表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第2部 楽園編
116/202

第25章 楽園計画(1)

 網膜に焼きついた色は、鮮やかなブルー。


 鮮烈な耀きを放つそれは、どこまでもつづく、無限のひろがりを見せ──


 手に、入れたいもの。

 いつかきっと、取り戻したいもの。


 想いに付随してこみあげてくる、さまざまな感情の欠片たちを、なんと名付けたらいいのだろう。


 大丈夫、僕はちゃんとやれる。

 僕は君とともに、戦える。その術を、やっと見つけることができたから。

 少しでも君の助けになることが、僕にもきっとできるはず。

 だから、頑張ろう。一緒に。


 ルシファー……。



「気がついて?」


 耳慣れぬ、優しい声が頭上から降ってきた。その声にたすけ起こされるようにして、意識がふわりと覚醒の領域に着地する。夢から現実へ。ごく自然に意識を移行させた翼は、瞼を開けて、声の主を確かめようとその視線を彷徨さまよわせた。

 まず目に映ったのは、清潔そうな見慣れぬ天井。

 自分がいまどこにいて、どんな状況にあるのか把握できなかった。


 記憶が、繋がらない。そして、どこで途切れてしまったのかも。


 思考の隅にひっかかっているのは、澄明に光り耀く、ただひとつの色彩。


 だれかが言った。

 人は、地上に還ってゆくべきなのだと。


 鼻孔をくすぐる潮の香り。

 心地よく髪を梳き、頬を撫でては、いずれともなく去っていった空気の流れ──風。

 幽遠なるひろがりと、無限のきらめきを映した世界。

 この世でもっとも美しい、高貴なる穹窿そら色──


 青紫スカイ・ブルー───



 翼は、ハッとして目を瞠いた。正気に返ると同時に、自分を見つめていた人物と目が合った。赤みを帯びたブロンドと緑がかった碧眼の、優しげな貌立かおだちをした女性。自分より、少し年上だろうか。先程自分に声をかけたのは、この女性であるらしかった。

 戸惑いを浮かべる翼に、彼女は微笑みかけた。

 ますます深い当惑と混乱をおぼえつつ、翼は無意識のうちに口を開いていた。


「お、おはようございます」


 しまった、と思ったときには、すでに遅かった。

 ついうっかり放ってしまった第一声に、女は目を瞠り、つづいて、くすくすと可笑しそうに笑い出した。


「あ、あの……」

「ごめんなさい、笑ったりして。どうか気を悪くなさらないで」


 顔を赤らめて起き上がろうとする翼の肩をやんわりと押さえながら、女は言い含めるように言葉を紡いだ。


「悪気があったわけじゃないのよ。ただ、きちんとしたご家庭でお育ちになったのだと、微笑ましくなってしまっただけなの。まだ、起き上がってはダメよ。躰が衰弱しているのだから」

「あの、でも……」

「大丈夫、不安がらないで。わたしも、そしてそれ以外のここ(・・)の人たちも皆、あなたに危害は加えないわ。まずは自己紹介からしておきましょうね。わたしはアナベル・シルヴァースタイン。あなたもよく知っている方の婚約者よ」


 名乗りをあげた女の姓に、翼は軽い衝撃をおぼえて言葉を失った。

《メガロポリス》にあって、知らぬ者とてない名家中の名家。

 先達せんだって、その傍流筋にあたる令嬢とグレンフォード家とが姻戚関係を結ぶという噂が話題になって、世間を騒がせたことは記憶に新しい。


 では、この女性が――


 そこまで納得しかけて、翼はもうひとつのことに思い至り、呆然とした。

 彼女の婚約相手は、グレンフォードの血胤けついんの中でも、もっとも話題を集める人物だったはずである。


 グレンフォード財閥の正式なる第一継承者。

 次期総裁候補。


 脳裡に浮かんだひとつの名前に、ある人物の貌が重なった。


「……ここは、どこですか?」


 鈍っている判断力が、それでも警報を鳴らした。

 記憶が途切れるその直前、自分は海にいたはずではなかったか。そこで語られたさまざまのことを、細部に至るまで克明に思い出すことができる。だがその後、なにがあったのか、自分の身になにが起こったのかがわからない。

 どれだけの時間が経ったのかも――

 けれどもここが、自分のいるべき場所でないことだけはたしかだった。


「ここは、あなたの治療のために、わたしの婚約者が用意した専用のお部屋よ。たぶん、あなたが訊きたいのは、そういうことじゃないのでしょうね。わかっているつもりだけど、ごめんなさいね。わたしには、それ以上のことは答えてあげられないの」


 女は、静かな語調で言葉を紡いだ。


「事情はわからないけれど、あなたは生命にかかわるひどい怪我を負っていたの。こうして助かったことのほうが、むしろ不思議なくらい。目の離せない状況が、ここに運ばれてからも1週間近くつづいたわ。最初に施された手当てと治療が、人為じんいを超えるほどに優れたものだったことがさいわいしたのですって。お医者様は、いったいどんな人物がこれほどの偉業を成し遂げたものかと、しきりに首を捻ってらしたわ。あなたは、運がよかったそうよ。

