鬼胎
『未遂』
もしマルコーニがとっさに後ろをむき、ボールの下をパンチングすることができなかったら、ヨハンに同点となるゴールを許していただろう。ボールは上に逸れ失点は免れた。オランダのCK。走りだしかけたヨハンが頭を抱え、ペナルティエリア内で立ち止まる。
慎重に狙いすぎた面もある。だが今はマルコーニを褒めるべき場面だ。
これまで2人のセンターバックが気張りすぎたおかげで出番がそれほどなかったが、マルコーニもやるときはやる奴なのだ。GKとして『動的』なタイプでかなり早い段階で相手のシュートを予測し動く。スーパーセーヴを連発する魅せるキーパーといえる。
そのマルコーニとハイタッチをした近衛が今は逢瀬の頭を掴み話しかけている。「落ち着け! たまたまお前が釣りだされて抜かれただけなんだ。最初のプレーだから」相手のエースに恐怖心を与えるために。「潰しにいくのはわかるが奪いにいかなければ抜かれることもなかった。次はないぞ!」
逢瀬が手を振り払い答える。「わかってる。それより……」
『コーナーキック』
前半25分。オランダのCKだ。
ともに190センチ台の4番と8番がゴール前に上がる。これまでの6試合でも相手の脅威となっていたオランダのセットプレー。平均身長世界一のオランダらしく背の高さを攻守に活かせる。
しかし今の日本のメンバーならさほど怖くはない。大槌織部と180センチ後半の選手が2人、そして逢瀬の身体能力。だからペナルティエリアにボールが飛んできても問題はない。
問題があるとしたらオランダのキッカーがヨハンであることくらいか。
俺と志賀が前に残る。
攻めるオランダから見て左サイドのコーナーにオランダの17番が立つ。
右利きのヨハンが入ってくるボールをいれてくるはずだ。ゴールにむかって入るボールは当てるだけのシュートでも決まってしまう。
……ニアサイド、混戦のなかオランダの選手が頭であわせゴールイン。そんな悪いイメージが俺の頭にできあがりつつある。
大丈夫だ。日本選手がニアサイドに集まってスペースを消している。決まりはしない。
リラックスした様子のヨハンがゆっくりと助走にはいった。
右足のインフロントキックではなく、
アウトフロントキック。入るボールではなく逃げるボールを蹴ってきた!
ボールはニアサイドの選手たちの頭上を越えファーサイドの11番へ、通るはずのないボールが通った。
ワントラップした11番が左足でシュート! これをマルコーニが待ち受けていた。倒れながら右手一本で防ぐ! こぼれ球を近衛が処理。
……おそらくヨハンが助走にはいった位置からキックの種類を予測できたのだろう。アウトフロントで蹴るボールの軌跡を読み、ファーサイドのスペースにオランダ選手が入りミドルシュートを撃ってくるとわかっていた。味方に声を出したが間に合わず自分で止めるしかなかったが……。
「やれやれ俺が活躍しなきゃダメなチームですね」とマルコーニ。
「本当だよ」と逢瀬。「やってくれたな!」
日本の守護神が続けざまにビッグセーヴ。こいつを乗らせてしまうとオランダにとってもまずいことになりそうだが……。
自陣に引き返すヨハンは飄々とした様子だった。キックの精度もおそらくチームナンバーワンだろう。あいつはサッカー選手として完成されすぎている。
たった1つの好プレーで試合の流れが変わったりはしないはずだ。たとえヨハンがどれほど優れた選手でも。リードしているのは日本でオランダではない。
そして2点差がつけば連中も絶対焦るはずだ。オランダの攻撃をリードするヨハンも例外ではない。
『前線』
有村には大型ボランチがついて回る。オランダの8番が身体能力で有村に前をむかせない。しかし有村なら横パスバックパスでも攻撃のリズムをつくりだすことができる。左沢に近衛とゲームをつくる選手は他のも大勢いる。問題は日本がボールを失った瞬間、有村がこの巨人といってもいい体躯のプレイヤーを止めることができるかどうかだ。今のところ悪いボールの失い方はしていないから問題になってはいないが……。
さきほどシュートを放ったオランダの16番は金井とプレースタイルが似ている。ともにMF、走力があり、ミドルシュートがあり、フィールドのどこにでも顔を出す。体をぶつけ相手からボールを奪う。ドリブルでボールを運ぶ。だがオランダの16番のほうが加速力最高速度ともに優れている。その点を金井がカヴァーするにはアイディアが必要となる。
織部とオランダの10番については比較できない。身長については織部のほうが10センチは上。初スタメンの織部は常に味方のカヴァーを意識し、逆にオランダの10番は味方に使われるために走り回っているという印象だ。
オランダのMF3人はどちらかというとクリエイターというよりグラディエイター。3人とも高い位置からボールを狩ろうとする意志が強い。これまでの日本の試合を観て対策を立て選ばれたプレイヤーなのだろう。
日本はわざわざそんな危険な3人が棲むフィールドの中央からボールを組み立てない。
前半31分。
近衛から俺へ30メートルのミドルパス。俺はオランダの4番を背負いながら右サイドを走る古谷へ、古谷は目の前の志賀へパス。
中盤でのパス回しは攻撃が手詰まりになったら使えばいい。ここは個人技で攻めきる。
ここまでパスを選択し続けたことが相手の念頭にある。それを利用できる。
志賀劉生がゴールまで50メートル、この位置から猛る。
16番のスライディングをターンしてかわした。
タッチライン沿いに進む。ボールから足が離れないゆったりとしたドリブルだ。ヨハンが並走してマークする。
(大槌が左斜め前を走る)。志賀は猫背になった体勢、左足でボールをまたぐ。縦とみせかけ左斜めに進む。
ゴールラインまであと20メートルの位置まで運んだ。たまらずヨハンが足を出して止めにくる。志賀は自分を抜いていった右前方の大槌へパス。味方を使いヨハンをかわした!
