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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第2部 楽園編
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第27章 新見ジェーン(2)

「あたしはデリンジャー。あなたの旦那さんが取材活動中に滞在場所を提供してた、《セレスト・ブルー》というグループのメンバーよ。新見ちゃんとは、結構親しく関わってたほうだと思うわ」


 セレスト・ブルー……。小さく呟くジェーンに、デリンジャーは頷いて見せた。


「新見ちゃんとあたしたちはね、いろいろな事情があって、お互い、協力関係を結ぶことになったの」

「協力?」

「そうよ。あたしたちは彼の取材に応じて可能なかぎりの情報提供をする。そして彼は、そのかわりにあたしたちのボスに、ジャーナリストとして全面的にその力を貸す。もちろん、あたしたちが責任を持って、新見ちゃんとレオ、ふたりの安全を保障するという条件つきだったわ。だけど、その協力体制を壊してボスを潰そうとする輩がいてね、新見ちゃんの身柄は、いま、あたしたちとは敵対している勢力の側に置かれているの」


 告げられた実状を理解するに従い、ジェーンの顔から音をたてて血の気が引いていった。


「そっ、それって早い話が、翼は敵に拉致されちゃったってことじゃないの?」

「まあ、あたしたちにしてみたらそういうことなんだけど、客観的に判断するとしたら、どうなのかしら。あながち、そうとも言いきれないのよね」

「なにそれ……」

「ひどい目に遭わされるような心配はないと思うわよ。新見ちゃんを拘束してるのは、内務省のアドルフ・シュナウザーだから」

「シュナウザー、って、だってその人、今回の仕事のあいだ、翼がお世話になる予定だったお役人の方なんじゃ……」

「ええ、そうね」

「とっても親切でいい人だって、翼は言ってたわよ?」

「ええ、そうだったかもしれないわね」

「そんな人が、翼を攫ったりするの?」

「ふつう、完膚無きまでに叩きのめそうと思う相手をまえに、手段は選ばないんじゃない?」

「でもっ」

「まして、正当性を主張できるのはあちらなんですものね」


 言い募ろうとするジェーンを遮って、デリンジャーは落ち着き払った口調で言った。


「一般的に見て、悪者はどちらなのかしら。陽の光の当たる場所だけを順調に歩んできた、完璧できずひとつないキャリアの持ち主と、こんなゴミ溜めのような場所で、社会に背を向けて荒んだ生活を送ってる人間失格者の集まりと」

「だったら、その立派な人を相手に、あなたたちはなぜ不毛な反抗してるの?」

『反抗』という言葉が可笑しかったのか、《セレスト・ブルー》のナンバー・スリーは睫毛まつげを伏せて、ふっと笑った。

「あたしたちにはあたしたちの大義があるわ。ボスがその象徴で、あたしたちはこの閉ざされた世界の中で唯一と崇め、従うべき存在である彼のために死力をふるう。それが、暗黙のうちに浸透しているスラムの信仰おきてなの」


 ジェーンは、難しい顔で考えこんだ。少なすぎる情報から、それでもなんとか真実を見極めようと懸命に模索する。そして、自分を注視するレオとデリンジャーとを見返した。


「──あたしには、なにが本当で、なにが嘘なのか、さっぱりわからないわ」


 ジェーンは低く呟いた。


「あなたの言うことはデタラメで、あなたたちのボスが間違っているのかもしれない。本当は、翼を攫ったのはあなたたちのほうで、あなたたちが敵と見做みなしている人物こそが彼を救出してくれたのかもしれない。ひょっとしたら翼は、とっくにあなたたちのだれかに殺されてしまっているのかもしれない。

 あたしには、あなたが信じられる人かどうかもわからないのよっ? もっともらしいことを言って、あなたはあたしを信用させようとしてるけど、なにもかも真っ赤な大嘘で、あたしは騙されてるのかもしれないじゃない! あたしにわかってるのはひとつだけだわ。結局、あんたたちがあたしの大切な翼を巻きこんで、あの人を危険な目に遭わせたんじゃないっ! 翼を返してよっ。いますぐあの人をあたしに返してっ!!」


 激した感情を爆発させ、ジェーンは泣き崩れた。



「ジェーン、ほんとに申し訳ない」


 やがて、苦渋に満ちた表情でレオが頭を下げた。


「なにもかも、あたしの責任だ。大口たたいておきながら、翼を護りきれなかったあたしにすべての責任がある。いまさらかもしれないけど、あんたの大事な翼は、きっとあたしが助け出してみせるよ」


 なおも深々と頭を下げられ、ジェーンは泣き腫らした目を瞠って、声もなくレオを見つめた。しゃくりあげる彼女の頭を、黒い大きな掌が優しく撫でる。


「ごめんなさいね、悲しい思いをさせて。でも、新見ちゃんは必ず、あなたの許へ返してあげるわ」


 無言で見上げてくる潤んだエメラルド・グリーンの瞳を見返して、デリンジャーはやわらかく笑った。


 優しい翼。

 もしもここにいるのが自分ではなく翼だったなら、彼はふたりの言葉をどのように受け止め、そしてどんな結論を導き出しただろうか。


 お人好しで、他人を疑うことを知らない夫。

 裏切られて深く傷ついても、彼は決して、人を信じることを恐れなかった。夫を案じてハラハラする自分をよそに、彼はいつも笑って言った。それでも僕は、人間が好きなんだよ、と。

