宴の始末・下
『承前』
「お前が始めたんだろう」と手を下しながら近衛。「こんな夜中に」
「とりままだ喋ってない奴の話聞こうか? 逢瀬と沖と鮎川西田志賀あと俺な……そうだな、背番号が大きい奴からなんてどう?」
「じゃあ俺からだ」と志賀。「言うまでもないが俺はビッグチャンスを逃した。GKとの1対1を外した。それもアディショナルタイムに入ってからだ。あれがはいっていれば決勝点だった」
「それを言うなら私もよ」と鮎川。「同じく1対1の場面で決めきれなかった。志賀と同じくアディショナルタイムだったわ」
「順番守れよ」と俺。「まぁいいけど……そもそもお前たちがチャンスをつくったとき俺はどうしていた? 志賀のチャンスは俺がエリア内でパスしたから生まれた。鮎川のチャンスは俺がデコイランを選んだから生まれた。……どっちも俺がお前ら2人を信頼してしまったから、チャンスを託してしまった《・・・・》からゴールに結びつかなかったんだ。お前ら2人にブルーナからゴールを奪えなかった」
後部座席から志賀が睨みつけている。「自分なら決められたと? シュートを選ばなかった自分が敗因だったって?」
「そうだ。俺がお前たちを信頼しすぎたせいでゴールが生まれなかった。俺ならブルーナにシュートを止められたりはしなかっただろう。迷いが生じたのはお前たちを過大に評価してしまったからだ。俺はお前ら2人とは違うんだ」
「確かにそうかもね」皮肉をこめて鮎川が言う。「カズちゃんと私たちじゃ格が違うから……ベストイレヴン選出おめでとう」
「ん? 知らなかったそんなの…」
沖が早口で伝える。「ヨハン、サロ=ウィア、ボルヘス、お前、有村、アルゼンチンの5番、逢瀬、近衛、オランダの5番、ウルグアイの2番、あとはブルーナ。ついでに大会MVPは逢瀬な」
「全部対戦したことある選手か……ところで沖、どうしてお前が敗因なんだ」
「試合に出られなかったからだ。お前たち試合に出ているメンバーの立場を脅かすことが結局できなかった。監督はお前たちを信用して使い続けた……言い換えれば俺たちベンチ組は信用されなかった」
「だろうな」と鹿野。
「対戦する相手が変わり、そして試合に出ているメンバーは披露しているはずなのに、大会を通してレギュラー組に新しく加わったのは水上、織部、金井、古谷の4人くらいだ。怪我人や出場停止した選手がいたことを考えれば異常なほど少ない。この大会ではメンバーが固定される傾向にあった」
そこまで沖が喋ったのを聞いたあと、俺は立ち上がり前方に眼を凝らした。選手団のなかで1番疲れているだろう青野監督は座席に深く腰掛け眠っているようだ。
「監督は寝ているよ」
「談判するつもりはないよ」と沖。「批判するつもりもない。俺がほとんど試合に出られなかったのは実力がなかったからだ。……1年後2年後には変わっているだろう。監督も変わるし俺たちの実力の伸びも違うからな。ベンチに座っていて上手くなることなんてない。お前らの誰かを蹴落として試合に出てやるさ」
試合に出られなかった面々が首を縦に振る。ベンチにいてもチームの雰囲気を盛り上げる役割を買っていた彼らだが、選手としてプライドは捨てていなかったというわけだ。
「俺はいいよ」顔の前で手を振る西田。「言いたいことは沖が大体言ってくれたから」
窓際の席で鼾をかきかき眠るマリオを横目に俺は言う。「あいつは決勝戦でミスを犯さなかった。オランダのSGGKと比べたら1段も2段も劣ることは確かだがマルコーニは戦犯じゃない」
