第22章 熾烈なる攻防(4)
旧臨海都市の一部がドームによって切り取られている港湾北第1ブロックでは、運輸会社の倉庫やコンテナが建ち並ぶほか、材木、鉄鋼、紡績及び造船、自動車関連の廃工場が数多く点在し、あるいは近接していた。
地上に出たルシファーは、その中のひとつ、静まりかえった旧造船工場の中を、次の爆破地点目指して移動した。
自分に纏わりつく殺意と、それを発する人物の気配は、先刻からずっと感じとっていた。
「ゾルフィン、いいかげんに姿を現したらどうだ」
呼びかけに対し、正面の建物から人影が現れ出た。
次の爆破まで5分。
「タフなヤロウだ。ここまで持ち堪えただけでも、たいしたもんだと褒めてやろう。もっとも、そのぐらいでなきゃ、遊びがいもねえってもんだがな」
「生憎、親が頑丈に生んでくれたもんでね」
ゾルフィンの皮肉に軽く応じたルシファーは、次の瞬間、その場から飛び退いていた。
弾丸が、左の二の腕をかする。躰を回転させて攻撃を避けるルシファーを追って、きわどいところをわざとかすめながら連射された弾が、地面を穿っていった。全身傷だらけになったルシファーは、息を乱しながらゆるゆると身を起こした。
「そんなズタボロのざまで平然と強がってみせる、てめえのそのスカした態度が気に入らねえってんだよ!」
憎悪を剥き出しにしたゾルフィンが、ルシファーの眉間に照準を当てたまま吐き捨てるように言った。
その手もとに神経を集めたまま、ルシファーはゾルフィンとの距離を計算していた。つけいる隙のない相手に追いつめられながら、ルシファーはチラリと後方を窺う。その右手を、ふたつめの弾丸がかすって握っていた銃が弾かれた。
「どこ見てやがる、おまえの相手はこっちだ。残念だったなあ、いくら体力に自信があったって、あんだけ走りまわっちゃバテねえわけがねえもんなあ」
間近まで近づいて銃身でルシファーの頬を叩きながら、ゾルフィンは愉しくてしかたがないようにクックッと笑った。
「どうした、え? さすがのてめえも余裕かます元気もなくなったか? どうなんだよ、おい、なんとか言ってみろよ」
嗤いながら銃身で小突きまわすゾルフィンを、ルシファーは冷然と見返した。その右手が、左手首の通信機を手早く操作していた。気づいたゾルフィンが、容赦なく頭部を殴りつけた。
地面に叩きつけられて、ルシファーは低く呻いた。地に突っ伏したその髪を、ゾルフィンは乱暴に掴んで引き起こし、自分のほうを向けさせる。そして、憎々しげに睨みつけた。
「どこまでいってもムカつくヤロウだな、てめえ。この期に及んで、なに涼しい顔で小細工してやがる。あくまでこの俺に楯突くたあ、よっぽど生命が惜しくねえらしいな。そんなに死にたきゃ、お望みどおり殺してやるよ」
「よ、くゆうぜ。泣いて命乞いしたって……、どのみち、殺すつもりでいる、くせに」
「おーや、こいつは驚いた。まだ口が利けたか」
「……人質はどこにいる」
「俺の知ったことかよ」
相手のこめかみに銃口を突きつけ、ゾルフィンはせせら笑った。その笑顔が、不意に引きつり、みるみる硬化していった。
底冷えのするような青い瞳が、まっすぐに自分をとらえていた。
決して認めたくはない感情。それが、心の奥底で警告を発した。だがゾルフィンは、すぐさまその感情をありったけの思いで否定した。
そんなはずはない。自分は決して、だれかを畏れたりはしない。みずから膝を屈し、何者かの下位につくことなど、あってはならないのだ。
自分はこれまで、他者を踏みつけにしてでも傲然と胸を反らしてきた。裏切ることはあっても、裏切られることは決して赦さなかった。虐げることはあっても、虐げられることなどあってはならなかった。畏怖や恐怖の念を抱かせることはあっても、その逆など、あってはならなかったのだ。絶対に。
惨めな敗北感。屈辱以外のなにものでもない恐懼の念。己の中に、そんなものなど存在するわけはないのだ。
