治療
「カズ君にとってお兄さんのことは特別なのかもしれない。写真にしか残っていないお兄さんのことをカズ君はよく話してくれたよね。自分の名前だって長男の『一』と次男の『次』で一次なんだって」
「ああ」
「でもそれは……子供の考えるようなことなんだよ。子供なら大抵は、『僕の名前はこんな由来があるんだよぉ』って人に話したくなるようなものなんだ。別にカズ君は特別じゃない」
「俺が特別じゃない……ちょっと待ってくれ……」
「いや、もちろんサッカーをしているカズ君は特別だよ。代表選手で世界大会で活躍しているカズ君はそりゃもう特別な存在だよ。日本で何番目かに有名な高校生だと思う……でもそれは、亡くなったお兄さんのこととは関係ないでしょ」
「……そうなのか?」
「カズ君は亡くなったお兄さんがしていたからサッカーをしていたわけじゃないでしょ」
「ああ……喋りだすのとボール蹴りだすの、どっちが先だったかなんて覚えてなんてない」
「お兄さんがサッカー上手だったかなんてわからない、才能があったかなんてわからないでしょう? 兄弟でプロ選手になっている人なんてどれだけいるの?」
「そんなにはいないだろう。むしろ少ないのか……」
「カズ君が上手くなればなるほど、架空のお兄さんがそれについていって、カズ君のハードルを上げてるんじゃないの? もしお兄さんが生きていたら、俺なんか眼じゃない選手になっていたかもしれないって思わなかった?」
「思ったよ。俺はどんなに上手くなっても、兄を越えられないんじゃないか……それに両親も、同じようにサッカーをしている俺に長男の姿を重ねあわせるのかもしれない……でもさ」
「なぁに?」
「でもサッカーしているときにそんな余計なことは考えてなんていられないよ。両親が俺をどう思ってようと、俺がとっくの昔に死んだ兄をどう思うと、お前に応援されてようがされてまいが……監督に期待されてようと、観客席から声援があろうとなかろうと、選手はどんな条件でも一生懸命にやるだけだ」
「……そうでしょうね」
「もちろんこうやって試合じゃない時間とか、試合中でもプレーが止まったときは、応援が耳にはいるときはある。ゴールしたときには、スタジアム中から大歓声で体が押しつぶされそうになるよ。……日本代表でプレーしてるんだから、ユニフォームを着られなかった選手の想いも受け継がなければいけないんだろう。日の丸を背負って、人生で1度しかでられない大会に出ている。世界と戦っている……」
「でも試合中は……」
「そんなことは考えていられない。ただ勝利のために全力を出す機械みたいなもんなんだ。俺は別に機械でいい。盤上の駒でいいよ。それでも……日常では味わえない快楽がある。相手は強敵ばっかりで、でも味方だって最上級の使い手で、何も不自由することなんてない。人生で最高の舞台を踏んでいる。5年前の大会なんて比較にならない……シオ」
「何?」
「もう電話しないでいいかな。今度話するのは日本に帰ってからにしよう」
「……まだ3試合あるのに?」
「そうだね。優勝したら気が変わるかもしれない……でも、なるべく余計なものはそぎ落としておきたい。純粋に、勝つことだけを考えてあと3回、試合してくるよ」
「もちろんカズ君がそれでいいなら……」
「俺が日本を優勝に導く。俺は俺になるよ。それじゃあ……」