第29章 決行(2)
登場から衆目を集めた美男美女のカップルは、当然ながら、他の場所においても、ひときわ人々の注目と関心をさらって脚光を浴びる存在となった。注がれる好奇と称讃の眼差しに、男は王侯貴族さながらの高雅な態度で応える。そして、悠然とした笑みを浮かべたまま、傍らの夫人にそれとわからぬ低い声で話しかけた。
「おい、冗談じゃねえぞ。これじゃ目立ちすぎだ」
貴婦人もまた、艶麗な微笑みを湛えたまま、形よい口唇を殆ど動かすことなくそれに応えた。
「安心しろ。連中が目を奪われてるのは、おまえじゃなく、その連れのほうだ。数年前に行方を眩ました、名門出身の放蕩息子の存在など、はなから念頭にない」
「──いくら鈍くたって、さすがに『一族』の連中は気づくと思うぞ」
「日頃の行いを悔い改めて、できるだけ会わずに済むことを神様にでも祈ってるんだな」
「……勘弁してくれよな」
贅を尽くした最高級の装いに反して、ふたりのあいだで交わされる会話は、甚だ上流階級の品格にそぐわぬ種類のものであった。おまけに、この世の美を体現したかのような貴婦人の口唇から漏れ出るひそやかな声は、女性の声帯から発せられるそれより、あきらかに何オクターブも低かった。
至近で交わされる会話は、当人たち以外には聞きとることができない。それゆえ、この絵に描いたように理想的で完璧な一対をなす美男美女の組み合わせに不信感を抱く者は、だれひとりとしてなかった。
「わざわざダイエットして、挙げ句、ホルモン剤まで投与して、あんたがこんな悪趣味な仮装するこたねえんじゃねえのか」
『パートナー』がはじめて自分のまえに登場した瞬間を思い出して、声だけはうんざりした調子で男はぼやいた。その気持ちが充分わかるだけに、淑女然とした夫人の白晢の美貌に、かすかな苦笑が半瞬だけ閃いた。
「せめて変装ぐらいにしてほしいもんだな」
「どっちだって一緒だろ。いっそのこと、ハニーにやらせたほうが適役だったんじゃねえのか。あんたより、ずっと線が細くて作りも華奢だろうが」
「馬鹿を言うな。あいつにこんな真似させてみろ、その場で舌噛んで死ぬぞ」
軽口に真実をまぎらせて、ひそやかな声が一笑に付す。そこに含まれる深意を正確に読み取ったがゆえに、男は口を噤んだ。青紫の瞳が、その横顔をまっすぐにとらえた。
「やはり、血統は隠せないな。こんな場に出て、ごく自然に空気に溶けこめるあたり、さすがと言おうか」
「そういうあんたこそ、厭味なほどしっくり馴染んでんじゃねえか」
「俺のはたんに、雰囲気作りが巧いだけだ。素の状態とかけ離れた役どころのほうが、かえって誤魔化しやすい」
男もまた、パートナーの麗容を顧みる。それを受けた薔薇色の口唇に、やわらかな笑みがひろがった。今度はかすかに口を動かして、囁きかけるような仕種で貴婦人がなにごとかを同伴者である男に話しかけた。
「カフスが、役に立ってよかったな」
わずかに顔を寄せた男が、優しく微笑んでその言葉に頷く。そして、
「この悪党」
「だからどうした」
傍目には仲睦まじげな様子で見つめ合うふたりが、よもやこんな殺伐とした会話を交わしているなど、だれも想像だにしなかったに違いない。




