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眼前

『メインスタンドより』




 メインスタンドの2階席に日本代表チーム関係者が集まって観戦していた。

 選手団のために確保されたスペースに協会の人間、専属の料理人、ドクターなどが並ぶ。最前列には準決勝で退場し出場できない鹿野島荘と水上道が座っていた。


 前半のうちは「○ね!」だの「○せ!」だのと表示できない類の罵声をピッチにむかって叫んでいた鹿野だが、後半にはいってからは落ち着いたまま座って試合を観ている。

 偉そうに足を組んでフィールドを見下ろす鹿野。「どうも嫌な感じだ。あいつ1人に振りまわされてる」


 前のめりになって試合を見守る水上。「17番ですね。名前はヨハンだったかな……昨日の練習では僕が17番の役をしましたけど、まぁ実際試合ってみたら僕なんか話になりませんね」

 そして小さな声でつけたす。僕が20歳になっても同じプレーはできないかもしれない。


「お前でもそう思うほどの選手なのか?」


「ええ、追いつかれてないのが不思議なくらいです。近衛さんも逢瀬さんもいてこれですからね……ドリブルもシュートもおかしいですけど、もっとすごいのはレシーブ能力ですね。まずミスをしない。味方も信頼しているから無理目なボールを迷わず出せる。ヨハンがロストしないから味方も安心してあがれる」


「ヨハンが中盤だと倉木の奴がマークしている」


「他にヨハンをマークできる選手がいないからです。他の選手ならドリブルでかわされたりゴール前にいいパス通されまくるかもしれないですから……倉木さんは相手との距離が近い。だからヨハンはボールをもった状態で他の選手を探せない、2人目の選手がきても接近に反応しにくい。だから並のパスしかだせない」


「倉木だから」


「そう。マークが近すぎるとちょっとした動きではがされやすくなりますからリスキーです。倉木さんが神経使ってるのが見てるこっちにも伝わってきますよ……」


「倉木が守ってる間は火力不足だな。2点目が決まればかなり有利になるが……」


「そうですね。よくある展開なんですよね。追いかける側がいい攻撃し続けるもおよばず90分ほとんど守っていたチームが勝つだなんて……でもウルグアイ戦を例外にすれば攻め続けられる展開なんてなかった」


「お前と俺のせいでだ」

 鹿野はその試合のあと、近衛にエルボーをいれられた鼻を押さえて言った。


「オランダはすべての選手が前掛かりになってます。カウンターで前に残っている選手がチャンスを決めてくれればいうことないんですけど」


 鹿野が頭をかいてから年下のFWにたずねる。さっき「似たチームだって言ってたよな?」。


「そう思いません? ヨハンと倉木さんってエースがいて、よく走る選手が中盤にいて、サイドバックが高い位置まで上がる攻撃的なスタイルで、そうだ、左ウィングがよく点を獲ってます。相手の11番がそうです。日本だと鹿野さんだ」


「俺は出れねぇ」


「11番もあんまりまだチャンスに絡んでませんけれどね。1人で決めるタイプじゃないんでしょう。ヨハンが中盤で前をむけてないからです。後半頭からでた7番もほとんどパスをもらってない。ヨハンが囮としてしか使っていないからです。でもプレーしている以上どこかでチャンスに絡んでくるでしょう。鹿野さんはヨハンを見てどう思います?」


 ボールを奪われ小走りに自陣に戻るヨハンを見て鹿野が一言。

「細いな」


「それは初めて見たときからそう思いましたけど……怪我明けなんじゃないですか? 背番号も大きいし初戦のメキシコ戦では途中出場だった。もともと接触を避けるプレースタイルなのかも。体重の軽さが加速の早さにつながっている」

 ボールを持っている状態でフィジカルコンタクトは前提だ。伸しかかり、押さえ、引っ張り、抱え、掴み、蹴る。ヨハンの細身でそれに耐えられるとは思えないのだが……。

「ヨハンはともかく相手の動きを読むのが上手い。相手の出方を予測し絶対に手が届かない位置にボールを置いている。だから相手は手を伸ばしてもヨハンに届かない。フィジカル勝負にならない。足も長いですよね」


