第23章 13番目の仕掛け(4)
ラフは、宣言どおり1分半後にルシファーとの接触を果たした。
スピードはさらに上がって、じきに時速320キロを上回ろうとしている。アクセルを全開にして青い単車に追い縋りながら、ラフはルシファーに話しかけた。
「いいか、ルシファー、いまからメイン・システムぶっ壊すから、少しのあいだ、右手どかして上体を後ろへ逸らしてろ」
「この状況で片手運転とは、曲芸まがいだな」
「やかましい! 軽口たたいてる場合かっ。エンジンが焼き切れる寸前なんだぞ。マシンもろとも大破したくなきゃ、とっとと言われたとおりにしやがれ」
「はいよ」
ラフですら、このスピードでの片手走行は難しく、一時的にオート・ドライブに切り替えているというのに、ルシファーは危なげもなく右手を放すと、言われたとおりの姿勢で次の指示を待った。
その技量に、さすがの豪傑も舌を巻く思いだったが、いまは悠長に驚嘆している場合ではない。一刻を争う危急の場であるため、ラフはすぐに次の行動に移った。
「一発で決めるからな、もうしばらくそのままでいろよ」
「オーライ」
普段愛用しているものよりふたまわりほど小型の、破砕力の小さい銃を構えると、ラフは車体の中心部に狙いを定めて慎重に引き金を絞った。
衝撃を受けて、バイクは大きくバランスを崩しかける。そのハンドルを巧みに操って体勢を立てなおすと、ルシファーは相手の放ったエネルギー波が正確に的を射抜いていることを確認して合図を送った。
スピードが急速に半分以下にまで落ちて、危機的状況の第一段階をなんとかクリアしたため、ラフはひとまず安堵の息を漏らした。
とはいえ、むろん、これですべてが解決したわけではない。いまだ時速140キロ近い速度で疾走するバイクから、ルシファーを救出しなければならなかった。
「曲芸の次は、難易度トリプルAクラスのスタントだな。やれるだけの体力残ってるか?」
「無理でもやるしかないだろう。それで、どうする?」
「ついて来い、先導する」
ルシファーは、ラフの言葉に従ってあとにつづいた。
「この先を左にカーブすると、湾岸道路の真上をとおる高架道に出る。直線にして大体300メートルぐらいだが、道が立体交差するその中間、真下に大型トレーラーを待機させてある。あんたならわけもねえだろう。うまくダイブしてくれ」
「中間て……おい、マジかよ。大雑把なうえに、随分簡単に言ってくれるな」
「なに言ってんだ、こんな絵に描いたような悪条件の中で、これ以上どう精密にしようがあるよ。おまえさえうまく飛びこみゃ、なんの問題もねんだよ。しっかりクッション敷いて待たせてあんだ、ここまでくりゃ、身ひとつで10メートル下までダイブするぐれえ、どってこたねえだろ。肚括って、しっかり飛びこめ」
豪快極まりないセリフに、さすがのルシファーも天を仰いだ。が、たしかにいまさらつべこべ言ったところではじまらない。煙を噴きはじめたエンジンが、いま少し持ち堪えてくれることを祈りつつ、彼らは目標地点を目指した。
「よっしゃ、そろそろいくぞ」
左カーブ地点を直前に、ラフはふたたび銃を構え、エネルギータンクを破壊する。青い車体は、さらに速度を落とすが、それでもまだ、メーターは100を割らない。心臓部は、そろそろ限界に達しつつあった。停止するより先に、マシンそのものが火を噴いて大爆発を起こすことは間違いなかった。
きわどいバランスを保ちながら、先導するラフに従ってルシファーは進路を左へとる。2台は、目的の高架道へとさしかかった。
「俺の手下の立ってる、あの真下がトレーラーの位置だ」
前方右手に立って合図している少年を示して、ラフが言った。スピードが徐々にゆるんで、ようやく時速90キロを切るまでになったところであった。
「手回しがいいな」
「なぁに、トレーラーのほうは、セレストのパツキンの女房殿が万一に備えてあらかじめ準備してたのよ。ま、当初の目的からはかけ離れた使い途になったけどな。最悪、黒服のおっさんどもが手に負えなかった場合、思いっきりトレーラーの横腹ぶつけて吹っ飛ばしてやるつもりだったんだとよ」
ラフは笑ってネタばらしをした。
「焦って目測誤るんじゃねえぞ」
減速して路肩に車体を寄せるラフを追い越していきながら、ルシファーは返事がわりの挨拶に手を振って応じた。
失敗は、すなわち死を意味する。
前方を睨み据え、全神経を一点に集中させたルシファーは、ハンドルを握る手に一瞬力をこめ、絶妙のタイミングで右へ切ると、目印がわりに佇む少年のわずか50センチ手前で欄干につっこんだ。その衝撃で、バイクは一回転して柵の外へ躍り出る。おなじく空中へ投げ出されたルシファーは、強く愛車を蹴ってつけた反動をバネに躰を捻り、着地点を定めて体勢を整えた。
白い煙を噴きながら落下したバイクは、下で待機していたトレーラーから数十メートルと離れていない路面に叩きつけられて、ものの見事に大破した。本体の爆発とどちらが先であったかはわからない。いずれにせよそれは、限界を超えてまっとうしたみずからの働きを締めくくるに相応しい、華々しい最後であった。『戦友』のその散華を、ルシファーはトレーラー天井部の分厚いマットレスに身軽く着地した直後に見届けた。