サイドバックはヒールで志賀へリターン。志賀は右からペナルティエリアに突進する。
タイミング良くクロスを入れたがゴール前の俺にはわずかにあわない。GKがキャッチしシュートまでは至らなかった。俺は親指を立てて見せた。立ち上がったヨハンが不思議な笑顔。
……志賀はこの決勝戦、90分もたないペースで飛ばしている。
今試合に出ている11人全員が試合終了の笛をフィールド上で聞けるわけではない。FWは特に代えやすいポディションなのだ。点を獲った古谷は残しておきたい。ならば自分が早い時間のうちにガス欠になっても良いと考えている。
チーム事情を考え我を捨てた行動をとるようになる性格の持ち主だとは、俺はこれまで思っていなかった。
『中央』
前半45分。
まもなく前半が終了する。同点を狙うオランダは最終ラインがほぼハーフウェーラインに重なるほど押し上げている。
志賀と俺が前に残っていた。クリアボールを拾って長いドリブルから追加点を決めるイメージ。
オランダのスローインからおそらく前半最後のプレー。ボランチの前でパスをつなぐ。
「サイドに追いこめ!」とマルコーニが叫ぶ。
サイドからのクロスボールもドリブル突破も、ゴールに対して角度がないことには変わりがない。角度を限定し2人以上の選手で襲いかかればボールを奪うことはたやすい。守りの基本だ。
ヨハンにフリーでシュートを撃たれた場面もそうだ。正面でのミスは失点に直結する。
だからこそゴール正面、ヴァイタルエリアには3人4人と人数をかけ選手の密度を上げなければいけない。
オランダは……。
8番、ヨハン、FWの3人が縦に並ぶ。
最前線のFWに並ぶほど高い位置にいる右サイドバックは使わない。
あくまで困難な正面からの攻撃にこだわる。
ヨハンが声でボールを要求する。
8番からヨハンへ。(古谷が後ろからマーク)。
ヨハンは8番へリターン。(古谷が2人の間にはいる)。
8番が浮き球でヨハンへパス。前をむいている。(金井が縦を切る)。
ヨハンはジャンプしてタイミングをあわせ右足アウトサイドでウィングにスルーパス。(逢瀬が反応しシュートコースを切る)。
オランダの左ウィングは逢瀬から逃れる動き、ヨハンへ8時方向のリターン。
ヨハンはこれをスルー。(そのまま近衛の前のスペースへ走る)。
10番は織部に倒されながら足の甲でボールをすくいGKの前に落ちるラストパス!
溜めをつくってから裏へ抜け出したヨハンがフリーで受けるはずだった。
ゾーンディフェンス。
相手選手ではなくボールを見、担当するゾーンを守りさえすればいい。後方からの走りこみなど無意味。近衛の領域にはいったヨハンにシュートはない。
背走しながらボールを見るヨハンに近衛が迫る、が、
ヨハンは仰け反りながらボールを額でコントロール。近衛の足とマルコーニの腕をかわし左横に流す!
11番が逢瀬のスライディングタックルで地面に伏す。ダイヴではない。本当にシュートを撃とうとし転倒させられたのだ。すぐさま起き上がり主審にアピール、ブラジル人のマッサさんは笛を鳴らした。副審が旗を水平に上げている。11番の位置がオフサイドだった。逢瀬のタックルは無効。
眉をしかめた11番の腕を逢瀬がつかみ引き起こす。紙一重すぎる。キャプテンはファウルでしか止められなかった。PK覚悟のタックルなどこれまで1度だって……。
そしてこの攻撃では近衛類がヨハンに翻弄された。決めにくるはずの17番はわずかにゴールから離れた位置でボールを受け味方に折り返した。ゴールエリア内、垂涎のシュートチャンスを味方にゆずる余裕がこの男にはあったのだ。本当にこれが生涯ラストゲームだというのか?
今のプレーでわかった。ヨハンには有村並のパスセンスに俺並の得点感覚を持ち合わせた異才の持ち主。そして思考力精神力においてフィールド上最強といえる。カリスマといってさえいい存在。チームメイトを操りオランダを決勝まで引っ張り上げたのはこの男だ。
間もなく主審のが前半終了を知らせる長い笛を鳴らした。
俺のそばにヨハンが近寄ってきた。まるで親友にでも話しかける調子で。「どうした? 前半全然だったじゃないか?」
「……陵南戦の流川なんだよ。後半に体力温存してるの」
「なんだよそれ」