「ドリブラーっつったら足が短いもんじゃないのか?」


「でも1発で切り返せる距離が長くもなります。前半逢瀬さんを抜ききることができたのもそのためですね」


 鹿野は手で口をふさぎ、眼を細くした。何かに気づいたようだ。「もしあいつが怪我明けだとしたら、ゲーム勘が鈍っていなきゃおかしいだろ」


「そうですね。普通サッカーから長い間離れてしまったら頭も体も鈍りますから……ヨハンはそれでも通じるくらいこの世代で飛び抜けた才能を持っているのかも」イコールボルヘスやテスラや日本の誰よりも上ということになる。「何カ月か休んでも世界大会で活躍できるくらいずば抜けた選手だったのかも」


「ありえんのか」


「もしそうだとしたらもうフル代表のゲームのベンチに座っていてもおかしくはないですよ。笑うしかないですね」実際水上は笑っていた。


「……これからえっと……35分間あいつを完封できると思うか?」


 水上はため息をついてから。「このゲームはヨハン1人のために行われているわけじゃないです。……あっヤバそう」

 2人はフィールドに注視する。




『阻止』



 後半11分。


 日本の縦のロングボールをオランダの3番が大きく蹴り返す。

 これが直接日本のゴール前に。残っていた11番が近衛と競りあう。

 相手の肩を掴みジャンプさせない。10センチ以上小さい近衛が競り勝ちヘディングでクリア。

 2秒前に走りだしていたのはオランダの8番。マークしていた織部を背後に落ちてくるボール目がけ突進、ミドルシュートを放つ!

 ゴール左隅を確かにとらえたシュートだったが待ち構えた逢瀬の右胸に当たる。いや当てさせたというべきか。そのままボールはゴールラインを割った。

 ヨハンの絡まない単純な攻撃ならばさして問題ない。逢瀬も近衛もこれまで通り鉄壁を名乗れるのだ。

 オランダの攻撃を複雑化できるのはヨハンと4番だけだ。だがあの2人がまとものプレーし始めた途端守りの歯車は崩れる。

 結果として……こうなる。



 オランダはショートコーナーを使う。ヨハンから7番へ。俺が前をふさぐとボールを失うことを恐れさらに後ろのバックパス。

 ここからプレッシャーをかけられない。ボールがオランダ陣地へむかっているのにそこにいるのは志賀1人だけだ。ベンチから青野監督の声が届いてくる。だがその言葉を信頼していいのかわからない。

 リードされたオランダが攻撃、リードしている日本が守備をずっと担当している。これまで信頼しきっていた日本の守備が機能していない。守備の流れの悪さが攻撃の遅滞を生み、前のFWが孤立しがちになる。ボールをすぐに失う志賀や古谷は信用されず、そのためMFやサイドバックのフォローが稀になる。


 オランダの5番が4番へボールを出そうとしている。

 センターサークル付近でフィリップス対志賀。ここで奪えばチャンスを生み出せるはずだが。

 フィリップスの右横から襲いかかる志賀。

 フィリップスはボールをトラップしない。右足でわずかに勢いを殺すにとどめ、弾んだボールを追うように時計回りにターン。あっさりと志賀をいなし、下がったヨハンにパス。これはセンターバックのプレーじゃない。

 おそらく4番は普段ボランチをやっているのだろう。守備要員を捨ててでもテクニックがある選手を起用している。

 こういう選手が最後尾にいるからオランダは攻撃に舵を切れたのだ。足の速い選手にプレッシャーをかけられてもまったく動ぜずプレーできる。

 依然ゲームは日本陣地のみで行われる。



 金井が足を伸ばしボールに辛うじて触れた。オランダから見て左サイドのタッチラインを割り、オランダボールのスローイン。

 その時「強い奴と戦いたいんだろ?」と近衛は逢瀬に呼びかける。


「あ?」

 逢瀬はレーリンクがボールの出し手を探しているのを観察している。


「強い奴と戦いたいからこのユニフォームを着てオーストラリアまでくんだりきているんだ」


 ボールを頭上にかかげているレーリンクを中心に選手が錯綜する動き。


「ヨハンに俺たちが敵わない? それこそ歓迎すべきことだろう。雑魚相手に無双したかったらお前の田舎でもできるだろう?」


「田舎言うなよ」と逢瀬。


「あいつを押さえて勝ってこそ世界一の価値がある。今までの相手なんか比較にならん」

 ヨハンはレーリンクの10メートル前方、日本のMFとDFの間でただ1人不動、スローインでのプレー再開を待っていた。


「ヨハンはモノが違うんだ。あいつ相手には守りをしかけないと通じない。リスキーな守りになっても仕方ない。……俺の指示にしたがうだけじゃ駄目だ」と近衛。「お前の本能に耳を傾けろ」


