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勉強会

 なんとかしてみることにした。



 ホテルのカウンターのすぐそばにあるラウンジ。そこに5人の欠員を除いて選手18名が集まる。

 ただでさえ高いであろう飲み物の値段が、『ホテル』、『観光地』という要素も加わって普段なら払う気になれない額にまで上昇している。

 わざわざ高い金を払ってテーブルを数時間占拠するのだから勉強する気になるだろうという高校生のよくわからない計算である。

 俺は金井、有村、水上の静岡組と同じテーブルに座った。

……しばらくの間ほとんど喋らずにもってきた問題集を解いている。




 なんだかサウナで我慢大会でもしている気になってきた。

 サッカーにはあんなに夢中になれる奴らなのに、勉強となるととたんに集中力を切らしてしまう。1時間半後、ラウンジに残っているのはわずかに6人である。俺と水上と有村と逢瀬、マルコーニと金井が生存者だ。もっともマルコーニは机につっぷしているのだが。

 思えばこんな突発的なイヴェントに頼らずとも勉強してる奴は普段からしているに違いない。泊まっている客室にもそれ用の机があった。


 勉強会に参加していなかった3人の顔が脳裏に思い浮かぶ。

 近衛は進学校に通っているというし勉強する習慣がある。わざわざここで群れながらテキストを開く必要はなかった。


 佐伯は「俺は娯楽室でビリヤードしている」と言っていたけれどその反応はテスト前に「俺勉強してねぇ」って言っておいていい点獲る奴にそっくりだ。自分の努力を他人に見せない性格なのだ。


