ランチ
アルゼンチン戦の翌日の正午。試合に出た組は休み。軽い捻挫をした志賀は別メニューだ。
代表一行は食堂で昼食を摂る。例によってビュッフェ形式。俺は近衛、鮎川、佐伯、有村が座る席に着く。
俺は食べられるうちに食べておく。海外遠征ではさんまだの炊き込みご飯だのと和食をチョイスしたくなる俺だ。日本にいるときは中華がファーストチョイスなのに。
席に座って数分が経過。すると近衛が話しかける。「こちらにいらっしゃる倉木一次さんという方が昨日の試合についてご注進したいことがあるそうです」
「ご注進……俺も当事者なんだけど。それに食べてるときに話すことじゃないかもしれない」
「俺はかまわないけど」と佐伯。
有村が訊ねる。「このメンバーですか? 先発だったらあと6人いないですけど?」
俺は眼の前の席を見る。競うように逢瀬と鹿野が料理をむさぼるように。コーチたちは同じテーブルに固まって食べている。
「中盤の3人が問題だったと思う。鮎川と近衛はオブザーヴァーみたいなもんだよ」
「さっきと違って真面目なんですね」と近衛。「アインツツヴァイさん」
「んじゃ食べながらでいいから聞いててね。食べるのも稽古だぞ。昨日の試合、非常に早い時間帯に得点できたことで日本は守りにはいってしまった。もちろん異議はあるだろうけれど」
佐伯は手を挙げた。「もちろんあるよ」
「あるんだろうな……アルゼンチンはたっぷり試合時間が残っているっつうのに攻め上がってきた。中盤の2人もトップ下のボルヘスはもちろん2人のサイドの選手もあがってきた。残ったのは5番くらいかな」
丼から口を離して有村は「でしたね」という。
「だからアルゼンチンからボールを奪ったらスペースが見えた。広い中盤をたった1人でカヴァーできるもんじゃない」
近衛は同意した。「追加点のチャンスはありました。現に逢瀬や志賀がチャンスをつくりだしていました。……倉木は理想が高いですね。勝った試合にケチをつけるんですから」
「結果は満足している。でも次もまた上手くいくかはわからない。これって戦術論だよな。日本人のサッカーファンが大好きなさ」
「僕たち当事者すぎますけど」と有村。
「監督は青野さんなんだから青野さんがこれまで俺たちに話してくれたことを思い出せばいい。青野さんのサッカーは『走るサッカー』。相手を走り負かすサッカーだ。それが昨日の試合ではできてなかったと思う。これに異論は? ないな」
「……前回大会のことなんですけど」有村が箸を置いて手を挙げる。「2年前のサッカーと似ているところがあると思うんですよ。中盤の押しあげが足りなかった」
「2年前?」俺はメンバーの様子をうかがう。「みんな知ってるの?」
佐伯はサラダを食べきってから。「知らないのは倉木だけじゃない? ……まあ簡単に説明するといいFWがそろってた。中盤にも『点が獲れるMF』って触れこみの木暮って選手がいたんだ」
有村は説明を続ける。「でもこの大会では無得点に終わったんです。ベスト8まで進んだチームでしたが木暮さんはおろかMF、DFから得点者は現れなかった。簡単にいえばFWの3人に攻撃を任せきりの非流動的なサッカーだったんです」
「……昨日の試合がそうだったと?」
「正確にはそうなりかけていたと思います」有村が続ける。「でも倉木さんは前線に駆け上がって先制点を奪いましたし、ドリブルからもチャンスをつくりました」
近衛は注文をつける。「だがその2度は例外だ。中盤の選手は高い位置でプレーしたがらなかった」
中盤の3人、俺と有村、佐伯は口を閉ざす。
「なんか辛気臭くなっちゃったわね、責めてるわけじゃないのよ」と鮎川。
「『総括』みたいだな。誰から『自己批判』するんだ?」
「ソウカツってなんですか?」と有村。
