第25章 楽園計画(3)
瞠目するザイアッドのまえで、ルシファーはパネルを操作した。
さまざまな角度からジオラマを浮かび上がらせ、倍率を上げて中心部の画像に切り替える。3D画像は、ランドマーク的な超高層のビルを中心に、さまざまな様式美を誇る洗練された建物が全体の統一感を損なうことなしに機能的に配置され、美しい都市空間を造り上げていた。
空中庭園や噴水、広場が何層にも巡らされ、それぞれの建物の芸術的景観を最大限に引き出しながら繋ぎ、あるいは上層階で連絡通路が渡されている。さらに画像が切り替えられると、中央のランドマーク・タワー、そして近接するホテルの内部構造までが精密かつ忠実に、それこそ絨毯の模様に至るまで完璧に投影された。
《楽園》のホログラム――
「ザイアッド、普通の人間に、《メガロポリス》の管理体制下から抜け出た地上で生活することなど、ごく順当に、社会、環境の両側面から考えたところでできはしない。そしてここに、ふたつの仮説がある。故ウィンストン・グレンフォードがデザイナー・チャイルドの末孫にあたるという説。そしてもうひとつは、財閥における医療科学開発部門が、殊に遺伝子工学の研究に熱心であるという説。そのふたつの仮説の延長線上に、本来なら夢想で片付けられて然るべき『理想郷』が、現実のものとして浮き彫りにされつつある。
当面の運営目的が、先に述べた財閥所有の他の娯楽施設のそれと一見趣をおなじにしているにせよ、やがて《楽園》で栄華を誇ることになるだろう『選ばれし種族』がなにを意味することになるか、材料さえそろえば現時点でも容易に予想はつくだろう?」
相手の反応を窺うように、《セレスト・ブルー》の覇王は絶妙の間合いを入れた。ジオラマを凝視したままのザイアッドの顔から、完全に血の気が失われていた。青紫の瞳が、それに対し満足げに細められた。
「ようするに、奴ら――カルロス・グレンフォードを筆頭とする一派が目論んでいるのは、そういうことだ」
「――カルロス、だと?」
茫然と聞き流しているかに見えた男の片眉が、ピクリと反応した。
「……そこでなぜ、グレンフォード家の次男坊が出てくる? いままで話してきた内容の実権を握っているのは、新総裁たるアドルフ・グレンフォードじゃないのか?」
正面から向きなおった男の険しい視線を、ルシファーは悠然と受け止めた。
「実質的には、な」
「実質的には? 話が全然見えねえな。勿体ぶらずに、ちゃんと説明しろよ」
「話の筋は極めて単純だ。亡父の歪んだ夢想を、さらに歪んだかたちで受け継ごうとしているのがカルロスというだけの話だ。カルロスは、野心と蒙昧が見事に比例する小物だ。アドルフが、それを見過ごすと思うか?」
「なるほど。野心家の兄貴は、自分が末弟の下位に置かれることに我慢がならねえ。キレ者の弟は、次兄の企みを見抜いたうえで泳がせ、叩き潰す機会を狙っている。当然、担ぎやすいカルロスを焚きつけて、お家騒動で沸きかえったその隙に美味い汁を吸おうとしている火事場泥棒も存在しているわけだ。――グレンフォードの医療部門の長は、たしかピョートル・スタニスラフだったな。とすれば、目的を一にする強欲な親族や重鎮どもが、ほかにも数名……」
「いい読みだ」
ザイアッドの憶測を、ルシファーは肯定した。
「奴らは、己が権勢と利慾を貪ることのみを目的に、唾棄すべき蛮行に及んでいる。いっそ猟奇趣味と言い換えてもいい。グレンフォードの枢要を手っ取り早く入手するには、そのすべてを掌握していた人物――すなわち、ウィンストン・グレンフォードさえ押さえてしまえば容易い。ゆえに、カルロスとその一派は、ウィンストンの『記憶』を利用することを思いついた」
「記憶?」
「ウィンストン・グレンフォードの脳は、いまごろ、グレンフォードが運営する医療財団所有のどこかの研究所で、解析器にかけられているだろう」
男の精悍な造りの貌が、奇妙に歪んだ。
「……テメエの親父だぞ?」
「ほだされる情を持ち合わせるくらいなら、そもそもこんな馬鹿げた計画自体、ここまで具体性を帯びることもなかったろうよ」
ザイアッドはうんざりしたようにかぶりを振った。