 鹿野は……つうかあいつこそここにくるべき人間だろう。なんで回避してるんだよ。「有村ぁ、鹿野はどうなんだ? どうせ自分の名前くらいしか書けないんだろ?」


「あの人案外勉強できるんですよ。正直がっかりですよね」


「キャラ崩壊じゃねえかあの野蛮人……つうかさ、このチームが優勝したらさ、世界大会で初優勝なんだし『恩赦』で成績云々もどうにかならんの?」


「そんなのあるわけねぇだろ!」と逢瀬。「いいから集中しろ!」


 有村が小声で。「本当に集中してるならそんな大きな声だせませんよ」

 どうやら逢瀬も『こっち側』の人間のようだ。さっきからずっとソファで居眠りをしているマルコーニもそう。日本に帰ってから懸念することがアリアリな人種だ。



 ラウンジは選手の面々がほぼ独占している。宿泊客は代表一行だけではないが、滞在中顔をあわせることはほとんどなかった。

 ワールドカップの試合は現地のテレビ局がすべて生中継で放送している。

俺たちが日本代表の選手だということは知れ渡っているが、大会期間中サインを求められたり写真に撮られたりしたことはなかった。みんな空気を読んでくれている。




 金井が腕時計で時間を確かめたときだった。

 水上がシャープペンを放り投げ、机につっぷした。「やっぱりサッカーしたいですよぉ。こんな遠くまできて勉強なんかしてないで……」


 金井が咎めるように言った。「青野監督は俺たちの体を気遣って休むよう命じている。決勝まで残れば4試合もある。休むことも仕事だ」


「でも……僕にはやっぱりこんなの必要ないですよ。早く体動かしたい! みなさんもそう思うでしょう?」


 俺は眼の前の問題を解くことに集中した。ともかく集中しようとはした。

「サッカーだけが上手くても駄目ですよ」と有村。「どのポディションでも頭が良くなきゃどこかで限界がきます」


「そうですかぁ? でも俺は直感タイプなんで……」


「サッカーに関係ないことも吸収しないといませんよ」


「……これはいずれ言わないといけないと思ってたんですけど……」


 俺は文章から眼を離した。

 水上道という存在に俺は今初めて気がつく。

 金井、有村はペンを置いて水上のほうを向く。

 逢瀬は腕を組んで水上が話すのを待っていた。

 マルコーニ睡眠中。


「みなさんは兄弟います? 俺は兄と姉がいます」


 なんだ、そんな質問か。俺が最初に答える。「俺は兄が1人」いたよ。


 有村。「いません」


 金井。「兄が2人だ」


 逢瀬。「兄と妹の3人兄弟だ」


「僕の兄は野球をしていました。甲子園にいくほどの選手で地元では名の知れた選手です。姉はバレーボールをしていて全国大会にも出場しています」


「スポーツ一家なんだな」と俺。


「俺は3兄弟の末っ子で、家族のなかで1番若い。両親は夕食のときによく話をします。『調子はどうだ』、『怪我はしていないか』みたいなことを。姉や兄が家にいるときはいつもそうでした。でも俺の話はしない。だってもう、飽きてしまったから。俺がサッカーの話をしても、試合でどんな活躍をしたか話しても、そんなことはもう何年も前に兄や姉が体験したような話だった。何も目新しくなんてない。どんな家庭でも末っ子っていうのはそんなものなのかもしれない。兄や姉は話が通じる大人で、俺は歳が離れた末っ子だったから置いてけぼりだった。俺には家なんてない。俺にはサッカーしかない。結果で家族を見返すしかない。そういう考えっておかしいですか?」


 ……この家庭環境は軽度のネグレクトか何かなのか。「誇大表現だろ? 代表にまで登りつめた選手に無関心でいられる親なんていない」


「いえ、親のことなんてどうでもいいんです。結局ピッチに出れば、誰だって1人でしょう。誰かに守ってなんてもらえない。自分の判断、自分の才能で渡り歩くしかない。そうでしょう?」


「俺は違う。俺には兄がいる」


 有村はわずかに首を傾けた。「倉木さんのお兄さんですか? 仲がそんなにいいんですか?」


「いや、死んでる」


「死んでるって……」有村は絶句する。


「俺が生まれる前にな。2歳だった。ボールを蹴ってる写真が残ってた。俺は兄のために世界一の選手になる。『一次』という名前には長男の『一』と次男の『次』が含まれる。俺はいつだって2人分の存在なんだ。少なくとも1人で戦おうとするお前とは違う」


 水上は俺にはわからない理由でため息をついた。そして。「そんな人がいるんですねぇ……でも俺は、理由なんてどうでもいいんです。強い奴と戦って勝ちたい。FWですから1点でも獲れば流れは変わると思っています」


「だろうけどよ。金井はどうだ?」


「俺に振るのか」と金井。「強さとは己の弱さを知ることだ。水上の家庭事情にせよ、倉木の亡き兄のことにせよ、それはお前たちにとっての『弱さ』だ。そうだろう? その『弱さ』はモチヴェーションになってお前たちを支えてきたはずだ。倉木には伝えてきたが、俺はかつて弱かった。だからこそ自分の武器を磨き、チームに必要とされる選手になるよう努力し続けた。代表にはいっても俺は変わらない。俺はMFとして倉木一次よりも有村コウスケよりも劣っている。だからこそお前たちにないものを俺は探し続けている。今も俺はもがいているよ」


「嬉しそうだな」と俺。マゾッホかお前は。


「金井さんは焦らないんですか?」と水上がたずねる。


「いや、焦りはない。大会期間中の今焦ってなんになるわけでもない。それに今は確証がある。あの名将青野健太郎監督が俺を選出したんだ。1年前なら信じられない境遇だ」


「……水上も俺も金井もなんか告白したけど有村は言うことない? ほら、言えよ流れ的に。6人しかいないしマルコーニはガチ寝しているし5人だけだ。なんでもいいから言えよ空気読めよ」


 有村は数秒眼を閉じ、それから同じテーブルに集まった俺を含む4人を見た。

「どうしてもですか」


「なるたけね」


「僕の話せること……サッカーに関すること……」


「有村コウスケの知られざる秘話」


「『知られざる』『秘話」じゃ重複表現ですよ。……自信はありませんけれどこんな話があります……」


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