肖像・下
『現在』
出場した11人がロッカールームに戻り、引き続き意見を交わしながら水分を摂る。ベンチに深く腰掛け体力の回復に努める。ユニフォームを着替え後半戦に頭をきりかえる、
少なくともそうしようとはした。
後半の45分間、何が起こるかがわからない。シナリオのないドラマを即興することになるわけだ。俺にはそれなりの役をあたえられているようだが演技力にまるで自信はない。
落ち着いてきたら監督が選手たちを黙らせ指示を伝える。
ベンチ組のすべての選手がアップをしているが出場できるとは限らない。青野監督は後半開始早々カードをきるつもりはないようだ。
たった1人の選手が試合の大きなパーセンテージを占めている。オランダの17番、ヨハン。こいつを止められるか止められないかで試合の結果が決まりかねない。
青野監督は俺と有村にある指示を出した。俺と有村はすぐさまうなずいた。だって、そうするしかないだろう。決勝戦まできてあの人に反逆なんてできない。フィールドに出られるのなら俺はGKだってするつもりだったから。
……ロッカーに大きな輪ができる。参加していない選手は鹿野と水上だけだ。2人はスタンドで観戦している。
声を発するのは日本のキャプテンだ。
「今リードしているのは俺たちだ。焦るのはオランダのほう、時間が経過すればするほどあっちは冷静でいられなくなる。……後半どんなに苦しい展開が待っていたとしても忘れないで欲しい。俺と近衛が後ろを守っている」
「ん?」
「最後のさいごまで勝つことにこだわってプレーしよう。そのことはあの準決勝を勝ち抜いた俺たちにはわかっている。45分後、俺たちは英雄になれる。試合にでてないメンバーも含め全員がそうだ。だってそうだろ? 世界大会優勝は今まで誰もやりとげられなかったことなんだ」
檄を挙げ輪が解けた。コーチたちが手を叩き選手たちを焚きつけた。先発した11人が話をしながらロッカールームを出、フィールドに近づいていく。スタンドのざわつきが耳に届くようになる。観客がカメラをむける……。中継しているテレビのカメラのそばを通り過ぎ俺はフィールドの中に足を踏み入れた。
オランダは1人選手を代えるようだ。先発した右ウィングの15番が特に見せ場もつくれず7番と交代する。登場するのは面長の長身の男だった。ドリンクボトルをスタッフに返し、スパイクの裏を見せた選手がフィールド内にはいってくる。オランダの新しい血、新しい酸素、新しい刃だ。
また円陣を組み、言葉を交わし離れる。逢瀬は例の鋭いまなざしでオランダ選手たちをハーフウェーライン越しに睨んだ。眼で相手に呪いでもかけているかのようだ。
「楽しんでいこう」と俺。
「俺は楽しめない」と逢瀬。
「そう? そういう奴もいるだろうけどさ。プレッシャーあるのはわかるけどそれも楽しめるだろ」
「俺はここにきて1度だって楽しいと思ったことはなかった。ただの1度もだ」
3秒ほど観察してみた。……逢瀬は嘘をついてなどいないようだ。これまでの6度の勝利はいったいなんだったのか。優勝するための過程にすぎない、この試合を落としたら一切無意味だと?
逢瀬博務という男はどこまでも真っ当で、リアルで、正気だった。いっそ気持ち悪いほどに。まるでサッカーそのものが苦痛でしかないようだ。
「優勝したら喜べるだろう? 試合終了の笛聞いたらさ」
「ああ」
「それなら」
勝って終わりゃいいんだよ。
『過去』
サッカーを始めたのは小学校6年生の時だった。これはもちろん日本代表メンバー21名のなかでもっとも遅い。
希望するポディションはDF。当時から俊足で名の知れていた少年だった逢瀬博務はクラブのコーチからFWになることを強く薦められたが固辞している。
「俺はDFがやりたいんです。DFをやらせてくれなかったらサッカーはやりたくない。センターバックが完璧なプレーをしたら絶対に失点しないでしょう? GKなんかよりずっと重要なポディションだ。俺がいる限りチームが負けることはない、そんな選手になりますよ」
その言葉が現実に反映されることはなかった。ただ足が速いだけの逢瀬はポディションミスを繰り返し、味方との連携もなく個人プレーに走りたがり、やみくもに攻め上がっては失点を繰り返した。
空中戦での高い勝率、セットプレーでの攻守にわたる活躍から逢瀬に才能があることははっきりしている。前線でプレーすれば伸びるとコーチは考えていたが、本人がDFを希望する以上そこを否定するわけにはいかなかった。
中学校のサッカー部にはいった逢瀬だったが、依然身体能力任せの不器用な選手のままだった。さして目立つ存在はなかった彼はチームを全国に導けるような『特別な選手』ではなかったのだ。
このころは授業で好記録を連発した陸上短距離選手も兼任し、九州大会にも参加した。陸上部には何度も誘われたが断り続けている。
