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肖像・上

『現在』



 ロッカールームに戻って5分が経過。

 選手たちの熱気が収まったのを見て話しを始めたのはユニフォームを脱いでいるヨハンだった。監督やコーチでもなくたかが選手にすぎないヨハンが。

「1点のビハインドは決して悪くない展開だ。後半どこかでこっちが追いつけば相手は絶対慌てるはずだ。そこから逆転に持っていくのは難しくない。ホフマン」


 ホフマン=8番=大型ボランチが顔を上げる。「ああ」


「アリムラは底が知れない。マンマークはお前にしかできない仕事だ。無理に奪いにいく必要はない。ゲームメイクだけではない、後半どこかでペナルティエリアにはいってゴールを奪いにくるかもしれない」


「わかった」


「大事なのは中盤だ。他がフリーになってもクラキに前をむかせるな。前半は消えていたがあいつがこのままで終わるはずがない。奴を孤立させるためには攻撃に人数をかければいい。ワールス」


 ワールス=11番=左ウィングが反応する。「おお」


「ルッテにスペースを与えろ」ルッテ=5番=左サイドバック。「ルッテは自分をウィングだと思っていいからどんどんワールスを抜いていい。ワールスは後ろに回ってカヴァーだ。それができなきゃベンチだ」

 ワールスは黙ってうなずく。


「前半やっかいだったオオツチの攻撃参加もそれでおさまるだろう。で、チャンスはつくれたがコノエとオウセ2人のセンターバックはやはりやっかいだ。こっちがゼロトップしてるのに隙をつくってくれないな」


「このままやるのか?」とワールス。


「それ以外の方法を俺は知らない。不運もあった。お前のオフサイドも俺のシュートミスも。だが今のやり方を信じるしかない。他の方法? 背のある選手をあげてパワープレーか? あんなのサッカーじゃない。俺が前に残ってカウンター一辺倒か? 現実的じゃない。味方を使わなきゃ俺もあの2人は崩せない。攻撃パターンを複雑にしないとコノエのパスカットに遭い、フィジカルで問題を解決しようとすればオウセが飛んでくるだろう」


 ライカ=10番=トップ下が口をはさむ。「だがあの2人以外はそうでもない」


「そう。あの2人だけで守りの問題は解決しない。たとえあの2人が世界ナンバー1ナンバー2のセンターバックだろうと、2人だけで守りきることはできない。だからこそ人数をかけて攻撃して、相手の守りの問題点を浮き彫りにしてやらなきゃ。同点にだなんていつだってできる」ヨハンは豪語した。「俺の言うことをちゃんと実行できればね」


 ヘーシンク=3番=右センターバックが手を挙げる。「こっちの問題はどうするんだ。中盤がどうだろうとクラキと少ない人数で戦うはめになるのは守る側の俺たちだ」


 ヨハンが厳しい眼をヘーシンクにむける。「11人でやる競技なんだ。守ることは決してお前たちDFだけの問題じゃない。攻撃を少しでも遅らせれば味方が絶対にカヴァーしてくれる。何より攻撃の機会を減らしたい。それが上手くいってないのが問題なんだけど……そうだな、戦前の想定より日本が強かったことは認めよう。奴らはチャンスをのがさなかった。これまでのイメージなど捨てていい。日本はまぐれでここまで勝ち上がってきてなどいなかった。準決勝での苦戦があのチームをまた1つ上のステージに上げたようだ」


 フィリップス=4番=左センターバックが挙手する。「俺はどうすれば?」


「中盤に上げる。3-4-3がいいだろう。だが数字を変えたくらいのことで劇的に状況は変化しない。連中は守り方を知っている。これまで対戦した相手のなかでもっとも堅牢な守りができる。……最後のゲームにふさわしいな。これが決勝だ、最後のゲームだからといって特別な意識を持つことはない。何、お前たちにはこれからがあるんだからな」


