第24章 親族会議(4)
執務室の内線が鳴って、交換士が事務的な口調で《ウィンストン》より通信が入っている旨を告げて消えた。接続を切り替えてプライベート・ラインに繋ぐと、ほどなく画面にひとりの人物が姿を現した。
「やあ、姉さん。こんな時間にどうかしましたか?」
内務省において地上保安維持局長という任に就く男は、途端に人懐っこい笑みを浮かべた。しかし、画面の中の人物は、苦りきった表情を崩さなかった。
「べつにどうもしないわよ、アドルフ。お父様の葬儀を終えるなり、あなたがさっさと地上に戻ってしまったということ以外はね」
姉の非難がましい口調に、彼女の末弟にあたるエリート官僚は苦笑した。
「いまは殊になにかと忙しいでしょうに、わざわざそんな厭味を言うためだけに連絡してきたんですか?」
あくまで他人事でとおそうとするその言葉に憤慨して、マグダレーナは画面越しにきつい眼差しで末弟を見据えた。
「厭味のひとつも言いたくなるわよ。少しはこちらの事情も察してちょうだい。まったくあなたときたら、あれだけ言っておいたのに、大事な親族会議にも顔を出さずに引き上げてしまうんだから。いま、どれだけあなたに対する風当たりがきついか、ちゃんとわかっているでしょうに」
「しかたないでしょう、僕にだって仕事があるんですから。そうそう穴は空けられませんよ」
「そうね、それなりに責任ある立場にいるのですものね。でもアドルフ、優先させるものの順番が違っているのではなくて? 与えられた義務ひとつ果たせない者に、責務をまっとうすることなど、できるわけがないでしょう」
「勘弁してください、姉さん。仰りたいことはわかりますけど、いましばらくは僕の我儘を容認してもらいたいんです。身勝手は重々承知のうえです」
申し訳なさそうに言葉を紡ぐ弟を見つめるブラウンの瞳に、翳が差した。
「……戻ってくる気はあるのでしょうね、アドルフ?」
「もちろんです」
即座に戻ってきた返答は、極めて簡潔にして明瞭だった。
「そのつもりがなければ、辞表など提出してませんよ。いまの職場は、僕には充分魅力的ですからね」
覚悟を決めたことを窺わせる迷いのない眼差しと口調が、マグダレーナにはかえって痛ましく思えた。
「正直言うと、姉さんやジェフ兄さんのほうがずっと、僕などより適任じゃないかと思っていることはたしかですが」
「アドルフ!」
「おいおい、それはないだろう」
咎めるような姉の声につづいて、第三の人物が画面の中に割りこんできた。長兄バーナードその人である。
「ああ、兄さんもいらしたんですか」
姉の横に現れた長兄に対し、アドルフはちょっと困ったような笑みを浮かべた。
「あんまり刺激の強いことを言って、姉貴の心労がいや増すような軽挙は慎んでくれよ。親父が死んだいまが俺たち兄弟の踏ん張りどきだってのに、ここで肝腎の大黒柱に倒れられちゃかなわんからな」
「すみません」
「まあ、おまえも俺たちに対して、文句や言いたいことは山ほどあるだろうが、運がなかったものと思って諦めてくれ。財閥総裁の地位はおまえに譲る――親父の意思は最後まで変わらなかった。姉貴は一族を、俺は外勢力を、これまでどおり、がっちり押さえこんで牽制する。盤石の椅子をおまえのために用意しておいてやるよ」
「──ひと月後には戻ります」
アドルフは静かに言った。
「それで、片はすべてつくのか?」
「その予定です。残務処理を片付けて、後任の者に引き継ぎを済ませれば、あとはとくに問題はないかと」
「本当にそれだけなの?」
姉の言葉に、端整な貌立ちをした男の表情がほんのわずか、よくよく観察していてもそれとはわからぬほどに硬化した。
「なにがです?」
冷気を含んだ声が、その口唇から漏れ出た。だが、マグダレーナは誤魔化しを許さぬ口調できっぱりと言った。
「あの子に、これ以上関わるのはやめなさいとわたしは言ったはずよ」
「姉さん」
「いいえ、アドルフ。殊この件に関しては、あなたの如何なる弁明にも聞く耳は持ちません。あの子は、わたしたちとは決して相容れない存在。これ以上深く関わって、あなたはどうしようというの? あの子にとってはもちろんのこと、あなたにとっても、お互いが不幸になるだけよ。それがわからないの?」
アドルフは沈黙をもって返事に代えた。それでもなおかまわないのだと答えたなら、姉は果たしてなんと言うだろうか。
弟の翻意を促すことは難しいと察してか、マグダレーナは深い溜息を漏らした。
「アドルフ、仮にあの子がわたしたちの許へ戻ったとするわね。それであなたは、なんと言って彼を一族に迎え入れるつもりなの? 最悪、わたしたちはそれでもいいわ。どうとでもうまく態勢を整えて、受け容れる努力をしましょう。でも、アナベルにはなんと言って説明するの?」
マグダレーナの最大の懸念は、そこにあった。
彼女は、アナベル・シルヴァースタインという自分の娘ほども年の離れた弟の婚約者に、なみなみならぬ好意を抱いていた。その人柄、知性を評価していたし、だからこそ、アナベルには弟の妻として幸福になってもらいたかった。おなじ女として、弟がアナベルにしようとしている仕打ちは容認しがたかった。なにより、アナベル・シルヴァースタインが末弟に嫁すことで必然的に伴ってくる、バックグラウンドの権威に対する危惧があった。
世界に冠すると謳われる富と権勢。すなわち、現人類社会における王座にあってなお、シルヴァースタイン家はグレンフォード財閥にとって軽視すべからざる存在であった。
グレンフォードの一族が、わずかこの50年ばかりのあいだに急成長を遂げた新興勢力であるのに対し、シルヴァースタインの来歴は、《メガロポリス》の歴史そのものにまるごと投影されるほどの名家である。いまでこそ、グレンフォード一族の絢爛たる栄光のまえに、かつての華麗なる風貌を色褪せさせた感のあるシルヴァースタイン家だが、それでもなお、同家は、《メガロポリス》における長老的存在として、人々に一目を置かれつづけていた。
その〈長老〉の機嫌を、損じるわけには断じていかない。そのことが、末弟にはわからないのだろうか。
「マグダレーナ」
バーナードが、そんな彼女に目配せをして小さく首を振った。末弟の心を、これ以上追いつめることのないよう配慮しての制止であった。
「いずれにせよ、猶予期間をひと月とみればいいんだな?」
「ええ、そうです、兄さん。『例のもの』も竣工間近ですから」
弟の言葉に、バーナードの表情があきらかにそれと変化した。
「──わかった。そのつもりで、こっちも準備しておこう」
「よろしくお願いします」
画面の向こうでかすかに頷き、長兄は通信を切った。
あとひと月……。
口の中で呟いて、アドルフ・グレンフォードはひとり、声もなく嗤った。




