第26章 予期せぬ訪問者(4)
一時は《夜叉》の許へ身を寄せていたレオだったが、翼の一件があって以降、なんとなしに、そのままずるずると《セレスト・ブルー》に留まっていた。軍との交戦のため、最前線に置かれている《夜叉》自体が現在のところ安全と言いかねるためか、レオの逗留について、ルシファーも特段なにも言わなかった。
ゾルフィンとの決着をつけて以降、彼は殊更、怱忙の中に身を置かれており、肝腎の翼のことについて、ゆっくり話す機会も得られない状況だった。しかしレオは、そのことで格別騒ぎ立てるようなこともなく、泰然と構えて少年たちとの共同生活にうまく溶けこんでいた。
連れ去られた翼の居どころについて、ルシファーはすでに、なんらかの情報を得ているようなふしもある。いまはなにも言わなくとも、いずれ機が熟せば詳細を説明してくれるだろう。動くのは、それからでも遅くはない。現段階で自分の果たすべき役割は、もっと別のところにあるとレオは考えていた。
潮風が髪を嬲るにまかせながら、レオはレンズに映る風景を定めると、連続でシャッターを切った。光を調整し、倍率を変え、レンズを交換しては飽くことなくシャッターを押しつづける。
自然という名の物言わぬ被写体は、時間の移ろいとともに刻々とその表情を変化させ、投げかける思いにさまざまな応えを返してくる。
煮詰まった考えをリセットするため、気晴らしに《旧世界》の外へ独りでやってきたレオだったが、外界は、思いのほかいい気分転換の場となった。
おそらくは翼も見ただろう海辺の景色を、レオはさまざまなアングルから、殊に空を中心に撮りつづけた。
陽光を浴び、潮の香りを含んだ空気を存分に肺に送りこみ、小さな光が水面や砂浜で弾けて反射する世界を贅沢に独占しながら堪能する。ゆっくり時間をかけて浜辺を移動しながら撮影をつづけたレオは、やがて砂浜に腰を下ろすと、そのまま大の字にひっくりかえった。
抜けるような蒼がひろがるキャンパスの上を、真っ白な雲が少しずつ形を変えながらどこかへ流れていく。レオは長い時間、その光景を眺めていた。そして、カメラを構え、最後の1枚を撮影すると、満足げに身を起こして立ち上がった。
翼が連れ去られて、すでに2週間が過ぎた。おそらく、きちんと保護され、適切な治療を受けているだろうとのルシファーの見通しは、レオも同意見である。しかし、本人の無事を直接この目で確かめないことには、やはり気をゆるめることはできなかった。
翼が攫われた責任の一端は、自分にもある。
明敏なルシファーは、はじめから見抜いていたようであったが、現場に駆けつけたときの状況について証言を求められた際、レオには、個人的判断から伏せた一事があった。
レオは、そのことを自分なりに重く受け止めていた。
パットを庇ったわけでは決してない。それよりも、レオにはひっかかることがあったのだ。ここしばらく、レオはそのことについて単独で調査をつづけていた。
「うっす、アニキ。遅かったじゃん」
セレストの拠点に戻ったレオを認めて、エントランス付近にいた少年たちが数名、気軽に声をかけてきた。ガイル、ロルカ、ヒンクリー、ミウ。《セレスト・ブルー》でも主要メンバーといわれる少年たちである。レオは軽く手を挙げてそれに応えると、その中のひとり、ガイルにバイクのキーを返した。
「サンキュ、いい気分転換になったよ」
「そいつはよかった。で、どこまでお出かけ?」
「ああ、ちょっとドームの外まで。刺激を得るには最高の場所だね」
レオの言葉に、少年たちは「度胸座ってんなぁ」と感嘆の声をあげた。
「気分転換はいいけど、気をつけろよアニキ。独りであんま遠くまで行くと危ないぜ。って、アニキなら問題ないか。自分の身護るのなんか、朝飯前だもんな」
「まあね」
「で? いい写真は撮れた?」
「そうだね。なかなかいい出来だと思うよ。外の世界なんて、めったに撮れる被写体でもないからね」
「へえ。今度見せてよ」
社交辞令ではなく、本当に興味がありそうな少年たちに「ああ、いいよ」と応じながら、レオはサングラスをはずして襟に差しこみ、彼らにレンズを向けた。
「イイ男に撮ってくれよ」
軽口をたたいて少年たちはポーズをつける。レオは、それにも笑ってもちろんと請け合った。
はじめのころこそ撮影の自粛を求められたものの、ある程度気心が知れてくると、少年たちはカメラを向けられることにあまり抵抗を示さなくなった。レオの、少年たちとの距離のとりかたが巧みで、接しかたにも厭味やぎこちなさ、腹蔵といったものがなかったせいだろう。
「《夜叉》でも、結構おもしろい絵が集まったんじゃねえの?」
「うん、まあ、そうだね。あそこは結構、開けっぴろげな連中が多いからね」
そしてその結果、やりすごすには気にかかる一事が目に留まったのだ。
「刹って、グループの頭張ってるわりには全然威圧感ねえもんな」
ロルカが言うと、少年たちはそろってそうそうと頷いた。その様子を見て、ふと心づいたレオは、カメラをおさめると彼らの輪に加わった。
「ひとつ、訊いてもいいかい? もちろん立ち入ったことで、差し障るようなら答えなくてかまわないんだけど」
そう前置きして、赤毛の女傑はまえまえから気になっていたことを口にした。
「ルシファーの存在ってのは、スラムでは絶対視されてて、結果としてその命令も、絶対服従が必然ぽくなっちまってるけど、実際のところのあんたたちの本音ってのは、那辺にあるのかね?」
問われた意味がよくわからないというように、少年たちはそろってキョトンとした顔をする。ガイルが代表で疑問を口にした。
「なにそれ。本音って?」
「つまりさ、スラム――とくにこのセレストは、専制的傾向が強いだろ? しかもそのシステムを徹底させてるボスは、あらゆる面でパーフェクトじゃないか。そうすると、ボスに異議を唱えることも許されないあんたたちの不満――たとえば、あたしらみたいな異分子が入りこんじまうとかさ、そういうのの持っていき場ってのは、結局、どう消化させてるんだろうと思ってね。ルシファーってのは、あんたたちにとって、実際のところどういう存在なのかな?」
レオが問い糺すと、ガイルの眉間に困惑したように皺が寄った。他のメンバーも、一様におなじような表情を浮かべている。
やや沈黙があった後、ガイルが言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。




