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9対0

 どうしてこんな話の流れになってしまったのか、それは今になってもわからない。

 水上も俺も金井も、自分の意志で自分の記憶を探り任意のエピソードをラウンジに残ったメンバーに話してきた。

 マルコーニは眠ったまま。こいつは持ってきた参考書を開いた形跡がない。

 まだ話をしていない逢瀬がこれから便乗して何か話すのかはわからない。


 ともかく有村が自分のことを話してくれそうだ。無口で聞き手役で正体不明な年下の有村が。これは滅多にない機会だろう。

「去年の15歳以下のクラブユース選手権の決勝の結果、ご存知ですか? 名古屋ジュニアユースが9対0で横浜に負けているんです」


「名古屋……そういやお前は中学まではそこに……」


「そうです。全国大会の決勝戦でこの点差がつくことなんて聞いたことがありません。僕は負けた名古屋のジュニアユースチームに所属していました。ユースには上がらず父の転勤にあわせて高校からは静岡なんですけれど」


「9対0ね。酷い点差だ」

 つうか聞いたことがないレヴェル。


「僕は決勝戦にでていないんです。体調を崩してずっとベンチだった。話は以上です」


「んなわけあるか! 詳しく説明しろよ……お前は何を伝えたかった? たとえば自分が試合に出ていれば9対0で負けることなんてなかったとか言いたいのか?」


「そうじゃありません」


 金井がたずねる。「代表クラスの才能を持っていたお前をベンチに温存したコーチが無能だったと?」


「そんなことじゃないですよ」


 水上がたずねる。「9対0で勝つくらいですから横浜のジュニアユースは強かったって言いたいんですか?」


「そうですけど、でも」現在彼らが16歳であるとはいえ、「このチームに横浜の選手は1人もいませんよ。9対0という結果は運が悪かった部分もあります」


「じゃあ何?」と俺。


 逢瀬が珍しく口をはさむ。「大事な試合の前に体調悪くするなよ。これからそんなことあったら困っぞ」


「もちろんそうならないよう気をつけていますよ。……僕が言いたいのは、強いチームは何をしてもいいってことですよ。あの試合はベンチで観ていても普通じゃなかった。横浜は点差が開いても全然手を抜かなかった。選手がみんな走っていて、意味のないパスなんて一本もなくて、ウチの守備を完全に崩しきってゴールを奪ってました。キーパーすらかわして決められたもしました。リードしているのにFWを追いこす選手がいっぱいいて……この点差ですから途中でもう結果はわかりきっていたんです。でも相手はゴールを奪い続けた」


「横浜は流すこともできた」


「ですが決勝戦ですから、あとのことなんて考えなくても良かったんです」


「横浜は攻め続けることを選択した。だから9対0なんてスコアになったんだな」


「横浜が『強者』だったから『流す』『攻める』の選択肢をチョイスすることができたわけです。彼らが集中力を無くしてミスを連発したり、あるいはふざけたようなプレーをする可能性もあった。僕は彼らが全力をだして点差を広げてくれて良かったと思っています。『強者』が手を抜くことはフェアじゃない」


「だからセルビア戦の前半に点差を広げようって指示したのか?」


 そんなこと言ってたのか、と金井。


「ええ。あの試合の日本は決勝戦の横浜のように『強者』でした。強いチーム、あるいはリードを奪ったチームには常に相手に比べて自由度が高いんです。メンバーを代えることも、ペース配分をどうするかも、攻めに回ることも守りに回ることも自由でしょう? 相手は不自由です。勝ちたいのなら早く点を獲りかえさなければいけなかったわけですから。……日本は点差を広げることを選択した」


 それは有村の指示だった。

 有村がそういう発想に至ったのは、惨敗に終わった対横浜戦をベンチで観ていたからなのだろう。『強者は弱者に対し何をしてもかまわない』。それは試合で勝負を決するスポーツの一面であることは確かだ。


「その結果、5対1という大差で日本は勝利しました。そしてトリニダード・トバコ戦でも僕らはずっと攻め続けることができました。あの2試合日本は『強者』だった。僕は日本がずっとそうであり続けて欲しいと思っています。ですがこれからの4試合、常にそんな余裕があるとは思っていません」


 トーナメント1回戦で当たるナイジェリアはこの大会で好成績を残し続けている。『スーパーイーグルス』が弱いとは誰も思っていない。


 有村は不安そうな面持ちで。「逆に……日本が弱い立場になってしまうほど強いチームが現れてしまうかもしれません」


「いや、いないだろうそんなチーム」と俺。


「いやしないだろそんな強いチームはよ」ほとんど同時に逢瀬。


「横浜の強さは個人としてではなくチームとしての強さでした。テスラやボルヘスのようなスタープレイヤーはいなくとも、大会を通して連携が良くなって強くなっていくチームがいるはずです。今全然マークしていないチームに日本を倒すところがあるかもしれない」


 不吉なことを言う……俺はトーナメント表を頭に浮かべる。予想ではベスト8がイングランド、準決勝はウルグアイかメキシコ、決勝の相手は……ドイツ? スペイン? またアルゼンチン? わからない。


 わからないにしても結末は想像できる。

 最後にカップを掲げているのは日本のキャプテン、俺の眼の前にいる逢瀬博務なはずだ。


「……負けるにしても9対0みたいな悲惨な負け方をしたくないと?」


「違います。勝とうとしたのなら無様な負け方をしてもいいんです。勝つためなら手段なんて選びませんよ」


 頼もしいことを言う。「んで?」


「仮に強者と戦うとしたら、もし大量リードを奪われるような展開になったとしたら、どうします?」


「後者についてならない」と逢瀬。自分の胸を指して。「俺が守ってんだそれはありえない」


 マルコーニが何か寝言を呻いている。なんでエスプレッソなんてスカした飲み物を2杯飲み干しておいて眠れるのだろう。


「僕は仮定の話をしているんです。もし日本より圧倒的に高い戦力を有したチームがいて……もしくは絶好調のチーム、日本にとって相性がものすごく悪いチーム、そういう仮定でもいいです。そういうチームと戦うことになったら、これまでのやり方では叶わないんじゃないですか? 馬鹿正直にこれまでの攻撃サッカーを貫くんですか? それはただ試合に参加しているだけで、勝つことに全力を尽くしているとはいえないんじゃないですか」


「お前は悪いほう悪いほうに考えすぎなんだよ」と逢瀬。「このチームが圧倒されるような強者なんて残りの15チームにいやしないんだ。もしいたとしてもだな……お前は攻撃の選手だ。俺と近衛と佐伯が試合に出られるなら少なくともリードを奪われる展開なんてありえない。お前らは90分の間に1点でも獲ればいいんだよ」




 夕食の時間が近づいた。

 マルコーニを起こし、代表チームが貸しきっているレストランに移動する。

 財布の中身を確認する。換金したオーストラリアドルはほとんど残っていなかった。

 会計を済まして帰る。マルコーニの財布の中身が眼に入る。日本とオーストラリアの札束がぎっしり詰まっていた。

「細かいところでヘイトを稼ぐね」


「なんすかお金持ちの俺に嫉妬っすか? 悪かったすね金持ちで! サッカーが上手くて! ついでに言ったら顔が良くてなんでもそろってるっすから。あれどうしたんすかみんなその顔……」


「最後のはないです」と有村。


「ないないありません」と俺。


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