 レーリンクはマイナス方向のスローインを選んだ。左サイドバックへ。

 左サイドバックは真横をむいてヨハンを見る。横パス? しかしその姿勢のまま1時方向へのスルーパスだ!

 大槌が裏をとられた。とっているのは11番。ペナルティエリアに斜めに突っこんだがわずかにタッチが大きくなったところ、逢瀬がボールをかっさらった。

 クリアせずにドリブルで密集地帯を駆け抜ける。だがわずかにタッチが大きくなった。進路先にはヨハン。


 ヨハン。(これじゃ前半の二の舞だ。そんなつまらないミスはしないでもらいたかったけれど)。


 逢瀬が足をもつれさせた。先にボールに触れるのはヨハンか?


 ヨハン(爪先で浮かせてボレーシュート)。


 逢瀬はスライディング。ヨハンの足を狩る勢いだ。


 ヨハン(愚策だ。失敗すれば死に体になるスライディングを選ぶなど。所詮この程度……)。


 この瞬間逢瀬はヨハンの予測を超えてみせた。浮かせたボールで逢瀬を腰かけたボールが逢瀬の腿に当たる。逢瀬はヨハンの眼の前で立ち上がっていた。片膝をついたスライディングを途中で止め残ったエネルギーを使って立ち上がる。横になった体を飛び越えるはずだったボールは逢瀬に当たる。コントロールしたはずのボールをヨハンが初めて奪われた。


 逢瀬はこう思う。(これが自分からしかける守備。ヨハンが攻撃のスーパープレーを続けるのならば、こっちも守備でスーパープレーをみせなければ守りきれない)と。


 オランダのサイドバックが前からいく。逢瀬は奪われる前に俺にパス。

 俺の前にはヨハン。攻守が交代した。

 ヨハンの頭上にボールを浮かせる。ヨハンの背後にカヴァーする選手がいなかった。入れかわり前をむく。まだ日本陣地だ。

(志賀が遠いサイドに流れていた)。俺は左横を走る金井にむかってラボーナでパス、というフェイントをいれてからドリブル。距離を稼げる。

 右後方からヨハンがチャージしてきた。サボりがちな守備も俺相手には燃えるらしい。

 俺は3番から離れる動きを見せた志賀に鋭いパス。

 俺が観察していたのは志賀ではなく背後の3番。体重が完全に前掛かりになっている。

 志賀はボールが届く寸前反転、ヒールでフリックしペナルティエリアに流したぞ!

 ゴール前でGKと1対1になる寸前、ふりきったはずの3番が間に合う。

 志賀の視野の左から3番がブロックを叩きこむ! 立ち止まった志賀は呆然とした表情。

 普通のDFなら絶対最初のタッチで勝負は決まっていたはずなのに。足が速い、なんてもんじゃない。




『ふたたびメインスタンドから』



 その光景を見て水上がつぶやく。「間合いが広い。それに身長の割に動きが良すぎる。普通190センチのセンターバックといえば空中戦要員だと思われますがこの選手はスピードもある。素材だけでも十分1流になれそうですが今のプレー……」


「どうした?」と鹿野。


「志賀さんが踵で前に落とした瞬間もう後ろに体重が動いていた。志賀さんがなんらかのアクションで背後を突くことを予想していたような動きでした。これまで相当強いチームメイトと対戦して揉まれてなければこうはならないはず……」


「あいつはヨハンと同じクラブだ」


「いいDFはいいFWが育てるんです。あの選手と日常的に対戦できるならそりゃ経験値稼げるでしょうね。それに最初の失点のシーンはほぼノーチャンスだった。……ヘーシンクは日本の2人と同レヴェルのセンターバックかもしれない」


 鹿野が両の膝を強くつかむ。「出たいな」


「……強敵だからこそ戦いたかったですね」

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