合ってても、心がいちばん深く傷ついてる人のところにいくっていうでしょう? それと似てるのかも」
「あなたの眼に、シヴァはそういうふうに映っているの?」
「傷ついてるっていうと、ちょっと語弊があるんだけど、ものすごく大きななにかを抱えているようには見えるわ。だからときどき、その抱えてるものが大きすぎて押し潰されちゃわないかしらって、ひやひやしちゃうの。なんだか危なっかしい感じがするのよ。うちの娘から目が離せないのと似た感じかも、なんて言ったら、きっと彼に怒られちゃうわね」
ジェーンの言葉を聞くうちに、デリンジャーはなるほどと思った。
女という性の中でも、殊に『母親』という存在は本質を見抜く能力に長けている。そういう意味では、たしかにジェーンにとって、シヴァはひときわ気がかりな存在として映るのだろう。堅固な殻を打ち破って青年がおもてに這い出てきたのは、つい最近のことなのだから。そして、この夫婦は、間違いなく似た者同士なのだ。
《セレスト・ブルー》にやってきた当初の、彼の青年への果敢な翼のアプローチをふたたび思い起こして、デリンジャーは思わず笑い出しそうになった。
「あなたってほんと素敵ね、ジェーン」
本心から称讃を送って、金髪の黒人は「でも」と表情を引き締めた。
「いまは集中すべきことに集中しないとね。シヴァは大丈夫。自分の果たす役目を、きちんとわきまえてるから。危険という点では、彼にかぎらず条件はみんな一緒よ。ボスたちも、それからおなじようにここに潜入してるほかのスラムの仲間たちも、スラムに残った軍の人たちも。もちろん、あたしたち自身もね」
「翼も当然、安全なわけないのね」
「そうね。あなたの旦那さんも含めて、みんな必死で真剣よ。だからあたしたちも、自分にできる精一杯のことをしましょう」
「わかった…いいえ、わかってるわ」
ジェーンは、かたい決意を秘めた表情できっぱりと頷いた。
「デリンジャー、お願いがあるんだけど。あたしにも護身用に銃をひとつ、貸してもらえない?」
「護身用って、だってあなた……」
「大丈夫。あたし、これでも学生時代は射撃サークルに入ってたんだから。銃の扱いなら、少しは腕におぼえがあるわ」
「って、言ったってねえ」
彼女の護衛役をボスから言いつかっている《セレスト・ブルー》のナンバー・スリーは、困惑したようにその夫の相棒と目を見交わした。
「あら、心配することないわよ。あたしだって、なにも人に命中させられるほどの腕前があるなんて思ってないもの。ただね、もし万一のことがあった場合に、他人の背中に隠れてるばっかりじゃなくて、あたしにも武器があるんだってとこを見せつけるだけで相手を威嚇できるかもしれないじゃない? 人に向けて撃ったら危ないぐらいのこと、あたしにだってわかってるもの、ムチャはしないわよお」
なんともお気楽な発言に、金髪の黒人は深い疑惑の眼差しを向けた。こちらの懸念をあっけらかんと笑殺する当人のこれまでの素行が、『深慮』や『熟考』、はたまた『慎重』などという言葉とは、まったく無縁のところで弾けまくっていたからである。
他人のことにはよく気がついても、自分のこととなると、とんと自覚に乏しくなってしまうところが、この友人の妻の困った点であった。
「あのねえ、ジェーン、あなたの考えはよーくわかったし、立派な心がけだとも思うわ。でもね、生憎ここには武器の余分がないのよ。だからあなたは、当初の予定どおり余計な心配はせずに危ないことはあたしたちに任せておいて、無事《首都》に帰ることだけを考えて──」
「あら、それだったらあたしのをひとつ貸してあげるわ」
できるだけ遠回しに相手を説諭しようと試みたデリンジャーの努力も虚しく、それに泥水をぶっかけて踏みにじり、さらには丁寧に踏み固めるような声が割って入った。思わず目を剥いたお守り役の眼前で、自動小銃をはいと差し出す手がある。
「ちょっとっ、クローディアッ!!」
わあ、ありがとう。どういたしまして。と仲良しの見本のようなやりとりを交わす女たちの片方に向かって、デリンジャーはくわっと牙を剥いた。
「なんだってあんたがそんな物騒なもん、いくつも持ってんのよ!」
「べつに、あんたたちの武器庫からちょろまかしてきたわけじゃないわよ。あたしがねだったら、ルシイがくれたの」
「ボスが!?」
「そうよ、文句ある? あたしの気のすむようにすればいいって言ってたわ」
謙虚さの欠片もない顔でふんぞりかえられて、口をパクパクさせていた金髪の黒人は、どっと疲れたように肩を落とした。
「……怪我しない程度に頑張ってちょうだい」
「そんなの決まってんじゃない。本当に危ないときには、味方楯にしたって逃げるわよ」
悪びれもせず、女たちは「ねー」と顔を見合わす。
「あら、そ」
反駁する気力すら失せてしまった様子のデリンジャーを気の毒そうに見ていたショッキング・ピンクのモヒカン少年が、信頼する傍らの舎兄にボソッと漏らした。
「アニキ、オンナって恐ろしい生きモンすね」
レオは、どうコメントしたものか言葉に窮した挙げ句、巌のように重々しい沈黙にすべての思いを託して、微妙な立場を切り抜けることにした。