「お前にはない」とワールスは言った。


「……ヨハンと同じクラブの奴ら、多いんだよな」とレーリンク=16番=小柄なボランチが言った。


「お前はそうじゃないが……ワールスにライカ、ルッテ、フィリップス、ヘーシンクがそうか。同じクラブで固めたほうがチームワークという点で日本より有利に立っている。個々ではなくチームワークで戦おう。準決勝、日本はクラキという怪物に頼らなければウルグアイを倒すことはできなかった。しかしオランダは違う。このチームは俺のものじゃないんだ。そうだよね監督」


「……ああそうだ。そうだとも……」


「みんなが俺を信じてくれたからここまでこれたんだ。考えてもみろ、オランダといったら個人主義者、それに代表チームといったら人種対立でチームがバラバラになるなんてよくあることだっただろう。それがこのチームではない。プロデビュー前後で選手たちの実力差がはっきりしないこの年代にあってプロ選手じゃない俺がチームを仕切っている。半年前までのことを考えれば……入院してたんだ。今の現実は奇跡みたいなもんだ……だから1点のビハインドなんて俺たちにとってなんでもない」ヨハンの鎖骨から鳩尾にかけて縦に痕がある。それを隠すようにオレンジ色のユニフォームを再度まとった。「このユニフォームの重さを感じろ。俺たちがどんなサッカーを指向していたか……お前たちはそれを継承できるんだからな」

 そうヨハン=17番=センターフォワードが言った。

 ワールスはヨハンを見て思う。(どうしてあいつなんだ? あれほどの才能をもつあいつがサッカーを辞め俺たちなんかがのうのうと……。あいつさえいれば将来あの金色のトロフィーを掲げることはたやすいはずなのに)。



『過去』


 ワールスは確信している。ヨハンに比べれば、自分や他のチームメイト19名など石ころのような存在にすぎないことを。


 ヨハンほど速く、ボールを上手くコントロールし、失わず、味方につなぐことができる選手はいなかった。

 奴は二手三手先を読んだプレーを得意とする。自分にマークが集まれば味方を使い、あえてパスワークから消えたと思ったらゴール前に出現しシュートを決めることもできる。相手の考えを読みゲームをつくることができる。ドリブルしながらもフィールド上最速で動ける地球上唯一の選手だろう。

 当時からFWだったワールスなどよりシュートは巧みだった。インサイドインステップインフロントアウトサイドヒール……足のどの部分を使ってもシュートが上手い。ゴールエリアならどんな体勢からでも確実にシュートを決められそうに思えた。

 ともかくチームメイトからすれば神のように慕われる存在だった。今プロリーグで活躍しているどの選手よりもヨハンは上にいきそうに思えてならなかった。生まれながらに患った心臓病など完治している。そんなものは奴の栄光の妨げになどならないとみんながそう思っていた。


 練習でもそう、試合中でもそうだったが、奴がサッカーについて間違えることなどなかった。奴の指示に従いさえすれば状況は好転した。

 ヨハンは大人のコーチたちと同等の知識、知恵を有し、あらゆる技術を飲みこみ、それを同い年のワールスたちに伝えた。誰もヨハンに追いつけるほど早く上達できなかった。奴はフィジカルでもテクニックでも戦術眼においても3年か4年先を行った選手だった。


 敗北を知ったのは12歳の時だった。

 オランダ国内で行われた大会に優勝し、ヨハンたちの所属するアムステルダムのあのクラブはオランダを代表してフランスで行われた12歳以下のクラブチームの世界大会に出場する。

