近衛類その4
(以下近衛類の視点)。
キックオフ直前。
サブメンバーがロッカールームを先に出発した。遅れて先発組も出ていく。
フィールドにでる通路の前で審判団、それに両スターティングイレヴンが1列に並んで待機している。
右ウィングは前の試合に続き水上のまま。サイドバックはナイジェリア戦と同じく右=木之本、左=樋口の組み合わせだ。他の8人はこれまでどおりのメンバーが選ばれた。
先頭に立つキャプテンの逢瀬の隣に俺が立っている。横目でウルグアイ選手を確認する。
何も問題はない。今まで試合に出場していたプレイヤーだろうと、まったくデータのないプレイヤーだろうと、日本は問題なく仕留められる。
ふと横に立った選手が話しかけてきた。背番号9。名前は確か……。
ガレアーノ。
こいつがウルグアイの得点源。
そして俺の敵だ。「おいそこのクソチビ、お前センターバックなんだって?」上をむいて笑い。「なんのハンデだよ」
「田舎者がまぐれで準決勝まできてイキってんじゃねえぞ」
「なんだ、スペイン語わかるのか……。みんな気をつけろ、こいつスペイン語わかるから聞かれないようにしろよ」
それまで雑談していたウルグアイの選手が一瞬無口になり、ガレアーノの言葉にうなずいた。
広い額、細い眼。なんだか狡賢そうな、狂気を孕んでそうな、いかにもストライカーという顔つきだ。選手の適性や性能は顔を見ただけで判別できる。こいつはいいFWだ。
しかしこれまで俺が対戦した相手と比すれば遜色する。
他にいい選手はいないのかと顔をそらした。
「おい日本人、なんでサッカーなんかしてるんだよ?」
「ああ?」
「お前らにとってサッカーなんて観るものなんだろ? テレビの前に座って南米やらヨーロッパの遠くの国の上手い選手のプレー観て『ああこいつらすげえ俺たちには到底できねえ』って楽しむもんなんだろ? 何参加してんだよ。何俺たちの真似してるんだよ気色が悪い……お前らが何十年も前からサッカーしてることくらい知ってるんだぜ? なぁ無駄だと思わないのか? そんな何十年も何万人もサッカーしてる癖に上手い日本人選手なんて1人も知らねぇし、強い日本のクラブなんて知らねぇぜ? ならどうしてさ駄な努力してるんだ? 他のもっと楽しいこと見つけたらいいだろ? 大事なスポンサーだからここまで『接待』してやってたようだがよ、すぐに試合が終わってくれって思うような展開になるのによぉ」
「お前らこそ人口300万程度でよくここまで上がってこれたな……今日負けて帰ってもママからキスしてもらえるんだろ? 安心しろよ俺たちは優勝する。言い訳ができるよう今日もその次も大差で勝ってやるよ」
木之本が教えてくれた。
アルゼンチンのボルヘス並にプロリーグに出場しているのは残り2人。
すでにトーナメントを敗退しているセルビアのテスラ。
そしてこれから戦うことになるウルグアイのガレアーノ。
ボルヘスという選手を一言で表すなら『神域』。どうしてあの試合で完封できたのか不思議でしかない。サッカーをしていて初めて嫌な選手と対戦した。決勝では正直再戦したくはない(もちろんそんなことはチームメイトに漏らしてはいないが)。
テスラという選手を一言で表すなら『盤上の敵』。まるでメインスタンドの最上段からピッチ上を観ているかのように、敵や味方の位置を把握し、最高のパスを送ってきた。彼が脅威にならなかったのは日本が常に先手をとり続けられてからだ。つまり俺ではなくチームとしての勝利だった。
ガレアーノという選手を一言で表すなら『全可能性』。ビデオでリーグ戦、そして大会のこれまでのプレー集を見てそうこの選手を定義した。こいつはあらゆる攻撃パターンからゴールを奪う。ヘディングで、右足で、左足で。ロングパスから、スルーパスから、ドリブルから、セットプレーから、直接FKから。万能といえばきこえはいいが雑食。
なんでもできるといえばきこえはいいが、特長がないともいえる。
『全可能性』とはつまり、プレーの選択肢をせばめることをせず、あらゆるチャンスを貪欲にゴールに結びつける意志だ。
いいだろう。プロリーグで経験を積んだ選手、監督から信頼されずっと1トップとしてこの大会起用され続けている選手。
しかしボールテクニックが優れているわけでもない。身体能力も並。
こいつがゴール前に居座っている限り、それがウルグアイの攻撃の限界をつくっているといえる。シュート意識が高すぎる。味方にパスを出さない。結果攻撃は単調になる。現にウルグアイの得点数は記録的に少ない。
対して日本の失点数も記録的に少ない。
俺はまだそのとき、ガレアーノという選手をまったく恐れていなかった。
……試合開始から22分が経過。
ペースは日本。早く先制点が欲しい。
ウルグアイのMFがセンターサークル内からいいパスをだしてきた。
右のサイドバックが珍しくここまで上がってきた。
日本は樋口が後ろから追いかける。
追いつかれる前にサイドバックがロングクロス。
なんでもないボール。
だが俺の前にいる佐伯がヘディングでゴールラインにクリアしてしまう。近くにウルグアイ選手はいなかった。ゴールに対し角度もなかったのに。
「佐伯落ち着け! そこはつなげただろ」
「悪い、見えてなかった……」
佐伯の様子がおかしい。いやに苦しい顔でゴール前に走っていく。
プレッシャー? ……いや違うだろう。今さらすぎる。
佐伯の長所はポディショニング。攻守を問わず味方にとってフォローして欲しい位置に常に走っている選手だ。
だからこそ試合中フルタイムで頭を使う。FWやDFと違いMFは休めない。
そして有村と倉木と違い佐伯は走れなければ選手として話にならない。佐伯には2人ほどボールをもたせて何ができる選手ではない。ボールを持つ前に決着をつけなければいけない選手。
だからこそこの準決勝まで体力ではなく頭を酷使し続けてきた。
次のミスが日本にとって致命的なものでないという保証はない。
まだ試合が始まったばかりだというのに不確定要素が生じてしまった。
ウルグアイのコーナーキック。
なぜか下がってきた倉木と共にニアサイドのスペースを埋める。
マークすべき選手を確認しながら、俺はウルグアイの10番がコーナーアークにボールをセットするのを見ていた。
コーナーキックを蹴る。
その失点は相手のミスキックから始まった。