「陸上をやっていたことはけっしてサッカー選手として道草なんかじゃない。俺のように足が速くて高い位置まで跳べるセンターバックは少ない。選手としての武器だ。だから絶対俺はサッカーを諦めない。代表の試合を観てボールを蹴り始めたんだ。あのチームに絶対にはいってやる。俺はあいつらとは違う。俺のいるチームは負けたりなんてしない」
逢瀬の想像する理想のプレイヤーとは、圧倒的なスピードで相手から選択肢を奪いとり、しかけるドリブラーをなぎ倒し、ゴール前の制空権を確保できる跳躍を有すセンターバック。今現在の自分の能力を仮想することはできてもその当時の逢瀬には実現することなど到底かなわなかったスタイルだ。
中学3年の秋、逢瀬は地区トレセンに選ばれ県内の大会でプレーすることとなった。
予選リーグ2試合、決勝トーナメント2試合、計4試合を全勝で終わらせた逢瀬は、初めてサッカーという競技でタイトルを手にしたことになる。
この4試合を通し逢瀬は大きな手応えを得た。
功績はKという40代の指導者だった。
普段はよその学校の監督をしているKがその4試合、『未完の大器』と呼ばれる逢瀬につきっきりでコーチングし、センターバックに必要とされる技術、判断を叩きこんだ。
県を代表する選手たちが集まったこの大会、逢瀬は難敵に苦戦を強いられた。だがそれゆえに試合中集中力を切らすことは1度もなかった。ただの1度も。自分の持つすべてを試合に注ぎこまなければ守ることはできない相手。否が応にも神経は研ぎ澄まされた。
逢瀬の所属するチームはこの地区トレセンで初優勝を飾った。
彼のこの大会での印象は好プレーと失点に直結するミスが入り交じる不安定なセンターバックといったところ。まだ本人が言うような『日本代表』など夢のまた夢にすぎない。
何しろ地区トレセンの上には県トレセンが、県トレセンの上には地域トレセンが、地域トレセンの上にはナショナルトレセンが、そしてナショナルトレセンの上にようやく、
ようやく世代別の日本代表が現れる。
半年後、逢瀬は県内の高校に進学。サッカー部の強さは県下3番手といったところだ。この数年全国大会に出場したことはないチームだった。
それからわずか2カ月後、逢瀬は青野監督が率いる16歳以下の日本代表に呼ばれることになる。
きっかけは入部直後に逢瀬がレギュラーの座を奪いとり、プロクラブとの練習試合で完封勝利をあげてみせたことだった。
この試合で逢瀬は自分のサッカーを理解する。
逢瀬のサッカーとは『強きをくじ』かせるもの。相手が強ければつよいほど燃え、油断がなくなり、プレーに迷いがなくなる。
逢瀬は10以上年上の選手相手にしかける守備を繰り返した。
クロスボールに頭から飛びこみ先に触れる。
FWに背後のスペースをつかれるも起死回生のスライディングが決まる。
ドリブルでキープし相手のファウルを誘う。
プロが放つシュートは磁力で吸い寄せられるように逢瀬の伸ばす足に当たった。練習でもできなかった守りが試合でだせる。自分のサッカー人生で最高のプレーがその1試合に詰まっていた。試合終了後、すぐさま相手の監督が部の監督に将来の契約をもちかけるほど逢瀬のプレーは際立っていた。
「1年がプロ相手に試合してたんだ。ただがむしゃらにやるしかなかった。結果として無失点で試合を終わらせられた。今でも信じられないよ。試合が終わったらプロ選手から握手を求められて、名前を教えて、で学年を教えたらあっちはすごく驚いてたよ……。でもインターハイも予選で負けに終わったしサッカー部に貢献できたとはいえなかった。いくら練習でいい結果を出しても仕方ない」
対戦相手の監督を通じ代表チームのリストに逢瀬の名前が載ることとなる。プロチームの攻撃を食い止めたセンターバック。そこからはトントン拍子で話が進んでいく。
仙台で行われた国際大会、3試合中2試合で先発出場。結果を残した逢瀬はセンターバックのスターティングメンバーとしてレギュラーに定着。
本大会の半年前に行われたアジア予選からはキャプテンとしてチームをまとめる役を買ってでることとなる。粗削りでも勢いがあり情熱がある。逢瀬は指示出しや選手としての実績よりもまずプレーでチームメイトをひっぱることができるキャプテンだった。
「俺がチームで1番下手くそなんだ。だから練習でも気が抜けない。ちょっとたるんでみせればみんな俺を置いていってしまうだろう。だからずっと全力で、アクセルを踏みっぱなしにして……」
そして本大会直前に行われた国内最終合宿。逢瀬の能力を最大限活かすことを考え、青野健太郎代表監督はキャプテンとコンビを組むもう1人のセンターバックに大槌ではなく近衛を指名するに至る。
逢瀬博務を完成させたのは近衛類だ。