「こっちの話。監督は使えないと思ったらきっぱり俺たちを切るだろう。青野さんのサッカーは比較的ポディションを固定するほうだ。ボールを囲むようにポディションをとり、パスで揺さぶり隙をつく。そのためには攻撃に人数をかけなければいけない。人数をかけた攻撃には人数をかけた守りでしか対抗しえない。相手はディフェンスに体力と集中力を消耗し、日本からボールを奪っても攻めに使うはずの体力は失われている。うーん、完璧な作戦だ。理論上は最強」
有村は言う。「理論上最強のサッカーなんていくらでもありましたけれどね」
「そういうサッカーをアルゼンチン戦ではできなかった。アルゼンチンは日本の先制直後からがんがん攻めこんできた。日本は攻撃手段がカウンターに限定されてしまっていた。それはそれで上手くいったんだけれど……」
有村は。「アルゼンチンの中盤は戻らなかったですよね。DFと5番の選手に任せきりで」
「そう。だから俺たちが押しあげれば2点差3点差にすることは実はたやすかったんだ。アルゼンチンをリスペクトしすぎたな。ボルヘスは確かにいい選手だが近衛と逢瀬がいる以上好き勝手絶頂にやられたりなんてしなかったし。他のポディションは並大抵だった」
食べながら話を聞いていた佐伯。「まとめれば……セルビアと戦うときはカウンターに頼らず、時間をかけた攻撃も試してみようってことだな。遅い攻撃なら特に中盤3人の判断力が試される。責任重大」
佐伯はプレッシャーなど感じていない。細目をなお細くして笑ってみえる。
有村はむすりとした表情になる。昼食の邪魔をされて不愉快になのかもしれない。
俺はどんな顔をしているだろう。サッカーに関することでプレッシャーなど感じたことなどない。
近衛は話を聞きながら大盛りの肉じゃがを片付けていた。そしてポツリとつぶやくように。「攻撃の話は終わりましたね。じゃあ守り方についても話したいんですけれど。特に佐伯と有村」
固まる両名。
「ええ? 攻撃が上手くいけばそれでいいじゃん。10点とられたら11点奪えばいいんだよ」豊玉リスペクト。
「何言ってんですか?」と近衛。「90分で1点でもゴールしてくれれば僕らが完封して勝つんですよ。昨日の試合がそうだったみたいにね。重視すべきはディフェンスです」
「攻撃か守備か。鮎川はどう?」
鮎川はすぐに答える。「そりゃこのチームではFWだしもちろん攻めるほうが好きよ」
「有村は?」
「サッカーでは攻撃と守備は表裏の関係だと思います」
「佐伯は?」
「俺はいつだって中立だよ」
「2対1棄権2票で『攻撃』の勝ちかと」
近衛。「民主主義なんて関係ないです。僕がいつだって正しいんですから僕の言うことを聞けばいいんですよ」
「まぁお前とはいずれやりあうことになるとは思ってたけどお」と俺。「でもせっかく休憩してるんだから楽しい話でもしよう」
近衛が表情を緩め。「……楽しい話?」
「女の話でもしよう。いやぁさ、1カ月くらい前に隣ん家の幼馴染が泊まりにきてね。親が葬式でいなかったから。久しぶりにあったらけっこう変わっててさ」
佐伯。「? そういう本を読んだの?」
「本当だから。本当に。1つ下の子なんだけどかわいくってさ」
有村。「淫獣ですね」
「淫獣……ともかく久しぶりにあったその日がメンバー発表の日だったからその話題でもちきりだったよ。応援してるから頑張ってねって。サッカー漬けになるまでは一緒によく遊んでたんだ。近所に住んでるから俺の活躍っぷりも知ってたみたいでさ、番号も交換したしまた会おうって……」
佐伯。「わざわざ自慢しないでいいからそういうこと」
近衛はふと横をむいて。「どうしたの鮎川、さっきから顔真っ白ですけど。具合悪いの?」
「かわいい子なんだよぉ、たとえばパスタをかたくなに箸で食べようとするんだよぉ」
「わかりにくいです」と有村が感想を述べる。
「俺のドリブルを止めるような烈女なんだよぉ」
「どんな女だ」と佐伯。