第29章 決行(3)
複数のカメラが捕らえる映像を、男は専用のモニターをとおして見つめていた。その口許に、満足げな笑みがひろがる。
画像をオフにして椅子の背凭れに躰を預けると、男は黙考するようにしばし目を閉じた。
「アドルフ様」
控えめなノックにつづいて、ひとりの女が姿を現した。ローズ・ピンクのドレスを艶やかに、それでいて清楚に着こなした典雅な女性。身につけた装飾品のみで、高層ビルのひとつも建設できようか。
贅沢という言葉の存在すら摩滅してしまうほどの特殊な世界で彼女は生まれ育った。そして自分は、その彼女とおなじ階層に位置し、さらなる富と繁栄を約束し得るであろう数少ない人間のひとりだった。
恋愛感情ではないにせよ、彼女の慎ましやかな優しさと、決してひけらかすことのない高い知性、清廉な高貴さを好ましく思っていた。
なぜ、婚約などしてしまったのだろう。すべてを過去形でしか表現できないのなら、なにも知らない彼女を、こんなことにまで巻きこむべきではなかったのだ。
わかっていながら、なにくわぬ顔で彼女に微笑みかける自分がいる。
「とても綺麗ですよ、アナベル」
なにくわぬ顔で、美しい婚約者への賛辞を口にする自分がいる。なにも知らない彼女は、これから最大の裏切りを働こうとしている男に輝くような微笑を返した。
「ごめんなさい、お邪魔をしてしまいましたかしら。お支度が調ったようでしたら、控室までお越しいただきたいとのことでしたわ。お義姉様はじめ皆様方、お待ちです」
「ああ、失礼。ぼんやり考えごとをしていたせいで、貴女にメイドのような真似ごとをさせてしまいましたね」
「そんなことございませんわ」
女はやわらかに笑う。
用件だけを告げて去っていこうとする婚約者を、アドルフ・グレンフォードは咄嗟に呼び止めた。
「貴女に世話を任せていた『小鳥』ですが、今日中にも『外』へ放してやろうかと考えています」
その言葉に、女はわずかに目を瞠った。だが、すぐに得心したように頷いてみせた。
「承知しました。せっかく仲良しになれたところで残念に思いますけれど、しかたありませんわね。傷も癒えた以上、いつまでも狭い籠に閉じこめていたのでは、かえって可哀想ですもの」
「勝手ばかり押しつけて、申し訳ないと思っています」
「あら、そんなことありませんわ。わたくしなりに、楽しゅうございましたもの」
女はかろやかに笑った。
「はじめから、そのおつもりでいらしたのでしょう? ですからわたくし、ちゃんと逃げ道を教えこんでおきましたのよ。あわててとんでもないところへ飛んでいってしまっては、可哀想ですものね」
「感謝してます」
「とても賢くて可愛らしい、素敵な『小鳥』でしたのよ」
にっこりと告げて、女は退室していった。
男はその場に佇んで、消えたモニター画面に須臾、視線を落とした。