「そこまでしてでも手に入れる価値のあるもんかね、《グレンフォード》の黄金の玉座ってやつは」
「少なくとも、連中にとってはそうなんだろう。泥濘にまみれて利権を奪い合うなら、当人たちだけですればいい。だが、無辜の生命が、いつでも犠牲にされる。罪業の深さは別として、イザベラ・グレンフォードもまた、犠牲者のひとりだったと言える。《楽園》を夢想したウィンストンにとって、万人の目を奪わずにはおかない彼女の稀有なる美しさは、充分利用価値があった。いずれ《楽園》に住まう『選ばれし種族』が、至高のものとして崇める現人神。その、さらなる上位に自分を据える――」
「……狂人の考えは理解に苦しむな」
「ああ。けれども現実に、イザベラの個体情報はデータ化され、現在、ウィンストンの意向を受けたアドルフが、この《Xanadu》に保管している。己をしてこそ人類最上の地位に登らしめんとするカルロスは、そのデータをも我がものにせんと企んでいる。ウィンストンが諸悪の根源である以上、奴が死後、次男から受けた報いは自業自得と言ってしまえばそれまでだ。だが、総裁位を継いだアドルフが、このまま連中を野放しにしておくとは考えられない」
「あんたは、そのいずれをも叩くと言うんだな」
「そうだ。俺からすれば、多少毛色が違ったところで、どちらも害毒であることに変わりはない。
連中のエゴイズムを満たすためだけに、これまでにも無数の犠牲が払われてきた。そしてその犠牲は、今後も無制限に、より無惨なかたちで増えつづけることは間違いない。だから俺は、なにがなんでもそれを阻止する」
パネルをオフにすると、ジオラマはプツンというかすかな音をたてて、ふたりのあいだで消滅した。
ルシファーが口を閉ざした後、ザイアッドはしばらく黙りこんでいた。が、やがて重い沈黙を破ると口を開いた。
「──あいつは、どうしてる?」
人称代名詞の示す対象を正確に見抜いた覇王の口許に、たちまち微笑がひろがった。
「気になるなら様子を見ていけばいいだろう。自室にいるはずだ」
「意地の悪ィこと言ってんなよ。俺がなにを気にかけてるか、わかってんだろ」
男は憮然とした表情を浮かべた。ルシファーは、揶揄の色をひっこめて真面目に応じた。
「心配ない。ごく冷静に現状を受け止めている。精神状態も、以前よりはずっと安定しているようだ。ぶっつりといまにも切れそうな、差し迫った緊迫感はなくなったな。表情も態度も、圭角がとれて、だいぶ穏やかになった」
「ならいい。ついこないだまでは、危なっかしくって見てるほうがひやひやさせられたからな」
「追い打ちをかけてた張本人がよく言う」
「そりゃ甚だしい誤解だ。俺はあいつが精神的にヤバい方向へ追いつめられねえよう、気を逸らしてやってたのさ」
男の詭弁に、ルシファーは声をたてずに笑った。それにつられて、男もようやくいつものふてぶてしさを取り戻し、斜に構えた態度で口の端を吊り上げた。
「ともあれ、招待状の件は了解した。手回しのよすぎる点には文句の2つ、3つも言ってやりてえところだが、今回は大目に見てやるよ。じかに俺に招待状をよこさなかったほうが間抜けだったんだろう」
「いや、そうとばかりも言えない。文書の受信も回答の送信も、おまえ個人の認証が容易なればこそ、こちらの判断で勝手に利用させてもらった」
意味を図りかねたように片眉を上げるザイアッドの目の前に、ルシファーは、ある物を翳してみせた。
特殊な階層の刻印がなされた小さなボタン。
それは、所有者が日常、サインがわりに使用するための、ごく簡単な個人情報を組みこませていた。
「……なるほどな、俺の落ち度でもあったってわけだ」
自嘲を含んだ声で男は呟いた。
「ま、こうなりゃしょうがねえ。乗りかかった船ってことで諦めるかね。坊主の救出も、どうせあんたのことだ、その中に計算上、含まれてんだろ?」
「まあ、そういうことだ」
「なんとも壮大な計画だねえ」
「そのつもりで、これまで準備してきた。グレンフォードも備えは万全だろう。だが、必ず叩き潰す」
「オーケー、だったら協力してやるよ」
「そうしてもらえると助かるな」
「でっけえ貸しにしておくぜ」
