演説
セルビア戦当日。
代表御一行はまだ拠点としているシドニー市内のホテルにいた。
昼食後、休憩をはさんでミーティングが始まる。終わり次第バス、旅客機、バスと乗り継いで試合会場のメルボルンへ移動するスケジュールだ。
ホワイトボードの前に青野監督、少し離れた位置に3人のコーチが立っている。
選手たちはトレーニングウェアを着て並べられたイスに座っていた。
「今日の試合でこのグループリーグの順位が決まるかもしれない。初戦で勝ち点3をとったチーム同士の対戦だ。勝てばまず1位で抜けられる。もちろん第3戦のトリニダード・トバコも大事だが、次の試合のことなんて忘れたって問題ない。スタメンの誰かが疲れきってしまったり怪我をしても、ベンチのメンバーが同じ仕事をしてくれる」青野監督は奥に座る志賀に視線を送る。「志賀は軽い捻挫だ。今日の試合にはでられないけれどベンチでみんなと一緒に応援してもらうよ。いいね?」
「はい」
志賀は心なしか悔しそうだった。彼の血統がそうさせるのだろう。アルゼンチン戦は不完全燃焼な結果に終わった。
「志賀のポディションにはいるのは水上だ。そして疲れやすいサイドバックは予定通り毎試合代える。右サイドバックは木之本、左サイドバックは樋口」
チーム最年少の水上は中学3年生。木之本は高校1年生だ。出場する選手の平均年齢が一気に下がったことになる。
「アルゼンチン戦にでていたメンバーには引っ張っていくプレーを期待しているよ。みんなもうセルビア対トリニダード・トバコの試合を観ているね。セルビアが6対0で破っている。ゴールはなかったが相手の10番、テスラには注意しよう。すべての得点に絡んでいる」
1点目、ゴールラインの手前で利き足ではない左足でクロス、FWが頭で決める。
2点目、エリア内の左で右から飛んできたボールをアウトサイドでダイレクトパス。これもゴールにつながる。
3点目、ハーフウェーラインを過ぎたところからグラウンダーのスルーパス。抜け出したFWがGKをかわしゴール。
4点目、角度のないところから放ったシュートがGKにあたりこぼれ球を味方がおしこむ。
5点目、タッチライン際に左サイドバックを走らせるパス。そこからマイナスのパスがとおりボランチが決める。
6点目、左後方から自分にむかってくるボールをシュートとみせかける動きをいれて味方へのパス。これも決まる。
「セルビアが6点を奪ったことは日本にとって幸運だった。それだけ手の内をこちらに見せてくれたってことだからね。日本相手に戦い方を変えることはないはずだ。同じメンバーで同じようにコレクティヴ……集団的な動きで相手のゴールをこじ開けようとしている。有村、試合を観てどう思った?」
有村は答える。「トリニダード・トバコは身体能力任せであまりいい動きをしていませんでした。大差がつくのも仕方がないと思います」
「そうだね。でもトリニダード・トバコのまずさよりセルビアの良さを褒めるべきだ。セルビアの攻撃はアルゼンチンの攻撃より再現性が高い。近衛」
近衛は解説してくれる。「再現性が高い。ようは確率が高くまたできるサッカーをしているってことですね。アルゼンチンは前の選手にいい形でボールがはいらなければチャンス到来とはならなかったですが、セルビアはMFのテスラが低い位置でも前をむけばゲームを組み立てられます。みんなが同じ崩しのパターンを想定して動けている。だからトリニダード・トバコ戦もチャンスを量産できたしシュートの決定率も高かった」
「説明ありがとう。セルビアの強さは集団としての強さだ」青野さんはホワイトボードに書きこみを始める。「セルビアのフォーメーションは4-4-2。ゲームメイカーのテスラは中盤の左だ」
セルビアの中盤は4人がほぼ同じ高さに並ぶフラットな形。右利きのテスラが左サイドにはいるのだから、右足で逆サイドの味方へパスがだしやすい。カットインすればシュートだって打てる。
「テスラ1人にこだわっていても仕方がないけれど、それでもいい選手だってことは初戦でわかったからね。試合中のポディションは変幻自在だ。ボールをもらいにセンターバックのいる位置までさがることもあるし、エリア内でしかけてくることもある。相当ベンチから自由にやらせてもらっているんだろう。誰か特定の選手が抑えるんじゃなくて、チームの全員が勝たなければいけない。当たり前すぎるけど……」
「そんなにいい選手なんですか?」と逢瀬が問う。
「テスラは名の知れた選手だよ。でもそんな情報は関係ない。この試合には関係ない。選手みんながチャレンジし続ければ勝てない相手じゃない。セルビアは中盤でつないでくる。アルゼンチンのように攻め急がないだろう。遅い攻撃になってもチャンスをつくりだしてくる。ゲームメイカーのテスラはボールに触りたがる。でもみんながちゃんと守ってくれるならテスラもいいパスはだせない。倉木!」
「はい」
「アルゼンチン戦のゴールはもう過去のことだ。この大会あれっきりで終わってしまったら倉木だって一発屋だ。アルゼンチンを無失点で終わらせた日本の守備陣もそう。今日の試合2点、3点失ったら『あれはまぐれだ』って言われても仕方ない。今日の試合で実力を証明しよう。今日の試合も決勝戦だ。何も恐れることはない。相手がヨーロッパ王者? そんなことは関係ないね。マルコーニ!」
