直前
(選手入場)
実況「さあ……日本とオランダの選手たちが入場してきます。日本はキャプテン逢瀬を先頭に……17歳以下世界一を決めるこのファイナル、スターティングメンバー11人が姿を現しました。全員が高校生ながら戦う覚悟ができている凛々しい表情です。勝利することで歴史を変えてもらいたい。試合前青野監督がコメントしておりました。若い彼らに日本のサッカーの歴史を変えることができるのか。……サポーターの数はやや日本の青が多いでしょうか。両チームの選手および審判団が横に並んでます。ではここでオランダ国歌の斉唱です……」
……大会7度目の君が代を口ずさむ。俺は眼を閉じ歌うことに集中する。
先発する11人、それにベンチの選手コーチ全員が肩を組んでいた。俺は列の右端で近衛の左肩の上に腕を伸ばしていた。
今は、そう、この歌に特別な意味をもたせられる。このユニフォームを着て戦う意味を理解できる。この大会に出場するまではこの感覚はわからなかった。国を代表して戦うことの意味は。……スタンドのサポーターが共に歌っている。終わると同時に拍手、それから声援が飛んでくる。少しでも俺たちの力になればと熱く太い声質の。
……オランダ選手との握手が済み、選手たちがまた足踏みやステップを踏みキックオフに備え始める。逢瀬とオランダのGKが残りコイントス。日本のキャプテンは勝ちエンドを決める(有利な風上のほうだ)。前半のキックオフはオランダにゆずることになった。選手たちが自分の持ち場に散る。俺はセンターサークルの前、今日の役割はセンターフォワードだ。
と、織部が深刻そうな顔をして近づいてきた。こいつはアンカーなのに。
「どうした?」
「キャプテンが泣いていました」
「泣いてた?」
「時間がありません。とりあえず報告しておきます。それだけです」
「それだけって……」
そう言うと織部は自分のポディションに大急ぎで戻る。
逢瀬が泣いていた? 理由はわからない。いったいどのタイミングで? おそらく、国歌を歌っていたときだろう。俺とあいつは列の両端だったから、俺にはわからなかった。織部は確かマルコーニをはさんで横にいたから気づくことができた。
キャプテンが泣いていた。それが何を意味するのか。そんなことを考える暇はない。だってこれから死線をまたぐ90分が始まってしまうのだから。
サッカーとは個人戦ではない。チームという公のためには俺という私は死んでしまう。俺はただ強力な武器でありさえすれば良かった。相手の守備陣を殺しきる一撃必殺の凶器でありさえすれば。
ああ、それにしてもゴールが欲しい。
ハーフウェーラインのむこうに相手ゴールが見える。まるで俺を挑発するように、誘うようにオランダゴールが巨大に写った。俺のシュートを欲しがってやがる。
「すぐにぶちこんでやるぜ」
「何卑猥なこと口に出してるんですか」と背後の有村。「やっぱり淫獣じゃないですか」
(キックオフまで)
実況「オランダ代表のイレヴンと日本選手が握手をします。今大会初先発の織部古太の姿も見えます。……日本のスターティングイレヴンが表示されます」
解説「織部をのぞけばほぼこれまで使われてきた選手が起用されてますね。倉木はボランチではなくFWで使われるかもしれません」
実況「そのあたりは試合が始まってからまた確認しましょう。GKマルコーニ、センターバックは不動の2人逢瀬、近衛。サイドバックは大槌、左沢でしょう。MF登録の有村、金井、織部、古谷、倉木。FW登録の選手は志賀1人。これまでの試合通り4-3-3のフォーメーションで戦うでしょうか? ゲームが始まってから確認したいと思います。準決勝ウルグアイ戦でゴールをあげた倉木、金井ともに先発です。あの非常に厳しい展開から逆転で勝ち進みました日本。オランダは対照的に強豪アルゼンチン相手に6ゴール、快勝して決勝にコマを進めました。マルコーニ、逢瀬、近衛、倉木の4名はこれで大会全試合先発ということになります。……間もなくキックオフです……」
解説「決勝戦ですからね。1点の価値がとてつもなく重くなります。両チーム慎重に出るのか、それとも果敢に先制点を奪いに行くのか。えー、日本はベンチメンバーが2人少ないですがここまできたら関係ないでしょう。このメンバーなら戦えるはずです」
実況「はい……さあ円陣が解かれ選手たちがピッチに散ります」
解説「オランダの強力な攻撃陣をどう抑えるか。立ち上がりから本当に瞬きできませんよ」
実況「日本は世界一に王手をかけています。選手たちの運命が変わる90分、いよいよキックオフです! 今笛が鳴りオランダボールで前半45分始まりました!」