青野健太郎その1
グループリーグ初戦の数時間前。
俺は滞在先のホテルにいる。
廊下を移動中、俺と他に5人の選手が青野監督に呼び止められた。ホワイトボードの前で数分間攻撃のやり方について教授された。
つまりここにいるメンバーは先発で試合に出ることになるのか。
まあこいつらの実力ならそれも納得できる。
「よし、じゃあ以上だ。ミーティングルームに移動してくれ。……ああ悪い。倉木には話したいことがある。残ってくれないか?」
「はい」
5人の選手は先に移動する。ホワイトボードの前で俺と青野さんがむかいあう。
「簡単に済まそう。君はチームのために犠牲になってくれている。才能ある若い選手が自分を殺し好きでもないポディションで好きでもない役割を担おうとしている。君は自分を誇っていい」
「そういうのは試合が終わってからでも良かったんですよ」
「本来FWの君がボランチでプレーするんだ。普通ありえない。君の能力とチームの事情がそうさせてしまった」
「それでチームが勝てるんならどうってことないです」
「これはあくまで一時的な変更だ。クラブではFWでやりたいだろう?」
「そうです。そっちのほうが自分にはむいていると思います。でもこっちでは事情が違います。ここでは青野さんが一番偉いんですから、選手の俺たちはしたがうだけです」
「本当にすまないね。僕は思うんだ。真の英雄は自分のためには戦わない。誰かの助けになるから戦うんだよ。君にはヒーローになる資格がある。本気で言ってるんだよ?」
青野さんは裏表のない人だ。監督は本気で俺をリスペクトしている。
1年ほど前から俺はボランチの位置でプレーするようになった。
そのことを配慮してか、青野さんは俺によく声をかけてくれる。この人は本当に真摯で、今のように気恥ずかしい言葉を平気できかせてくれる。
俺が横をむいたのはにやけた顔をみられたくなかったからだ。
変な大人だ。しかしこの人の監督としての手腕に疑いはない。俺が知る限りでは日本史上最高の指導者。
この人を本物の『名将』にしたい。ワールドカップ本大会でタイトルを獲った監督に。
俺たちにはそれができる。
強豪相手に健闘するも敗れる。上位に進出したもののタイトルは逃した。
そんな結果はいらない。
このチームにはすべてのポディションに超一流がそろっている。ベストイレヴンや大会MVPを狙える逸材が大勢いる。
そんなチームが優勝以外の何を狙う? 今勝たずしていつ勝てというのだ。