鹿野島荘その4
(以下、鹿野島荘の視点)
前半22分に先制され、
前半23分に水上道が退場した。
青野監督はフォーメーションを4-3-2に変更する。
俺は鮎川と2トップを組む。左のFWにはいりウルグアイの右サイドバックが上がったときはマークするため追いかけることとなる。
日本はどうしようもなく不利な立場に追いこまれた。俺たちはここで何をするべきか。
プレーで相手を脅かすべきだ。日本がまだ諦めていないことを見せつけ、点数の上で追われる立場であることを認識させてやる。
数分前までゲームを支配していたのは日本だ。テンポよくパスを回し、俺と水上がシュートを数本放っていた。ウルグアイの守備陣は後手に回り、ファウルでしか日本のアタッカーを止められなかった。
先制されたからなんだ。
誤審で人数が減ったからなんだ。
有村、倉木、鮎川といいパサーがまだ試合に出ている。ペナルティエリア内でラストパスを受ける体勢を整え、右足左足頭……あるいは体のどこでもいい。ボールをゴールに捻じ込めるなら過程は問わない。
今は同点になる結果さえもらえればそれでいい。このチームが相手にリードを許したことは、この世界大会の準決勝までなかった。だが慌てることなどない。
チーム初の同点ゴールは俺が奪う。
前半27分、ようやく試合が再開する。
直後からウルグアイは攻勢にでた。日本が10人で戦うことに慣れる前に追加点を狙っているのだろう。
俺も攻撃ばかりに気を傾けてはいられない。相手ボールのときはかなり深い位置まで戻る。
およそ10分間の攻防。
人数の多いウルグアイがやや優勢か。
前半37分。
右サイドバック木之本が鋭い出足でパスカット、ドリブルで自陣のペナルティエリアから脱出する。
ウルグアイのウィングに追いかけられながら右サイドを疾走。
そこからセンターサークルのすぐ横にいる鮎川に左斜めのパス。鮎川には2人のマークがつく。
鮎川は逆方向のドリブル、そこから上がってきた佐伯にバックパス。
佐伯は(鮎川がドリブルでつくったスペースに走っている)有村へ。有村は樋口へ。アタッキングサードへ状況は移行。
樋口は中央、ペナルティエリア内から外へ逃げてきた俺へ丁寧なパス。
俺は倉木へダイレクトではたく。
エースはフェイントをいれてから右足のミドルシュート!
DFの足に当たった。ゴールにむかって転がった無防備なボール。
俺とウルグアイ選手がそれにむかって殺到する。
ゴールインを狙う俺に対し、奴らは自分がオウンゴールしてしまうことを恐れている。
だから俺が勝る。もつれあいながらスライディングで蹴った。
しかしシュートはGKの前に飛んでしまった。
屈みこみキャッチされる。地面を叩き俺は立ち上がり、ウルグアイの1番を睨みつけた。
人数的にこちらが不利だ。守りに体力を残しておかなければならない。
決めるときに決めておかなければ。
……退場した水上道の長所は、自分のすぐ近くにいる敵の位置を正確に把握できることだ。そのため本来死角である位置から襲いかかる敵をかわしドリブルすることができる。
ボランチ有村コウスケの長所は、フィールド全域の選手の位置を把握できることだ。調子が良ければフィールドプレイヤー20人すべてを念頭においてプレーできる。
俺の長所は、ペナルティエリアに限るにしても敵と味方の位置が見えること。
そしてそれに加え、どのポディション・どのような体勢でパスを受ければもっとも確率が高いシュートを撃てるかがわかることだ。
いうなればゴール前限定の『詰将棋』を瞬時に解き明かすことができる能力。
その力が今発動する。
ストライカーとしての本能。今がこの試合最大の得点機……。
GKがボールを手で運び、味方に指示をいれている。
選手たちが日本の陣地にむかって走りだした。ウルグアイボールでゲームが再開する直前。
俺はGKの横にうずくまっていた。立ち上がり、マークすべき右サイドバックを追いかけ始める、
ように見せかけた。
横目でGKに見られた。こいつに見られることは問題じゃない。
俺が狙っているのは、『GKがゴールキックを蹴るためボールを下に置き、助走のためボールから離れた瞬間死角からそれをかっさらい無人のゴールにシュートする』ことではない。
ウルグアイのGKはそこまで間抜けではなかった。
俺の狙いは……。
GKが下がってきた左センターバックにパスをだす。
俺はサイドバックを追いかけるのをやめ、タッチラインに沿って早足で前へむかう。
ウルグアイのセンターバック二人が並んでいる。日本の前線の選手が減ったため、ウルグアイはパスをつないでビルドアップしようとしている。
そこが俺の狙い。
俺はセンターバックの背後を狙っている。GKに見られないよう真横から走り始めた。
日本のMFがいいポディションについている。前方にパスコースを見つけられなかった左センターバックは、右のセンターバック(4番)に横のパスをいれた。(こいつのほうがフィードが上手いからだ)。
GKが叫んでいる。だがもう間に合わん!
