第28章 事前準備(4)
しばしくい入るように紙面を睨んでいたザイアッドは、ようやくルシファーの意図を酌んで嘆息した。
スラム襲撃を目的として編成された特殊部隊のメンバーは、すべて財閥の息のかかった医療研究所で遺伝子操作され、特別に育成された戦闘のプロフェッショナルであった。運動機能、体機能及び戦闘能力。そのいずれも、常人のレベルを遙かに超えている。資料に記されたデータの委細を眺めて、ザイアッドは難しい顔で唸った。
「こんな化け物どもの相手を、軍にしろってのか?」
「そうだ」
ルシファーは従容として頷いた。
「握力左右ともに350キロ、肺活量1万、百メートル走にいたっては5秒前後。こんなアベレージをあたりまえのように出す怪物どもが相手だぞ? おまけに、陸水どこでもござれときた」
「よかったな、奴らはただの実験体だ。いくら殺したところで、あとあと殺人罪にも問われないで済む。住民登録すらされてない、つまり、『人』とは見做されていない、たんなる財閥――というよりも、カルロス派の一味が内々に開発した、生物兵器のひとつにすぎないからな」
「……あんまり気持ちのいい話じゃねえな」
男は苦い顔で述懐した。
「あんたらの留守を狙ってわざわざ乗りこんでくるからには、それなりの魂胆があるんだろうな?」
「財閥が、咽喉から手が出るほどに欲しているデータがある。それを、アドルフに先んじて略取するのがカルロス側の主要な目的だ」
男はわずかに沈思した末、口を開いた。
「そのデータとやらの中身については、このあいだの話と総合するに、あえて訊くまでもなく予測できちまうところがなんとも興醒めだねえ」
「天壌無窮――カルロスの望みは、じつに陳腐で単純で独創性の欠片もない。だが、それを実現させるだけの成果を、ウィンストン・グレンフォードがすでに上げているところが問題なんだ」
「不老不死なんてもんは、錬金術の類いとおなじで、大昔から人間が取り憑かれてる胡散臭い幻想だと俺は思うがね。変化と終わりのない人生に、どれだけの価値とおもしろみがあるのか俺には到底理解できねえな」
「それが健全な反応だろう」
「不健全な輩は、狂人じみた科学の手法をもって〈神域〉への扉を押し開いた、ってか」
「正確に言うなら、時間を停止させたり遡行させたりするわけではない以上、施術された者の肉体も精神も、通常の人間とおなじように老いもすれば滅びもする。だが、連中が開発した技術をもってすれば、何度でもおなじ状態まで復元させることができるし、応用を利かせてアレンジすることも可能だ」
「復元やアレンジ?」
「記憶と人格を再生させる技術、とでもいうべきものだ。ある時点での個体の脳を解析器にかけ、余すところなくデータを引き出して保存する。あとはクローニングによって培養した肉体に、保存データをそっくり移せば、オリジナルの完全なる複製ができあがる。わかりやすく説明するなら、そういうことだ」
それは、あまりに簡略化され、専門性を欠いた説明であった。だが、それだけにいっそう、聞き手に不快感を与えるグロテスクさと不気味さとを伴っていた。
「――カルロスは、いったいなにをする気だ? 親父の『復活』に手を貸すほど、殊勝なタマじゃねえだろう?」
「むろんだ。奴の狙いは記憶の統合。己の中に、財閥の創始者であり、一族の頂点に君臨した実父の記憶を取りこむことで、より高位にのぼりつめることを企図している」
瞬時に内容を理解した男の顔に、強い嫌悪が浮かんだ。
「おそらくカルロスは、《楽園》における〈選ばれし種族〉の〈神〉として己を体現させるとき、イザベラの持つ至上の美をも利用するつもりだろう」
