倉木一次その2
日本は鮎川に代え古谷を。2トップの一角にはいる。
アルゼンチンは中盤の選手を下げFWをいれてきた。日本の最終ラインの間で裏を狙う。
アルゼンチンが押しこんでいる。
だが先ほどのカウンターほどの怖さはない。ゴール前にスペースがなければボルヘスも怖くない。
そのボルヘスが左サイドに流れクロスボールを蹴る。
跳ねかえす近衛。佐伯が前をむいて大きくクリア。残りのDFとGKが「よおし!」と声を挙げる。
アルゼンチンの最後尾のセンターバックがボールをひろいドリブル。
鹿野が襲いかかる前にパス。
鹿野と古谷の2人が前線に残っている。トップ下の俺は中盤の低い位置。仕方なく下がって守っているのではない。攻撃に移るためにはボールを奪わなければいけないからだ。
俺はまだ追加点を諦めてはいない。
試合の流れを読むのだ。
俺は前半6分のゴール以降まだシュートを放っていない。狙うなら今だ。
ロングフィードをアルゼンチンの9番がそらす。アタッカーに渡りかけたところを俺が強引に奪う。
これが中盤でプレーする利点。ボールを奪った瞬間ならばマークはない。
ハーフウェーラインを越えたところで有村にパス。少しは働け。
有村は俺に。
((すぐリターンパス))。
ワンツーで前をむく。加速する前方へのパスだった。
鹿野が手を挙げ走る。ペナルティエリア左。
古谷が眼の前。デコイランで右斜めに走る。
古谷は1人釣った。3人が俺のマーク。
思い切ってシュートを狙う。
前半被弾している以上防ぎにいかざるをえない。
飛び出した5番をかわし加速。左のDFが追いかける。
並走されるが追いつけない。こいつは俺の最速を知らない。
最後のDFが古谷を捨て俺を潰しにきた。前後から挟撃してくる。
前に体重が乗ったそのDFを挫かせる。2時の方向にスルーパスを通す。
(足を止めた古谷は反応できない)、スルーパスを受けるのは出した俺自身。
DFはふりきった。しかし最後の敵がいることはわかっている。
味方が抜かれることを察し飛びだしたGK。シュートでは体にあたる。
パスなら通せる。ボールに追いつきながら体をひねる。GKを越えるクロスをあげ倒れる。
鹿野が頭からつっこんでいく……。
素早く起き上がった。古谷が主審に抗議している。ボールは? ゴールのなかにはない。クリアされたのか? 鹿野がシュートする前にDFが奪った?
スタンドからの声が大きく、そして荒くなる。
ともかく試合は止まっている。
俺は頭上の電光掲示板で確認した。
……リプレー。俺が3人を抜き去りGKをひきつけラストパス。
ボールはアルゼンチンのキーパーの伸した手にはあたらない。
ボールは無人のゴール前に。あとは鹿野が押しこむだけ。
しかしアルゼンチンの6番が前方に。彼が右手でボールをはたく。そしてキック。ゲームを切った。
スタンドのざわめきが怒声に変わった。
見えていなかったのか? エリア内のハンドならPKのはず。
手を挙げて古谷が主審に抗議している。佐伯もここまできてたどたどしい英語で話しかける。
覆らないだろう。苦しい顔をした主審はスクリーンを見ようとしない。一度下した判定を改めようとはしない。
今1番問題なのはゴールが認められなかったことではない。正確なジャッジを下せない主審でもない。味方だ。
鹿野は手を使ったDFに伝わらない日本語で喚いている。「何手ぇ使ってんだよこの」放送禁止用語。「がぁ! ろすぞテメェ」クローンヤクザかお前は。
俺は鹿野の腕をつかみ。眼の前には両腕を広げしらばっくれるDF。まあそういうものだろう。びくついていたらハンドリングを認めたも同然だから。
「ミスジャッジだ。しょうがないだろ」
「しょうがなくなんてねえ! あいつが手なんて使わなきゃ俺がゲットしてたんだよ!」
「お前が最強でいいからさ……ゴールならもっと大事な時に決めりゃいいだろ」
「試合が決められたんだぞ!」
「完璧なジャッジなんてありえない。それも含めてサッカーだ」俺はゴール裏の時計を確認する。後半43分。「守りきれるだろ。現実にゴールは認められていない。それが前提だ。リードを守って勝ちきることに集中しろ」
大人になれよ、と俺。
確かに不可解で不条理な判定だった。でもそれも含めてサッカーだ。わからないなら試合に出る資格はない。
主審は日本の選手に試合の再開を急かす。佐伯と古谷は元のポディションに戻る。
ベンチから出てラインの内側にはいりこみ『物言い』をしていた監督。今はベンチの前で立って手を叩き「集中!」と声を挙げる。あからさまな誤審に対して感情的にはなっていなかった。
どうやら攻撃の時間は終わったようだ。最小のリードを守りきる展開になる。
……日本はアルゼンチンを追いつめている。
日本は左沢、そして俺の超絶技巧で先制点を奪い、アルゼンチンの猛攻を逢瀬、近衛を中心に個人と連携でいなし、潰し、虐げた。最強FWボルヘスの突破は日本のDFにことごとく防がれ、逆襲から日本はチャンスを量産した。アルゼンチンは追いつめられている。手を使わなければゴールを守りきれないほどに。エースが下をむくほどに。逆転を諦めるほどに。
日本選手は涼しい汗をかき、アルゼンチン選手は油のような汗をかいている。