尊大に答えたあとで、ザイアッドは、ふと心づいた様子で当然の疑問を投げた。
「どうでもいいが、当日のパートナーはどうするんだ? 公式の場では、婦人同伴が決まりだぞ? まさか、あんたのオンナにそいつを割り当てるわけにもいかねえだろ」
「まあ、その辺は、それなりに検討している。おまえは心配しなくていい」
明確な回答を得られず、男は胡乱げに相手の取り澄ました顔を見返した。けれども、どう喰らいついても、それ以上とりつける島はなさそうだった。
「そっちのほうこそどうなんだ? 軍との決着をつける目処は、大体立ったのか?」
逆に戦況報告を促されて、男は下唇を突き出し、肩を竦めた。
「まあ、ぼちぼちってとこだな」
「あまり悠長に構えてもらっても困る。20日後の式典当日前に打ち合わせておかなければならないことも、いろいろあるからな。猶予期間はギリギリ10日が限度ってとこだが、それまでになんとかなりそうか?」
「ま、それだけありゃ、なんとでもなるだろ。実際、それほどあんたの期待は裏切らねえと思うぜ」
「援軍は出さなくて大丈夫か?」
「まずもって不要だな。そこまでしてもらっちゃ、オレ様の立つ瀬がねえってことよ。まあ、当初予定してた内容とはいささか筋立てを変更せざるを得なくなったが、たいした問題にはならねえだろう。そこそこ使えるってことを、ここらで証明しとかねえとな」
「では、期待して待つことにしよう」
用件が済んだ男は退室しかけ、ふと言い忘れたことでもあったように戸口付近で振り返ると、その場で考えこむそぶりをみせた。
「どうかしたか?」
しみじみと観察され、ルシファーが問いかける。
「いや、気のせいかとも思ったんだが、少しく見ないうちに、随分窶れたんじゃねえか?」
男の疑問には、それなりに思いあたるふしがあったのだろう。スラムの覇王は即座に苦笑に近い表情を閃かせた。
「その表現は語弊があるな。『窶れた』んじゃない。減量中なんだ」
「げんりょお!?」
あまりにも意表をついた回答に、男は頓狂な声をあげて目を剥いた。
「なんの冗談だ? 男の目、気にする年頃の娘っこでもあるまいに。ダイエットなんて言葉、あんたの口から聞かされるとは思わなかったぜ。似合わねえことすんなよ、気色悪ィ。いまだって充分すぎるほどスレンダーじゃねえか。それ以上痩せてどうする」
「痩せすぎということでもないだろう。しまってるだけの話で、体重は標準なみだ。シヴァに比べれば、まだまだウェイト・オーバーもいいところだな」
「そりゃ比較するほうが間違いだぜ。あいつは野郎の基準からしたら、華奢すぎて話にもならねえ。あと15、6キロは増やしてもいいくらいだ。大体にして、あんたとあいつとじゃ、まるっきりキャラが違うじゃねえか。あんたにゃ、ああいう役どころは全然向かねえよ」
「ずけずけと言ってくれる」
「事実を述べたまでのこった。俺が言わなくてだれが言う? 悪いこた言わねえ。大事を控えたこの時期に、自分から体力削ぎ落とすような阿呆な真似すんなって」
「忠告はありがたく受けておこう」
受けるのみで、いっこうに聞き容れる様子のなさそうな返答に、男は露骨に顔を蹙めた。
「あんたまさか、当日、あいつに成り代わって会場内に潜入しようとか考えてるわけじゃねえだろうな?」
愚にもつかない憶測を、ルシファーはあっさり笑殺した。
「いまどき、B級映画だってそんなネタ使うまいよ。どう考えたって、無理があるだろう? いくら変装したところで、俺があいつになりすませるわけがない。体重を落としたくらいで誤魔化しきれるようなもんでもないことは、だれの目にも瞭らかだ」
「自覚があんならいいけどよ、それにしたって──」
「いまはわからなくとも、いずれわかる」
ピシャリと言い放ったあとで補足の必要性を感じたのか、ルシファーはひと言付け加えた。
「まあ、強いて言うなら今回の減量は、試合を控えたボクサーのようなものとだけ言っておこう」
「はああ!?」
意味不明の譬えに、ますます深い当惑の迷路に嵌まりこんでしまったザイアッドだったが、今度こそきっぱりと追及の道をシャットアウトされ、顔中に大量の疑問符を張りつけたまま密談は打ち切りとなった。




