佐伯藤政その2
ハーフタイム。
ロッカールームの隅に水上と鹿野が立っている。今こいつらに関わっている暇はない。
試合に出ていたメンバーはユニフォームを着替え、水分を補給している。これまでの試合とは比較にならない疲労感。そしてプレッシャーで押しつぶされそうだ。2点差になったらまず追いつけない。
前半途中から全員がアップしていたベンチメンバーとともにウィダーなんたらを口にする。炭水化物か切れると体が動かなくなる。9人で11人と戦うような試合ならなおさらだ。
逢瀬がまず口を開く。「みんな落ち着こう。最低限の目的は達成できた。一点差なら後半追いつける。問題は後半無失点でしのげるかどうかだ。佐伯は慣れないセンターバックに苦戦している。全員でフォローできるところはフォローしよう。声をかけあって、顔を上げて、こっちが勝負を捨ててないことをウルグアイの連中に知らせてやろう。気持ちで負けなければ勝機が出てくる。攻撃は……」
鮎川がつないだ。「カズちゃん一人に頼りきったら駄目だわ。個人技だけのサッカーじゃ相手に読まれやすい。さっきは上手くシュートまで行ったけれどあれは運が良かったからって面もある……それに今度カズちゃんが前をむいてドリブルを始めたら間違いなく相手は潰しにくるはず……」
「わかってるよ」と俺は答える。
左サイドバックの樋口が肩を下している。座った背番号5の横には立った監督の姿がある。
「後半樋口に代わって志賀が左サイドバックに入る。伝えておいたことだけどもう1度繰り返させてもらおう。人数の少ない日本はその分1人1人がたくさん走らなければならない。サイドの選手はなおさらだ。だから交代枠の3つをサイドバックとサイドハーフで使いたい。だから佐伯をセンターバックができる選手と交代させずセンターバックをやらせてるんだ」
佐伯。「わかってます」
「僕が考えた采配だ。負けたからといってあとで自分を責めることはないよ。敗因は僕にある。勝ったら素直に自分の戦いぶりを崇めてもかまわないけれど……。こんなの普通のサッカーじゃない。そんなことはわかってるさ。でも今はとんでもない緊急事態だ。君たちがプロになって20年プレーしたってこれ以上の苦境はないはずだから……」
志賀。「俺はおれの責任を果たします」
「頼もしいな」
近衛がマルコーニに話しかけた。DFとGKのポディショングのこと、ボールを持った時誰に出すかなど。マルコーニは黙ってうなずいている。うなずくことを繰り返している。
木之本がコンディショニングコーチからマッサージを受けている。かなり苦しそうだ。DFの場合守備のほうが短距離の本気のスプリントの回数が多くなりやすい。2人目の交代枠は木之本のために使うことになりそうだ。
リードされているのは日本のほうだ。なるべく攻撃のためのカードをきりたい状況なのに、DFで2人分の枠を消費せざるを得ない。
有村は心配そうにチームメイトを見つめている。そんな有村に織部が、俺には齋藤がタオルで風を送ってくれた。試合に出られないでも出場しているメンバーにできることはしてくれる。俺は連中の想いに応えたい。次のチャンスでウルグアイを仕留めたいと心底願っている。
……ロッカーで1つの輪をつくり檄を上げる。
フィールドに出る前、俺は志賀を捕まえた。一応口にしたほうがいいと思ったからだ。
「かなえが言ってたように、俺はウルグアイに潰されるかもしれない」
「潰される?」
「物理的な意味でだ。足を折るとか金的を狙うくらいのことはしてくるだろう。これはリーグ戦なんかじゃない。世界大会の準決勝だ。相手のエースを試合から追い出せるなら選手として汚名を被ることを連中はいとわないよ」
「9対10になるだろうそうしたら」
「それでもまだウルグアイには1点のリードがある。俺がいなくなれば同点は俄然厳しくなる。……そうなったらお前の出番だ。志賀は左サイドバックだろ?」
「ああ。まさか本当にDFやらされるとはな……」
「死ぬ気で守れよ」
「お前もな」
「俺が足でも折られて担架で運ばれたら、志賀が前でプレーして得点を狙うことになると思う。その時は……」
「絶対にやってみせるさ」
後半4分。
ウルグアイのチャンス。
中央からボランチがドリブルで攻め上がる。なんのフェイントもいれず、シンプルにミドルシュートを狙ってきた!
すかさず逢瀬が前にはいる。シュートなら防げるが、
ボランチはその動きを見てからパスにきりかえる。
逢瀬も絶対ではない。人外でもパスより速く動けない。
左横の10番が確実なトラップ。そこから今度こそ本当にシュートを撃ってきた。マークする有村は離れすぎていた。佐伯の飛び出しも間に合わない!
しかし10番のシュートはゴールの枠を捉えなかった。左上に外れゴール裏の観客席に飛びこんでいく。
10番が外したのではない。
佐伯が外させたのだ。
ラストパスが通る直前、佐伯は近衛やマルコーニの指示ではなく、自分の意志で10番に対しプレッシャーをかけに走り始めた。
物理的に間に合いはしなかったにしても、ルックアップした10番の目には鬼気迫る形相で必死に走る佐伯の姿が写ったわけだ。(時間がない。コンマ1秒でも遅れれば日本の6番にシュートを止められる!)。そう思わせた時点で佐伯は勝っていた。相手を焦らせることでシュートミスを誘い結果日本を救った。
しかし相手が次にどのような攻撃パターンを使ってくるのか、予断を許さない状況が続く。ウルグアイはガレアーノだけのチームではなかった。
何度でも言わせてもらおう。『二点差になることは追いつきたい日本にとって絶望でしかない』。
この展開を例えるなら、吹き荒れる嵐のなか挙行される数十メートルの綱渡りといったところか。