俺は背後から4番とボールとの空間に肩をねじ込む。たやすく奪取! 最後尾のフィールドプレイヤー、センターバックは後方からのプレッシャーに弱い。
4番が倒すため背中を両手で突いた。腰で押し返し逆に倒してやる。
距離がある。だがかまうものか。
もう1人のセンターバックがやられたという顔のまま近づいてくる。奪いにはこれない。間もなくペナルティエリア。
削りにはこられない。だが上手く角度を消された。
右手を伸ばし相手に近づけさせない。ここでシュート! 決して得意なゾーンではない。
その瞬間、俺の景色は一変した。
音がしない。色彩が世界から消え失せる。
右にいるDF、手で押さえている。ブロックされる心配はない。こいつは脳内から消去できる。
シュートに備えるGK。だがこいつの反応できる領域が俺にははっきりわかる。
ゴールの右側が淡く光る。
俺の世界にはその光と、ボールと、俺自身の肉体しか存在しない。
自分の肉体を完全に制御できる。骨と筋肉、神経すら自分の意志で動かせる。
フロー、あるいはゾーン。
今の俺には未来が見える。
ボールを流しこみ日本のベンチにむかって走りだした自分の姿が。
なんのプレッシャーもない。足元に転がしたボールを左で蹴りこむ。
まきこみすぎることもない、ふかしてしまうこともない。予知をトレースするようにボールはゴールに吸いこまれていく。
同点ゴール! 俺は右手を握り、上をむいて吠える。何を言っているかは自分でもわからない。まだ『状態』が続いているため、自分の声すら聞き取ることができない。
チームメイトが何か叫びながら駆け寄ってくる。俺も走っている。
と、瞬間音と色彩が俺の世界に復帰した。
スタンドからは何万もの、「ああ」という残念そうな声があがっている。
なぜだ?
フィールド中央、主審が手を挙げている。ゴールじゃない?
「なんでだよ?」
そばに立つ有村に尋ねかける。「ボールを奪ったときの接触がファウルだったんです。気を付けてくださいよ」
俺は頭を抱えた。
ノーゴール。結局ウルグアイ自陣で試合再開か……。
同じ手は何度も使えない。俺は日本の陣地に戻ろうとする。
主審が俺を見て胸ポケットに手をかけた。
「……待てよ!」
横を走る俺は主審に話しかけた。
「聞こえなかったんだあんたの笛は! 集中しすぎていて……わかるだろう」
俺は慣れない英語を使う。だがこれなら通じるはず。
主審は胸ポケットから手を離す。
「わかるよな。2度目のゴール取り消しだぜ、そんな判定下したらあんた一生名前残るぜ。なあ。水上の退場だっておかしかったんだ……あっちから金もらってんじゃないだろう……なああんた、おい! おい止めろよ! ……どういうことだよ信じらんねぇ ああ? クソ! クソざけんなこんな試合無効だ!」
俺は有村の拘束を解き、紙に俺の名前を記入している主審に跳びかかろうとした。鮎川が腰に抱きつき止められる。
「止めんじゃねえこいつ」「してやる!」
「……まだ試合は終わってないわ。出ていくあんたにその権利はないわよ!」
両チームのコーチ、ベンチ選手がピッチ内にはいってくる。
俺が倒したセンターバックはまだペナルティエリア内に倒れていた。あからさますぎる。
またしても試合が中断された。
俺は確かにあのDFを倒した。だが微妙な判定だったはず。あれがファウルでないとみなされれば俺は同点弾を決めたという殊勲を得られた。
現実にはしかし……。
主審を務めるロシア人は超エゴイストだった。人の意見を聞こうともしない。青野監督は説得することを諦めてしまっている。
どうしてこうも一方的に相手に有利な裁定を下す?
なぜこんな大事な試合でこんな奴が試合を裁いているのだ?
水上道と同じ運命を俺はたどる。ゲームに参加するな、フィールドから出ていけと。
……タッチラインを踏み越えた。
木之本が近づいてきた。
「……俺はがんばれだなんて言わねえぞ。……だがあいつがいる以上諦めるだなんて愚策だ」
木之本はうなずいた。