 彼女の夫は、そういう人間だった。


 思い至ると同時に、心は定まった。



「……いいわ、信じる」


 ジェーンはしずかに言った。


「翼は、レオをとても信頼してたわ。そのレオが、ここにいる人たちを信じてるんだったら、翼もたぶん、そうだったんだと思う。だから、あたしも信じてみることにする」


 きっぱりと言いきったジェーンに、レオは強く頷いた。デリンジャーもまた、頼もしく請け合った。


「大丈夫、任せておいてちょうだい。大事な友達を、いつまでも見捨てておくような薄情なデリンジャーさんじゃないわ」

「友達──」

「そうよ。新見ちゃんとはこれでも、パンツの柄まで知り合った仲なんだから」


 自信満々かつ茶目っ気たっぷりに言って、金髪の黒人はたくましい胸をドンと叩いた。思わず唖然としたジェーンだったが、次の瞬間、とうとう吹き出してしまった。


「なんつー表現……」


 レオが呆れたように首を振る。


「こういう人間を、あっさり信頼しちまってもいいのかね」

「おーほほほほほ、人徳よ、人徳」


 疑わしげなレオの視線にも動じず、《セレスト・ブルー》のナンバー・スリーは得意満面で高笑いをした。ちょうどそこに、室内に設けられた内線の着信音が鳴り響いた。


「はいはーい、こちらデリンジャー」


 気軽に応答した黒い巨漢はしかし、通信画面に映った人物を見るなり一転肝を冷やした。


「あーら、シヴァじゃない。ごきげんよう。なにかご用?」


 何気なさを装って愛想を振り撒く同朋どうほうに、グループのナンバー・ツーはとくに感銘を受けるでなく淡々と用件を告げた。


「医療データの読み込みが完了しました。いまからそちらへ、データ・ファイルを転送します」

「了解、順調にいってるようね。進捗状況はどうなの? このまま大過たいかなくいけそう?」

「問題ありません、予定どおりです」

「ならいいけど。途中で気づかれたら、すべて水の泡よ」


 注意を促しながらも、口で言うほどデリンジャーは心配していたわけではなかった。


 ゾルフィンから情報を引き出してパスワードを探り当てた現在、シヴァは《Xanadu(ザナドゥー)》のホスト・コンピュータに侵入を図って、そこから必要データを引き出し、かわりにこちらから送りこんだデータ・ファイルを秘密裡に保存させる作業を行っていた。

 パスワードを解析したからといって、何重にも張られたガードを突破し、コンピュータ本体にすら感知させることなくデータのみを、しかも痕跡なしでやりとりさせるなど、そうそう容易にできるものではない。だがシヴァは、彼に命令を下すことのできる唯一の存在により、そのいっさいを任され、なおかつ、その期待に充分応える働きを、ここ数日というわずかな期間で成し遂げていた。


 態度も語調も、以前のように険を含んだ、他人を撥ねつけるものではなくなってきている。ともすると、破滅的な気配を漂わせがちな脆さを危ぶんでいただけに、静謐なゆとりを感じさせるこのごろの青年の落ち着きを、デリンジャーは好ましい傾向としてとらえていた。



「ともかくご苦労さま。あんまり無理すんじゃないわよ」


 とくに返事を期待したわけでなく気軽に声をかけたデリンジャーであったが、意に反して、シヴァは素直に頷いた。そしてますます意外なことに、「あなたも」と、穏やかに返してきた。

 あまりの変容ぶりに、デリンジャーは思わず我が耳を疑った。だが、シヴァは通信を切るまえにさりげなくこう付け加えた。


「厄介ごとを抱えこむのはあなたの趣味なのかもしれませんが、許容範囲を超えない程度になさったほうが、ご自身のためにもよろしいかと。ですぎたことでしたら失礼」


 見透かしたような忠告に、ナンバー・スリーに座す男は珍しく度を失い、直後にその意味を理解した。

 画面に映った青年の、桁外れの美貌に目を奪われたらしき新見ジェーンが、茫然自失のていでポカンと口を開けたまま、真後ろに佇んでいたのである。

 あわててスクリーンを振り返ったが、弁解するまもなく映像は途切れていた。


「……あいつもだんだん侮れなくなってきたわね」


 デリンジャーは腕を組むと、渋面を作って低く唸った。と、そこへ、



「デリンジャー……、翼とパンツの柄を知り合った仲って、ほんとは彼なんじゃないでしょうね?」


「!!?」


 あまりにも的外れな爆弾発言は、絶大なる効果を発揮して一瞬のうちにレオを撃沈し、デリンジャーの正気をも真っ白に凍らせた。


「…………」

「…………」


 ある意味、人生最大ともいえるダメージを受けたふたりの剛勇は、おそるおそる恐怖に彩られた顔を、油のきれたロボットのような動きで史上最強の怖い物知らずへと向けた。

 気の毒にもレオはすぐに立ち直ることができず、デリンジャーもまた、


「──あんたも大概恐ろしい女ね」


 そうコメントするのが精一杯だった。

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