鮎川かなえその2
1年前。
この日初めて代表に招集された鮎川かなえは初日のうちに青野監督に呼び出された。
場所は合宿所の一室である。2人は机をはさみ椅子に座っている。
今さらいうことでもないのだけれど、こうやって不意打ちで俺=倉木一次の1人称の視点を離れ3人称の視点になることもよくある。ご迷惑をおかげいたしましますがご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
「君の代表でのポディションは3トップの中央、センターフォワードだ」
座ったままでも長身とわかる鮎川。彼は不安そうに言った。「つまり、190ある私にはそのポディションがむいていると? でも私の適性は……」
「センターフォワードにはないと言いたいんだろう。ガンズでもトップ下とか、2トップの下がり目で使われている。もちろんそんなことは承知しているよ。でも代表ではセンターフォワードでプレーしてもらいたい」
「それが監督の考えならもちろん受け入れます……でも」鮎川は不満そうに口ごもる。
「センターフォワードといっても君の役割は『囮』だ」
「『囮』……」
「うーん、そうだね。たとえばこんな話をしよう。昔はさ、夏の間にプロリーグ戦を休んでオールスターゲームがあったんだ。ファン投票をして、各ポディションで得票数が多かった選手でチームを組んで対戦していた。リーグ戦で調子がいい選手、代表クラスの実力がある選手が当然選ばれることになるよね。ならさ、オールスターチームの日本人選手がそのまま代表に選ばれればいいじゃんってことになるよね。でも現実には……」
「そうではない」鮎川は答える。
「それはなぜか? 単純に実力や成績が上な順に選手を選んでいけば最強のチームができるのではないか? いやそうはならない。なぜなら派手な活躍をする選手の影には黒子役、縁の下の力持ち的な選手が必ず存在するからだ。前めのポディションの選手全員が輝けるチームはそんなにないんだ。代表でもそんな選手はいる。スペースをつくり、溜めをつくり、潰れ役になり、繫ぎのパスを出す。そういう地味な役割の選手はなかなか評価しにくいが」(サッカーは選手の良さが数値に現れにくいからね)。「どんなサッカーを目指すにせよそんな選手が1人はいなければチームは機能しない。それに僕が思うにそういう選手が実はサッカーを1番わかっている。その仕事を君に請け負ってもらいたい」
「中盤は無理……なんですね」
「無理だ」と青野は答える。「2枚のボランチは多士済々。ウィングも同様。鹿野や志賀など点を獲れる選手がそろっている。そういう選手を活かすために君を中央のFWにコンヴァートしたい。君の視野の広さ、DFとの駆け引きの上手さを自分のためではなく味方のために使って欲しい。無理を言っているわけじゃないよ。ガンズユースの試合はチェックしてるからね」
鮎川は相手の眼を見据えこう言った。「私はカズちゃんのためにプレーしています」
「そんな呼び方するの?」一瞬眼を見開いた青野。笑って。「倉木がクラブユースでゴールを量産しているのも君が上手く『消えて』いるからだ。たとえば去年の高円宮杯で倉木がドリブルからミドルシュートを決めたシーンがあったよね。君は左に流れDFをひきつけた。パスをもらうかもしれない君を無視できない、けれどもシュートを撃ちそうだった倉木も気にしなければいけないっていう絶妙な位置取りだった。だから倉木のシュートも成功したんだ。ああいうプレーを代表でもみせてもらいたい。いわば『支援型』のFWになって欲しい。……それでもオプションの1つにすぎないけれどね」
鮎川はすぐに理解する。「……つまり『消える』という役割を固定することで、チームのみんなに迷いがなくなるんですね」
「そう」(理解が早くて助かるな)。「だからこそ両ウィングやボランチの上りに迷いがなくなる。でもゴール近くでプレーすることに違いはない。チャンスがあれば自分で決めにいくって状況ももちろんある。そのときは出色してもらってかまわない。オン・オフのきりかえは難しいかもしれない。でもそれを頼んでいるんだから鮎川にはそういう頭の良さがあると思っている」
「ありがとうございます。代表監督に信頼されているだなんてとても恐れ多いですわ」
「表記の上ではセンターフォワードなのにゴールが少ないと批判されるかもしれない。ゴールに背をむけることも多いしシュートを撃つ機会もきっと少なくなるだろう。チームメイトがみんなそのことを理解してくれるとは限らない……でも僕はわかってあげるから」
鮎川はその言葉を聞いて下を向く。
(このチームでプレーできるなら、私はなんだって捨てられる)。