「任務完了」
高架の上からルシファーの無事を確認して、ラフが通信機を介して短く報告する。息を詰めて朗報を待ち望んでいた本部の一同は、盛大に安堵の吐息を漏らして緊張を解いた。
「もしもーし、ボスゥ、生きてますかあ」
機転ばっちりの頼りになる『女房殿』の問いかけに、こちらもまた、気の抜けた声でルシファーが応じた。
「かろうじてってとこだな。アクション・スターでも充分食っていけそうだ」
マットの上に座りこんだまま、ルシファーは気懈く言って低く笑った。
「これに懲りたら、少しはその無鉄砲を慎むのね」
「はいはい。それより、シヴァはそこにいるか?」
ボスの呼びかけに、血色の戻らない顔色ながらも、しっかりした声で青年は応じた。
「さっきは助かった、礼を言う」
「いえ、ご無事でなによりです」
「それで、例の件だが、首尾はどうだ?」
「すでに準備は整っています」
「上出来。キーワードは《楽園》だ。それで調べてみてくれ」
「承知しました」
ふたりだけに通じる会話を交わした後、シヴァは、ほかへの関心をいっさい示さず、その場から立ち去った。
「やあね、なんなのよ、感じ悪い。ふたりっきりで堂々と内緒話なんかしちゃってさ」
「あとで説明する。話は帰ってからだ」
「あら、そ」
不平を口にしながらも、たいして気分を害している様子でもなく軽く受け答えていた黒い巨漢は、
「デル」
あらたまった口調でボスに呼びかけられた刹那、両の手で自分の耳をビタッと押さえた。
「やめて、なにも言わないで。あたしの耳は、たったいまから休業中よ。なんにも聴こえないわ。あら、なんだか歌でも歌いたい気分。ラ~ララララララ~、ル~ララ~」
思いっきり、きっぱり拒絶したにもかかわらず、彼のボスは動じなかった。
「傷口が、また開いた」
瞬間、《セレスト・ブルー》のナンバー・スリー、金髪のデリンジャーは名画になった。
表現派の先駆者として、19世紀後半から20世紀にかけて活躍したノルウェーの画家による代表作。
――その作品名を『叫び』という。
「あ、ロッド船長」
そのさまを見ていたディックが、さらに身近な名を挙げた。
数年前、《メガロポリス》で大ヒットした3D娯楽映画、スーパー・アクション・ホラー・コメディー『死者たちの饗宴』に登場した、ゾンビ・キャラの名であった。
そして、《セレスト・ブルー》本部から十数キロ東に隔たった場所にも、『ロッド船長』がもうひとり──
「ああああ、俺の芸術が……、心血注いで作り上げた最高傑作品が……」
かつての優美さは見る影もなく、完全な鉄屑と化したバイクの残骸のまえで、《黒い羊》のリーダーは呆然とへたりこんだ。
爆発の余韻を残して、周辺はまだ熱をもってブスブスと燻っている。
「なんてこったっ。俺の可愛いセシリアちゃんが、こんな姿になっちまうなんて……」
《首都》で売り出し中のトップ・モデルの名が自分の愛車につけられていたと知って、本来の所有者であるルシファーは、呆れたような複雑な表情で肩を竦めた。
「いや、悪かったとは思うが、なにも他人のマシンに愛称つけなくても──」
「うるせえ、このヤロウ。おまえに俺の気持ちがわかってたまるかっ。所詮おめえは、ただ乗りまわすだけが能のテクニシャン・バイク野郎だ。マニアなメカニックのマシンに対するふか~い愛情なんざ、わかりっこねえ。ちくしょう、おまえなんかに大事な大事なセシリアちゃんを預けた俺がバカだったぜ。可哀想に、たった半日でこんな無惨な姿に変えられちまうなんてよ。あんなナイス・バディのお色気ムンムン、最高にイカしたボンバー・ギャルだったのによお。なんて悪いオトコにひっかかっちまったんだ」
「いや、だから、これはもともと俺の……」
「もう、おまえのためには金輪際チューンナップはしてやんねえ」
たっぷり恨みのこもった視線を向けて、ラフは言った。
「ああ、そうだ。てめえの注文は、ぜってー受けつけてやんねえからな。俺は心からバイクを愛する、心根の美し~い奴のためだけにこの神技をふるってやるって決めてんだからよ。おまえみてえな性根の腐った根性曲がりヤロウなんざ、断然お断りだ」
「おい、ラフ、冗談だろ?」
いささかあわてた口調でルシファーは言った。だが、完全にへそを曲げてしまった天才メカニックは、頑固職人の一徹な面魂と癇癖を示して、口をへの字に曲げたまま、うんともすんとも言わない。
「悪かった、俺が悪かったって。このとおり謝る。頼むから機嫌なおせ」
めったなことでは動じないスラムの覇王が、一グループのボスを相手に懸命に機嫌とりをするさまは、じつに見物であったとか、なかったとか──
第2部 楽園編へつづく
ここまでおつき合いいただきありがとうございました。
文末にあるとおり、次章より第2部 楽園編に突入しますので、引きつづきお楽しみいただければ幸いです。