 ここまでくれば、もう大丈夫。あとは1日でも早く躰が恢復かいふくするよう、療養に専念しなくてはね」


 女の言葉から、だれが最初に自分の治療にあたったのか、察しをつけることができた。


 では、記憶が途切れたそのあとも、少なくともはじめの段階において、自分の身柄はルシファーの許にあったのだ。それがなぜ……。


 渦巻く疑問の中心に置き去りにされたまま、翼は抜け出す術を見つけることができなかった。その当惑に、明快な回答を与えることのできる人物が現れた。

 アナベルが席を立って、その人物に明け渡す。彼女に簡単なねぎらいの言葉をかけた後、男は退室していった女と入れ替わるようにして翼のまえに立った。


「シュナウザー、局長……」


 まっすぐに自分を視つめる翼に向かって、アドルフ・シュナウザーは黙然もくねんと微笑みかけた。その顔が、いつになく濃い疲労を浮かべているように感じたのは気のせいだろうか。


「随分と、ひどい目に遭ったようだね」


 短い沈黙を破って、男は口を開いた。


「だからはじめに忠告しておいただろう、あの連中と関わるのは危険だと。生命を粗末にしてはいけない。年長者の諫言には、素直に耳を傾けるべきだよ。おかげで、危うく君は生命を落とすところだった」

「ミスター・シュナウザー、ここは、行政区内の医療施設ですか?」

「そんなことを訊いてどうする?」

「僕を、ルシファーたちのところへ帰してください」

「…………」


 シュナウザーは、感情の消えた目で翼を見下ろした。


「ミスター──」


 言いかけた翼の言葉を無言で制し、男はすぐわきの椅子に腰を下ろした。


「残念だよ、新見くん。君はすっかりあれ(・・)に懐柔されてしまったんだね。あれ(・・)と関わったことで、君がどんな情報を得、私に対する認識をどうあらためたか知らないが、私が君の身を案じていたことはたしかだ。だから君が無事でいてくれたことが嬉しい。私がそう思うことは、おかしいだろうか」

「……ご厚意には感謝します。でも、僕はだれにも懐柔されたりはしていません」


 シュナウザーの発する『あれ』という言いまわしに、翼は奇妙なひっかかりを感じた。


「僕は、みずからの意志でルシファーの許へ行くことを選択しました。決して攫われたわけではなく、自分から彼らの世界に飛びこんだんです。ルシファーは、それを受け容れてくれた。ただそれだけです」

「ならば、そういうことにしておこう」


 病人を興奮させぬための配慮であるかのように、シュナウザーは聞きわけのいいそぶりをみせた。だが、翼は納得しなかった。

 身を案じていた。真摯な態度でそう口にするおなじ人間が、自分とレオの訃報を、偽りとわかったうえで大々的に公表させたことは事実なのだ。


「ここはどこで、僕はなぜ、そしていつからここにいるのか。質問に答えていただくことはできないのでしょうか? ミスター…、グレンフォード」


 挑むように口にした単語に、けれども相手は、なんの感慨も動揺も示さなかった。

 いまだウィンストン・グレンフォードの死を知らない翼に、それが、相手に対する切り札にはなり得ないことなどわかるはずもなかった。だが、その微妙な空気から、重大ななにかが起こったことだけは感じとることができた。


「――ここは、地上に我が一族(・・・・)が所有する施設の一角で、君は、8日前から私がその身柄を預かっている」


 静かな態度と口調を崩さず、シュナウザーは抑揚のない声で語った。


「君がスラムのグループ抗争に巻きこまれ、凶悪な連中に拉致されて生命の危険に晒されていたからだ。信用するしないは別にして、把握している範囲であれば、事実を伝えることも、君の質問に答えることも私には可能だ。帰りたい(・・・・)というのなら、それもよかろう。そんな状態で、それでもと君が強く望むなら、いますぐあれ(・・)の許へ送り届けるが、どうする?」


 筋力が衰えて言うことをきかぬ躰に鞭を打ち、翼はベッドから起き上がった。シュナウザーはそれを、制止することも扶けることもせず、黙って見ていた。

 ベッドから身を起こす。ただそれだけの行為に思わぬ労力を強いられ、息が上がってしまう。チューブのとおった腕でふらつく躰を支えながら、翼は自分が如何に衰弱しているかを痛感することとなった。


「君は病み上がりだ。その躰で、なにができると思う?」


 シュナウザーは冷静に事実を指摘した。翼は力のこもらぬ拳をそれでも握りしめ、強固な意志を示して相手を見返した。


「病み上がりであるなしに関わらず、自分が無力であることなら充分に自覚してます。でも、だからといって最初からなにもできないのだと諦めるつもりはありません。

 局長、あなたがその出自、生い立ちゆえにルシファーを一個の人間として認めないというのなら、僕はあなたを、絶対に信用することはできません」


 翼を見つめていた男の瞳が、そこでなぜか、唐突になごんだ。その反応は、翼にとってまったく予想外のものであった。

 シュナウザーの胸中に、どのような思いが去来したのか、推し量ることは難しかった。そして相手もまた、それを翼に披瀝ひれきすることはなかった。


 ゆっくりと伸ばされた手が翼の躰をとらえ、そのままベッドに横たえさせる。その動作の延長上に、シュナウザーは立ち上がった。


「いまは焦らず躰を治すことだ。いずれ君の仲間たちが、そう遠くない未来に君を迎えにくるだろう」


 そう言い置いて、姿を消した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
off.php?img=11
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