スラムの覇者となり、天下をとるのは、この自分なのだから……。
「もう一度訊く。翼はどこだ、ゾルフィン?」
冷たく冴えわたった青紫の瞳が、なおもじっと、こちらを見据える。ゾルフィンは、己の心の奥底で芽生えかけた感情を、意思の力でねじ伏せた。
無様に地に這う相手を組み伏せ、主導権を握っているのは、自分ではないか。それなのに、この小賢しい獲物は、こんな状況ですら意のままになろうとしない。
なぜ、ここまできて屈服させることができないのか。
苛立ちは怒りへと変わり、それは瞬く間に激しい憎悪へと形を変えた。
銃を突きつけられ、劣勢に追いこまれてなお、昂然と胸を張り、宥しを乞おうとしない不羈の魂――
「……うるせえよ。なんだって俺が、貴様なんぞにご親切に教えてやらなきゃならねえんだよ」
おなじように、覇を唱えようとしただけではないか。
強い者が弱い者を従え、頂点に君臨するのは当然のこと。
《メサイア》では、ただその時期を見計らって第二の地位に甘んじていただけのことで、自分が弱者であったことなど、これまでただの一度もなかった。その《メサイア》が壊滅し、いよいよ己がトップに立ってからは、完璧に配下を従え、統率してきた。組織作りにも、なんら手抜かりはなかったはずだった。
なのに、なぜ違う。自分に、なにが欠けている。
充分な戦力を貯えた。力で支配し、配下を慄え上がらせるその一方で、だれもが己の強さと非情さに畏怖の念を抱き、絶対の忠誠を誓って付き従った。自分とルシファーとで、覇を唱える者としての差がそれほどまでにあるとは思えない。にもかかわらず、ほんの2時間たらずのあいだに組織は壊滅させられた。腕利きの精鋭をそろえたはずの親衛隊までもが呆気なく全滅させられた。それも、ルシファーほぼ独りの力によって――
なぜだ。いったいなにが違う。
「ゾルフィン、翼はどこだ」
醒めた声が、ゾルフィンのささくれだった神経を逆撫でした。
「うるせえんだよ。いつまで余裕面かましてやがる気だ、てめえ」
屈することのない青い光輝が、優位なはずのゾルフィンを追いつめる。
そんなはずはない。たんに強がっているだけなのだ。優位なのは自分だ。最後に笑うのは、この自分なのだ――
「マリンに、なにを吹きこまれた」
たたみかけるように問われたその言葉が、ゾルフィンの最後のプライドを決定的に抉った。
「うるせえっ、黙れ貴様っ!」
「言うとおりにしたところで、その引き金は引くだろう?」
「ああ、そのとおりだよっ! 泣いて命乞いしようが憎まれ口たたこうが、てめえはここで死ぬ運命にあるんだからな。目障りなんだよ、てめえが生きてると!」
憎悪のこもった瞳に狂気が混じる。不意に、ニタリと口角を吊り上げたその口から毒々しい猫なで声が漏れた。
「だがな、ルシファー、最後くらいは願いを聞いてやらねえでもねえんだぜ? 俺は優しいからなぁ。そんなにあのガキに会いたきゃ、俺が会わせてやるとも。スラムの覇王とも言われた貴様が、こんな惨めったらしい姿晒してまで懇願するんだからな」
自分だけが知っている情報。相手が咽喉から手が出るほどに欲してやまないそれを、自分だけが持っている優越感。
ああ、そうだ。この俺だけが知っている。おまえが欲しくて欲しくてたまらない、たったひとつの情報を。
「いいとも。教えてやろう」
ゾルフィンは、掴んでいた髪から手を放すと、両手を添えて銃を構えなおし、こめかみから相手の額の真ん中へと照準を合わせなおした。
そうだ。俺が教えてやる。そして知り得た情報をどうすることもできない悔しさと絶望、己の無力を存分に味わいながら惨めに死んでいくがいい。
「ルシファー、俺が貴様を連れていってやろう。そんなに望むならば、いますぐな。貴様が行きたくてたまらない、〈楽園〉とやらまで送ってやるよっ!」
吐き捨てるなり、ゾルフィンは憎悪を爆発させ、引き金に掛けた指に力をこめた。瞬間、ルシファーは手もとの砂を鷲掴み、ゾルフィンの顔面めがけて投げつけた。