「は、はい!」
「やれるか?」
「や、やれますよもちろんん」
「だがもし失点しても味方がとりかえしてくれる。攻撃には攻撃でやり返す。鹿野! 2度目はないぞ」
少しも悪びれずに鹿野は答える。
「たまんねえじゃねえっすか監督。すぐにぶちこんでやりますよ」
監督もそういうつもりで声をかけてはいないと思うのだけれど。
「あんまり自分にプレッシャーかけて欲しくなかったんだけど……ともかく使うよ」青野監督がまたペンをもった。「キーパーはマルコーニ。右サイドバック木之本。真ん中にキャプテン逢瀬。近衛。左サイドバック樋口。右サイドバック木之本。アンカー佐伯。右ボランチ倉木。左ボランチ有村。左ウィングは鹿野。センターフォワード鮎川。右ウィング水上。……オープンな試合になるだろう。大勝したセルビアは攻撃に自信をもって臨んでくる。日本はどうだろう? アルゼンチン戦はあの1点で十分だったのか? 手を使って守られたと言い訳はしたくない。あれが試合のあった時点では精一杯だったんだ。セルビアは日本のアルゼンチン戦のビデオを何度も観ているだろう。だが今日相手をする日本代表は3日前とは違うチームだ。たとえ8人同じメンバーだろうと違う試合になる。どんな試合になるのか? セルビアは慎重にこないだろう。ボールをもった選手をどんどん追いこしてくる。ゴール前に選手が雪崩れこんでくるだろう。どうすればいい? 後ろの選手が見えているなら余裕でクリアできる。トレーニング通りのことができれば何も問題ない。セルビアは逆に素早い水上を捕まえきれない。倉木のドリブルを止められないよ。だから」青野さんはペンを置き、口の前に指を立てた。「だから僕らはキックオフを待つだけだ」
移動するバスのなかで試合のビデオを観た。
スマホを貸してくれたのは木之本。観たかったビデオを探してくれたのも木之本だ。
後部座席の右奥に俺、逢瀬、マルコーニが顔を寄せる。
5万人、あるいはそれ以上の大観衆。半数ほどがホームチームのユニフォームを着て応援している。
そのほとんどがブーイングをアウェイ側の選手に浴びせかけていた。
0対0とスコアが表示されていた。試合時間は残りわずか。
黒いユニフォームが攻め、赤いユニフォームのチームが守る。
ペナルティエリアのFWに後方から強いボールを送るも、DFがヘディングでクリア。
だが中央にいる敵へのパスになる。
ぽっかりとスペースができていた。
そのボールをMFが胸で落とし、自分の間合いにコントロール。右足をふりぬいた。
はいった。
走りだした黒いユニフォームの選手と対照的に、ゴール裏の観客席は静止画像のように動かない。消音されたかのように声援もかき消された。
アウェイのチームが先制。これが決勝点になるだろう。
チームメイトにもみくちゃにされているのはまだ子供のような顔をした背番号25の選手。
こいつがテスラだ。
今から9カ月前の試合の映像。
欧州大陸最強のクラブを決めるあの超フェイマスな国際リーグ、その本大会のグループリーグ第5節だった。
赤いユニフォームは前年度イングランドプレミアリーグ覇者。
黒いユニフォームはセルビアの名門クラブ。
トップチームにあがったばかりのテスラはこのとき16歳だった。大会史上最年少ゴール。
ゴール自体は誰にだって決められそうなものだった。しかしテスラはこのビッグゲームに出場している。監督に信頼されチームメイトに認められなければ、クラブにとって何年に1度もないこの大舞台で使われることはなかっただろう。
だからこそ俺はテスラを敵視する。俺はやっぱり1番になりたい。こいつの存在を喰って世界に名を売りたいのだ。
テスラの所属するクラブはグループリーグを2位で通過、決勝トーナメントではベスト16で敗退。テスラ自身も他のゲームではさほど活躍していない。
それでもだ。最年少得点、ビッグクラブ相手にアウェイで決勝ゴール。とてつもない選手が現れたことに違いはない。来季は高い移籍金で『ドナドナ』されてもっと名の知れたクラブでプレーしているかもしれない。
このU-17ワールドカップ、全選手中もっとも有名なのは今のところテスラだ。ボルヘスでもない、ボルヘスを止めた日本の2人のセンターバックでもない、アルゼンチンから先制点を奪った俺でもない、セルビアの新星ニコ・テスラこそが大会の顔だ。
木之本にスマホを返す。
「どうでしたか?」
「どうもこうもねえよ!!」と俺。「普通にサッカーするだけだ」
「警戒に値しますね」とマルコーニ。得意げに前の席の木之本をみている。
自分なら大丈夫だとでも言いたげに。こいつが知った風な口を利くだけでこちらは不安になってくるのだが。
「逢瀬さんはどう思います?」木之本が訊ねる。
逢瀬は試合の映像を見ても眉1つ動かさなかった。白目が大きい眼。思っていることを隠さない顔。逢瀬は言葉でも自分を飾らない。1つ下の木之本やそばにいるチームメイトに生のままの言葉をぶつけた。わずか2文字、3音節で、
「潰す」
と。