新手
サッカーのトーナメントの決勝戦はつまらない、なんて法則があるという。疲労が溜まった選手たちに良いプレーは期待できないと。
しかしこの決勝戦、少なくとも日本を応援している者にとってつまらない展開ではなくなっている。
開始早々の先制点。試合前の青野監督のプランが見事的中した。
長いパスを出した有村の周辺に日本選手が集まっていた(もちろん囮だ)。味方が集まれば当然敵も集まる。オランダ選手がボールサイドに寄り密集地帯でボールをカットしようとしたところ、有村が長いパスでフィールドを斜めに切り裂きゴール前まで上がったサイドバックの大槌へつながり、最後は古谷が落ち着いて決めた。
『古谷山彦その1』
古谷山彦
所属チーム/柏ユース
適性ポディション/ボランチ・トップ下
背番号/11
利き足/右
学年/高校2年
出身地/千葉
身長/170cm
体重/68kg
呼称/ヤマ・デスゾなど
俺が古谷に口出しをする。「お前の試合を観てふと気がついたことがある」
「ん? サッカーのことならなんでも指摘してかまいませんぞ」
俺。「もちろんサッカーのことだよ。お前試合でよくゴール決めてるけどさ」
クラブチームでは「4-2-3-1のトップ下ゆえシュートは常に狙ってますぞ」。
「ゴールパフォーマンスっていうの? ゴールセレブレーションっていうの? 大人しくない? その場に突っ立って小さくガッツポーズするくらいじゃん」
「なんだそんなことでござるか。チームメイトにもよく言われますぞ……それがしとしてはもちろん試合でゴールを決めてうれしいのであるが、しかし対戦相手の目の前で喜びを表現することは失礼にあたるのではないかと」
「はいブー!」
「ブー?」
「少なくとも代表戦ではやっちゃ駄目です。試合に出てゴール決めてなんも喜ばないなんてありえませんんん」
「どうしてですぞ倉木殿?」
「それはないよ」近衛は俺の意見に同意してくれた。「せっかくゴール決めたんだから喜びをチームメイトとわかちあわなきゃ士気が上がらない。ゴールパフォーマンスは試合が再開するまでの1つの儀式だ。中立地の大会では観客を味方につけるチャンスだし敵の士気を殺ぐ効果もある。絶対にやらなきゃ駄目だ。やらないなら出なくていい」
「……いやその権限は近衛殿には」
「今からでもいいからゴールパフォーマンスの練習しよう! 練習しないと本番で動けないからよ。いいか、俺の持つ108のゴールパフォーマンスのうち覚えやすい奴をお前にレクチャーさせてやろう。いいよな近衛?」
近衛は俺のほうをむかずに。「喜んでることが伝われば適当なやつでいいんだよ」
古谷はオーソドックスなゴールセレブレーションを見せた。
ゴールを決めると日本ベンチにむかって走りだし、むらがる味方をふりきるとスタンドの日本サポーターにむかってジャンプしながらガッツポーズ。こいつにしては感情を露わにしている。10秒前のミスを帳消しにするゴールで日本が先制。アルゼンチン戦、セルビア戦を思い出せる試合開始早々のゴールだ。
オランダはここまで6試合で19得点を叩きだした攻撃型のチーム。1点程度のビハインドでばたついたりはしないだろう。
それでもサッカーは点が入らないスポーツ。この1点が決勝点になる可能性は十分にある。
古谷、志賀と話をしながらセンターサークル近くへ戻った。オランダのFWが苦々しい表情でこちらを睨んでいる。ボールをセットしまもなく試合再開。
後方に位置する古谷が男の顔をしている。最悪のミスのあとに最高の結果を得たのだ。奴は成長した。この試合精神的動揺でミスをすることは決してないだろう。
『織部古太その2』
織部古太
所属チーム/優駿高校
適性ポディション/センターバック・アンカー・ボランチ・センターフォワード・ウィング
背番号/21
利き足/左
学年/高校1年
出身地/福井
身長/186cm
体重/77kg
呼称/オリ・オリベッティ・オリベイラなど
織部が俺に教えてくれた。「俺は嘘つきなんです」
「はあ?」
「本当は3月31日生まれですけど、遅生まれで同学年の子より体格が劣ったらまずいと両親が判断して4月1日生まれだと役所に申告したんですよ。本当は倉木さんと同学年になるはずだった」
俺は織部の体格を観察する。10センチは上だ。「いや十分デカいだろ。お前の親も余計なことしたな」
「まぁそれだけです」
ここまで書かなかったが織部古太は顔もいい頭もいい家が金持ちで人当たりもいいというパーフェクト超人なのだ。試合に負けたら八つ当たりに使おうと思っているのだができればそんなことはないよう俺は祈っている。
その織部が決勝戦で初の先発出場。
この大会ベンチでもっとも試合を熱心に観ていたのは織部だった。自分が出場したときプレーするイメージを思い描けるか。その能力が織部にはあった、そう青野監督は判断した。