思わぬ反撃を受け、もろに砂を浴びたゾルフィンは、視界を奪われて仰け反り、奇声を発しながら盲滅法に銃を乱射した。ルシファーはその攻撃をすばやく躱し、弾き飛ばされた自分の銃に飛びつくと、振り返りざま、ゾルフィンの手もとを狙って発砲した。
「くっ、ルシファー、貴様……っ」
「そっちこそ残念だったな。口だけじゃなくて、躰もまだ充分動くんだ。おまえは詰めが甘いと最初に忠告してやったはずだぞ、ゾルフィン」
相手に銃口を向けたまま、ルシファーは昂然と言い放った。
形勢は、瞬く間に逆転された。にもかかわらず、ゾルフィンは、なおも戦意を解こうとしなかった。目に入った砂が視界を奪い、不利な状況に陥ってなお、顔を歪めながら隠し持っていた手榴弾を取り出した。
――このままで終わりはしない。決して……。
意のままにすることがかなわなくとも、絶望の闇にだけは引きずり落としてみせる。
爆破まであと2分。
「てめえの魂胆はわかってんだよ、ルシファー。また、あの仕掛けで俺をふっとばそうと企んでやがんだろう。そう簡単に、てめえの思いどおりにはさせねえよ。てめえも一緒に、地獄の底まで引きずりこんでやらあ」
狂ったように高笑いしたゾルフィンは、ピンを抜くと、ルシファーの立ち位置へ正確にそれを抛った。
飛び退いたルシファーの背を、爆風が突き飛ばす。地面に叩きつけられて一瞬無防備になったその躰を、ゾルフィンは渾身の力で背後から羽交いじめにした。
「はあっはっはっ! 貴様の命運もこれまでだ、ルシファー。てめえも道連れにしてやるよ、ひとりで死ぬのは淋しいからなあ」
ルシファーは、その腕をふりほどこうと必死でもがいた。だが、ゾルフィンの死に物狂いの力はびくともしない。その腕が首にまわされてギリギリと締め上げられ、ルシファーは苦痛に顔を歪めた。
あと90秒。
遠のきかける意識を必死に保って、霞む目を凝らした彼は、最後の力をふり絞って銃を握りしめ、頭上の機材を狙った。何度も何度もおなじ位置に撃ちこんで、鉄材を吊り上げているクレーン部分の一点のネジを徐々にゆるめていく。そのすべてのエネルギーを使い果たし、弾切れとなったところで狙った1本が、ついに落下した。鋭くとがった切っ先が、重力の法則にしたがって真下のふたりに襲いかかる。最終落下点であるゾルフィンの背に突き立ったその凶器の感触を、ルシファーは間接的に体感した。
鈍い音につづいて、ゾルフィンの口から大量の血液がガボッと噴き出す。その血を浴びながら、ルシファーは重くのしかかってくる躰を押しのけ、やっとのことでその下から這い出した。
残り20秒。
ゾルフィンの躰を貫いて飛び出した鉄材の切っ先が、ルシファー自身の背にも到達していた。けれどもルシファーは、かまわず全速で走り、先程の遠隔操作によってあらかじめ建物の陰に待機させておいた愛車に跨った。
ハンドルを握ると同時に加速機能を作動させ、アクセルを全開にする。青く輝く優美な車体は、勢いよくその場から飛び出した。瞬間、背後でカッと目映い閃光が炸裂した。
ルシファーの背を、凄まじい爆風と熱気が殴りつけるように叩いた。
「ちょっと、ボス!?」
スクリーンの光点をひやひやしながら見守っていたデリンジャーが、たまらず通話口に飛びついてがなりたてた。ルシファーは、爆風によってタイヤとハンドルを持っていかれそうになる単車を巧みに操りながら、それに応じた。
「ああ、大丈夫だ。なんとか生きてる」
「まったくもうっ、ハラハラさせないでちょうだい。寿命が縮まったわ。あとでシヴァに怒られんのはあたしなのよ」
「悪い。それよりロルカたちの現在地は?」
「ついさっき、《北風門》を抜けたわ。予想どおりの展開になったわよ。いまちょうど、ドームの外周を《東風門》に向けて東進してるとこ。《北風門》からは、大体5キロ地点てとこかしら」
「わかった、これから合流する」
言って、ルシファーは通信を切ると、進路を変更した。