 準決勝で敗れた相手はスペイン、カタルーニャのあのモンスターファクトリー。バロンドール上位3名を占めるに至ったこともあるあの世界最高の下部組織が相手だった。

 失意に沈んだヨハンらを驚かせたのは、決勝でそのカタルーニャのクラブが敗れたことだ。スコアは5対4。その大会を制したのは日本の大阪のクラブだった。

 大会MVPにはガンズ大阪の倉木なる名前の少年が選ばれた。大会得点王とチーム優勝の計3冠。表彰式でトロフィーを軽そうに持っていたことを今でも思い出す。

彼を実質的に同年代世界一のプレイヤーと呼称してかまわないだろう。

「初めてライヴァルが現れたんだ。意識だってするさ……確実に対戦できるとしたら5年後のU-17かな。あいつがつまんない奴になってたら俺のオランダと戦ってもらう」


 ヨハンと倉木はカタルーニャのクラブからオファーを受けている。両名とも当面母国のクラブで活動すると。

 ヨハンは言った。「あちらのサッカーも魅力的だけど、俺にはこっちの空気があっている。何より5年後はこのメンバーでオランダ代表として戦うことになるんだから」その予言は的中した。「俺がむこうにいったら代表だけでしか一緒にサッカーできなくなるだろ」


 ヨハンは自分より上の存在を認めない。試合中はベンチやチームメイトの指示ではなく自分の考えで動く。それが正しいとわかっているからだ。まだプロでもない子供がそんなサッカーを始めて認めるコーチは少ないだろう。だからこそヨハンは自分が生まれ育ったそのクラブに腰を据えなければいけなかった。


 それから4年間、ヨハンは順調に選手として成長した。もう半年もすればトップでデビューできる。ヨハンとクラブとの間でプロ契約がむすばれようとする直前のことだった。

 病歴があるためヨハンは大学病院で健康診断を受けた。

 医師は即日入院を薦め激しい運動を無期限に禁止した。


 エースであったヨハンを欠いたオランダ代表だったが辛くもヨーロッパ予選を勝ち抜きU-17ワールドカップ本戦に駒を進めた。


 半年後、治療を済ませたヨハンはクラブの監督、代表監督、および協会に談判する。

「本大会だけなら俺の年齢も体力も間に合う。サッカー人生の最後にわがままを聞かせてはくれないか」と。

 そしてチームメイトにはこう。「くだらん大衆共を満足させるつもりはない。これは俺個人の戦いだ。最強の17歳であることを証明できればサッカーを辞めることに後悔はない。最強の証明は優勝することでできる。大会MVPだのベスト11だのに興味はない。そんなものは他人の評価だ。俺はおれの実力でオランダを優勝させる。それが俺のサッカー選手としての存在証明になるんだ」


 最初は誰もヨハンを評価などしていなかった。過去の実績だけで、あるいはコネで本戦メンバーのなかにもぐりこんだのだと。

 半年間サッカーから離れた体で何ができるのだ、と。

 そして自分たちはヨーロッパ予選をヨハン抜きで突破してみせたのだ。今さら奴に何ができる。


 ヨハンは最終合宿のすべての練習メニュー、そして10分未満の出場となった練習試合、すべてに全力を尽くした。これまでのクールなヨハンのイメージではなかった。

 コーチたちはその姿を見せることで、ヨハン以外のメンバーの奮起を促していたのかもしれない。そのために病気明けの元エースが選出されたのかもしれない。


「もちろん俺にそんなつもりはなかった。足が細いのはもともと体質なんだ。体力のなさは自分でもわかってる。ペース配分すればフルタイムでもなんら問題はない。この使えない心臓もこの大会まではもつんだ。たかが半年休んだくらいでお前らに追いつかれる心配などしていなかったよ」


 そして大会開幕。

 グループリーグC、オランダは初戦、強豪メキシコに苦戦を強いられた。

 後半38分に勝ち越しを許し2対1。

 この大事な場面でヨハンが途中出場。ベンチはその采配に色めき立った。

ここから。

 裏をとり最少の動きでGKをかわし同点ゴール。

 さらに中央からドリブル、ライカとのワンツーで裏に抜け出しシュート、こぼれたところを味方が押しこみ逆転。チームの初戦勝利に大きく貢献したヨハンはそれ以来オランダのエースであり続けている。


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