オランダ戦、織部自身が想像していたポディションであるアンカーでプレーしている。
前任者である佐伯藤政はウルグアイ戦で太腿の肉離れを起こし戦線離脱(ベンチで応援している)。
佐伯と織部の違い、それは佐伯がアンカーとしてスペシャリストであることに対し、織部はサッカー選手として全能に近い存在であることだ。
佐伯はジュニアユース時代からDFのすぐ前でプレーするゲームメイカーだった。特にロングパスの精度は日本屈指。チーム立ち上げ当初からずっとスターティングメンバーであり続けた鋭才だった。
織部はFWからDFほとんどのポディションに適性を持つユーサリティプレーヤー。高い身体能力、ボールテクニックともに優れている。代表に招集されたのは大会の数カ月前、全国的にはまだ無名の選手だ。織部は21人という限られた人数で7試合を戦う代表チームには必要な戦力だった(現にチームには怪我人が出ているし、退場処分により水上と鹿野は出場停止に追いこまれている)。
前半13分、オランダの攻撃。
オランダの反撃が始まっている。日本はリスクの少ないファウル、そしてボール周辺に人数を集め対抗する。
2本シュートを放たれたがいずれも枠の外。失点の恐怖はどの選手も感じていない。
なんとなればセンターフォワードであるはずのヨハンが低い位置でプレーしているからだ。センターバックの2人に話しかけていた。
ボールが左サイドバックに下げられた。俺がジョギングするスピードで前を塞ぐ。左サイドバックからヨハンへ、ヨハンから右サイドバック。志賀がその選手に近寄っていく。
……3トップではあるが3人がそろって前に残ることはない。1人が中盤の深い位置にまで下りMFのサポートをする。比較的疲れやすい役割なためローテーションを組み回している。今は古谷がその役割だ。
サイドバック、ボランチ、トップ下のコンビネーションで右サイドを崩された。
大型ボランチがアタッキングサードで前を向く。織部、有村がボールサイドへ移動する。
ボランチをマークする志賀のポディションが悪い。前を切っていない!
ペナルティエリア10メートル手前、オランダの右ウィングに縦パスがはいってしまう。足元を狙った矢のような速さのパス。
オランダの8番の選択に間違いはない。ウィングに前をむかせ、コーナーフラッグにむかって走るサイドバックにパス。サイドバックがゴール前のFWにマイナスのクロス。3手で日本を詰ませる手筋が描かれたようにも見える。
だが初手が通らない。ボランチからウィングのパスを近衛がスライディングで先に触れた! 転がったボールを志賀が拾いこのターンのオランダの攻撃は潰える。
センターバックの近衛がゴール前を離れボールを狩った。後方に位置するセンターバックは他の選手より視野が広く飛びだしてパスをカットすることは難しくない。予知能力と鋭い出足を持つ近衛ならなおさらだ。
しかしだ。もし近衛がボールに触れられなかったら? 近衛の担当するスペースを使われていたらどうする?
織部が守っていた。織部は最終ラインから近衛とすれ違うように日本ゴールにむかってダッシュ、オランダがボールをつないでもすでにスペースは埋められピンチになることはなかっただろう。
佐伯と織部の違い、それは背後のスペースへの意識があるかないか。
佐伯は絶対的なセンターバック2人を頼りすぎていたきらいがある。織部にはない。センターバックを経験したことがある織部には近衛、逢瀬のサッカー観がわかる。
2人の特長はボール奪取能力なのだ。その力を活かすためには他の選手がセンターバックのカヴァーにはいることを意識したほうがいい。アンカーとして佐伯の常に敵のパスコースを切るポディショニングよりも、織部の味方のカヴァーリングを意識したポディショニングのほうが優れている、と思える。
これまでの試合よりゴールから離れてボールを奪えている。カウンターが発動するときがきっとくるはずだ。俺は前線で餓えた眼を後方に送る。
ヨハンが話しかけてきた。「いい選手がベンチにもいたんだな。いいチームと戦えて本当に良かった」
「人生最後の試合だからか?」
「そうだ」
「1点差ならまだ追いつけると思ってるな。でも2点差ならどうかな? 日本はともかく失点が少ないんだ。それにさ、とどめは死んだと思ったときに刺すもんだよ……」
守りに入らず2点目を狙おう。これが日本選手全員の共通認識だ。
「状況はこれから劇的に改善するよ」ヨハンは言った。「いやあ、本当に面白くなってきた」
「FWのお前がここでプレーしているのにか? あれが嘘じゃなきゃお前は80分後にサッカーを辞めることになるのに」
「とか言ってさ、本当は安心してるんだろ? 俺が日本のゴールから離れてプレーしていることに」
図星。