帰還
決勝戦終了の26時間後、午後10時にオーストラリアをあとにした。シドニー国際空港から成田空港へ。
機上では一睡もできなかった。同じように寝つけなかった選手たちと小声で話をする。どんなことを話していたかは覚えていない。
日本に帰ったらやりたいことがいくつもあったはずなのに、あの試合を経験した今、もう楽しいことなど日本には待っていないような気がしてならない。日常などもうない。神経のこわばりがこのままずっと抜けないような気がした。
……目を閉じて眠りにつきそうになったタイミングで飛行機が着陸態勢に入る。シートベルトを締め、それから1時間ほど眠ったふりをした。急に誰とも話をしたくなくなった。
荷物を持って空港のロビーに出る。当然お出迎えがあったりはしない。横断幕も黄色い声援もない。家族が迎えにきている選手はいるようだ。古谷やマルコーニの母親が息子と話をしている。そこら辺の旅行者と格好は変わらないので特に注目を集めるようなことはない。
待機していた空港の職員が拍手を送る。通信社のカメラマンがシャッターをきる。報酬はただそれだけだ。所詮学生年代の大会。優勝しようがあつかいは大きく変わらなかっただろう。
「ちやほやしてもらえるのはプロになって金もらうようになってからだよ」と佐伯。
「わぁってるよ」と俺。
このまま現地で解散しそれぞれ地元に戻ることになる。
チケットは協会の人が手配してくれた。ターミナルから地下に降り成田空港駅へ。ここから各自別れる。
古谷が立ち止まり頭を小さく下げ、みんなにむかって。
「重ねて相見えること厚く期待しておりますぞ」
「最後までなんなのお前」
千葉県内に住む古谷は別の路線のホームにむかう。古谷は例外で東京駅へむかう組がメンバーの大半を占める。
ホームで1時間ほど待ち成田エクスプレスに乗りこむ。東京駅に到着。西日本組が8人、東海道新幹線で3時間後に新大阪に着く。そこで鮎川とともに降りた。
「大丈夫カズ君。気に病むことなんてないわよ。誰もカズ君を責めたりなんか……」
「わかってるよ」
俺は小さな声でそう言って鮎川と別れる。鮎川はそれ以上何も言えない。
そこからさらに何度か乗り換えをし、家までの最寄りの駅に辿り着いた。とんでもなくクラシックな外観の建物で、成田空港やら新大阪駅と比べたら昭和(知らないけど)にタイムスリップしたように感じられるほどだ。
……今日は平日。両親も家にはいない。ご馳走をふるまってくれるそうだが帰宅途中ろくに食べ物を口に入れられなかった。それに睡眠不足でぶっ倒れそうだ。急に荷物が重くなってきたし。
ごちゃごちゃに配置されたスーパーやらデパートの看板を見て日本に帰ってきたことを実感する。昼間なので人影はそれほど多くない。スマホで時間を確かめる。ひょっとしてこの時間なら……。
ふりかえる。駅の改札から人が溢れ出てきた。少し早いが帰宅途中も学生やサラリーマンだ。
その中に栞がいた。半袖のシャツに黒いスカート。なんだか待ち受けていたみたいで嫌だった。
栞が立ち止まる。俺は軽く右手を挙げる。
「カズちゃん! 帰ってたの?」
「ちょうど今……」
「見てたよ。残念だったね……」
「俺は死んでるんだ」
「急に何言うの?」
「俺は死んでるんだよ」
歩道の真ん中でする会話ではないことはわかっている。通り過ぎる人々も不審の眼を俺と栞に向けていた。
俺はその場に立ち尽くしている。
栞が俺を追い抜き、ふりかえって心配そうに顔を覗きこむ。
「どうしたの? 疲れた?」
「あっちでちゃんと1日休んできたから大丈夫」
「荷物持つ?」
「いや、そんなことはさせられないよ」俺は地べたに下していたバッグを担ぐ。「帰ろう」
俺は慣れた道を歩き始める。後ろから栞がついてくる。
「話、聞かせてくれるんでしょう?」
「話せることなんて何もないよ」
「しばらく電話できなかったから……。準決勝がすごかったよ。2人退場したのに逆転勝ちして。あんな試合観たことなかった」
「あんな試合どうだっていい。決勝のことしか頭に残ってないよ。他の6試合のことなんてどうでもいい」
「決勝戦……生中継だったんだよ。BSだったけど」
「そうだったの」
「急に決まって……おしかったねって言ったら怒る?」
「いいや。……俺も全力だったし、他のみんなもよく頑張った。でも悔いは残った」
「悔い……でもそんなことキリがないんじゃ」
「やり直しはきかないんだ。同じ相手とは戦えないし同じチームメイトとは戦えない。今度やるときにもっといい条件で戦えるとは限らないんだ。今やらなきゃ駄目だってときがあるんだよ……それがこんな結果で終わって」
「世界2位なんだよ」
「ありがとう慰めようとしてくれて……そうだね。3点も決めたし、選手としては合格なのかもしれない。もうちょっとしたらプロの試合にも出られるようになるだろうし……でもやっぱりクラブと代表とでは違うんだな……」
「初優勝ってことにそれだけ価値があると思ってるから?」
「そうだよ。優勝なんてしたら、そりゃもうとんでもない快楽だよ。それだけでもう一生ハッピーだよ。人生が変わるはずだった」
「まだ高校生なのに……」
「俺はまだまだクソガキだった。知った風な口を利くただサッカーが上手いだけでそこら辺の高坊と変わんない」
「そんなことないよ。海外に出て世界と戦ってる高校生なんていないでしょ」
「世界と戦ってるねえ。そうだけどさ……だってさ、代表だよ。つまりさ、責任がともなうわけでしょ。サッカーしている奴のなかで上手い奴が集まったチームが代表なんでしょ。俺がいくら活躍したからって、結果が……」
「結果は準優勝だった」
「優勝できたんだ。あの試合……」
きっと見返すことはできないだろう。10年後にも無理だ。インタヴューを受けても答えられないだろう。あれはそんな試合だった。
ふと、空いた左手を栞に握られた。右手をひっぱるように栞が早足で道を進む。
「どうした?」
「観ましょうよ。まだ家のレコーダーに消してないのあるから。そんなに気になる試合だったら、教えてよどんなことがあったのか……」
「いやだよ」
「決勝が終わったあとメールたくさんしたのにリプライしてくれなかったでしょう。ずっと話したかったのに……心配してたんですよ」
「ごめん……それで決勝観ることとなんの関係が?」
「観たくない試合なの?」
「ウェー」
「スポーツマンなのに失敗した体験から眼を逸らすの? よくそんなことでこれまで上手くなれたね?」
「だって今まで負けたことなんてほとんどなかったんだもん……」
「だもんじゃありません……ならなおさら、オランダとした試合のことはふりかえらないといけないんじゃないの?」
「観よう」
「観よう」
そういうことになった。