ボスの傍らに無言で控える青年の頬に血の気はない。表情を消し、伏せた瞳の奥に、それでも言い知れぬ懊悩が漂っていた。イザベラの個体情報が入手できなかった場合、次に狙われるのは、間違いなく母に生き写しの美貌を持つこの青年であろう。
「……それが、アレンジってヤツか?」
「『記憶』を移す『肉体』を培養する際、クローニングの過程で外見を調整することなど、秘密裡にデザイナー・チャイルドの研究をつづけてきた連中には造作もない。ましてや、原型の個体情報が手もとにあるとなれば、なおのこと容易い」
「アドルフのヤロウは、親父から引き継いだその美味い餌をチラつかせることでカルロスを泳がせて、あんたが掌握している機密情報を奪い返す算段でいるってわけか」
「そうだ。研究を行っていたのはメイフェア生化学研究所。そのメイフェアは、知ってのとおり、数カ月前の爆破事故により、すでに閉鎖されている。メイン・コンピュータに蓄積されていたすべての研究データは、その際、不運にも、バックアップごと消失した。したがって、奴としても想定外のこととはいえ、俺から取り戻す以外に術がなくなったというわけだ」
「嫌な言いまわしをする。だったら、数百人もの犠牲を出したあの爆破事故は、想定内だったというのか?」
「研究所内部の人間を通じて根回しをはじめた俺の動きを封じるために、奴が仕組んだ事故だからな」
あくまで恬淡たるさまを崩さない金髪の覇王に、男は露骨に顔を蹙めた。
「そうまでして手に入れた大事なもんを、軍だけで死守しろってのか?」
「なに、形ばかりでいい。むろん、相手に気取られぬようにという条件付きではあるがな。データそのものは、とうに安全な場所に移し終えている」
「──どこに、移し終えたって?」
疑惑いっぱいの眼差しで、男はつっこんだ質問をした。ルシファーはその顔を一瞥すると、涼しい表情で淡然と応えた。
「《Xanadu》のホスト・コンピュータだ」
男は瞠目し、ここぞとばかりにあんぐりと大口を開けた。
「《Xanadu》のホスト…って」
「灯台もと暗しというだろう。設定してある特殊なパスワード解除キーを使用しないかぎり、データを引き出すことはもちろん、抹消もできない仕掛けになっている」
「呆れた奴だな。だからって普通、そんなとこに隠すか? もし事を運ぶまえに感づかれたらどうする。それこそ、もとの木阿弥じゃねえか」
「心配するな。その可能性は殆ど皆無だ。気づかれたところで、連中にはどうにもなるまい。それだけの技術を駆使している」
「たいした自信だ」
溜息とともに言葉を吐き出して、男は首を左右に振った。
「で、とりあえず軍には、隠し場所がバレるまでの時間稼ぎの意味も含めて、敵の襲撃を阻止しろってか?」
「そういうことだ。ついでにその戦闘は、すべて公開目的で記録させてもらう」
「怪物じみた戦闘力が中継で観衆の目に晒されりゃ、言葉尽くしてどんな説明するより説得力があるわな」
「期待してるぞ」
「話を聞いたあとならなおのこと、そーゆー大事な役どころを、公安なんぞに割り当てちまっていいもんかね」
「もっとも適役だろう。遠隔指揮しか執れなくとも、総大将はおまえなんだからな」
「そりゃ、ちっと買いかぶりすぎじゃねえか? 自分で言うのもなんだが、俺はそこまで信頼に値するような人間じゃねえぞ。狼なんざ、俺のような腐れ軍人はハナっから信用できねえとほざきやがったが、まあ、そいつがいちばん妥当な評価なんじゃねえか?」
男はへらへらと笑ったが、ルシファーはまるで動じなかった。
「狼には狼の見解があるんだろう。だが、生憎俺は、おまえを信頼してるんだ」
一点の曇りもない眼差しで明言されて、男は憮然と黙りこんだ。そして、
「──ヤーな奴ぅ」
このうえなく不本意そうな呟きに、《セレスト・ブルー》の覇王は泰然と笑んだ。