「こんなやりとりに意味なんてまったくない。時間の無駄だろう。戦犯は俺ただ1人だ。決勝点になったオウンゴール、それにあのラストプレーで気の抜けたプレーを見せた俺を責めないで誰を責めるんだ? 何が日本のキャプテンだ。何が大会MVPだ。俺だけがこのチームで戦えてなかったんだ。俺は空っぽだったんだ。さんざんお前たちに優勝することを要求しておいて、その癖自分に自信が持てていなかった。俺は、いいか、俺は戦ってなかったんだ。代表のユニフォームを始めて着たときからずっと、夢を見てるんだと思ってた。ただ足が速いだけの俺が代表選手? きっと何かの間違いだ。こんな凄い奴らとチームメイトになって、合宿で練習して、海外のチームと対戦して、国外に遠征して、予選に出て、そしてこの世界大会にも選ばれた。それどころか代表チームのキャプテン? 今でも実感が湧かない。そんな奴がいたから負けたんだ。……俺はずっと演じてたんだよ。サッカー日本代表のキャプテンはきっとこんなキャラクターなんだろう、こんなことをチームメイトに話すだろう。表情も、態度も、何もかもすべて誰かの真似事だったんだ。本当の俺なんかじゃない。本当の俺はサッカーを好きじゃないんだ。ただ才能だけがあって、辞めるきっかけがなくて……気がついたら代表選手になっていた。そんな奴もいるんだよ……俺はお前たちが怖いよ。サッカーが俺なんかよりずっと上手くて、それなのに俺を『キャプテン』と言って頼りにしてくるお前たちを……倉木、どうして俺にキャプテンをやらせようとしたんだ?」
「演技だろうがどうだろうがお前がキャプテンにふさわしいと思ったからだ。実際今のいままでお前はよく演じていたいたよ。俺が想像していたとおりだった。俺はさ、こうやってふざけてるほうがガラにあってたからキャプテンマークを巻きたいとは思わなかった。お前は『真面目役』で俺は『ふざけ役』だった。大会期間中チームが堅苦しい空気にならないようみんなを和ませようとする俺の配慮」
「お前俺1人のとき俺いじってきたよな」と佐伯。
「ともかく準優勝じゃ成功体験とはいえないことは確かだ。何かが変わらなきゃこのチームは強くなれない。そのことはわかってるだろ……」
『プレイバック』
後半アディショナルタイム、残り時間??秒。
(以下有村コウスケの視点)。
試合が再開する直前だった。オランダベンチが試合を終わらせるよう主審に求めている。
前方に日本選手が9人。GKも含めた全員攻撃だ。
センターサークルから離れた位置に残るのは自分と左沢のみ。キックオフと同時にオランダゴールへ走り、最後のチャンスに賭ける。
本当に頼りになるチームメイトだった。この大会に出るためにサッカーをしてきたのだと思うほどに。
笛と同時に倉木が蹴る。志賀が左沢にむかってバックパス。
9人が相手ゴールにむかって疾走する。これがこの大会最後の運動。
オランダは7番が1人ボールをチェイスする。
右横に立つ左沢が左足でボールを止めた。10秒前に指示は出してある。
先頭を走る倉木がペナルティエリアにはいった。迎え撃つオランダの守備陣が僕のボールを待っている。
見ているのはキーパーだ。狙っている。
ボールを蹴った直後7番が足を伸ばす。だが間に合わない。
この大会、最後に蹴ったボールは倉木を越え、オランダ最終ラインを越える。
向かい風であおられボールがホップする。だがそれも計算していた。
GKが必死になって戻る。半身になってボールの位置を確かめ、片手でボールを止めようとする。
はいる。
はいれと日本ベンチの青野さんが叫んでいる。
前方に走りながら右拳を固める。
GKが両拳をそろえる。ゴールラインを踏み越えフレームのなかでパンチング。キックの威力を真横に逸らし日本の起死回生のチャンスを奪った。
ゴールラインは割っていない。
コーナーキック。しかしもう主審が時計を見ている。
僕と左沢は参加できないだろう。
1番コーナーアークに近かった金井がボールを蹴っている。
ニアサイド、倉木が倒れながらボールをそらす。滑りこんだオランダ選手の足に当たった。
ボールはキャプテンの前に転がっている。
一度スライディングした3番がすぐさま起き上がり、逢瀬の足元に頭からつっこんでいった。
そう、頭から。一切の躊躇もなしに。
逢瀬の蹴ったボールは彼の頭をとらえペナルティエリアを飛びだした。
同時に主審が長い笛を鳴らす。ボールを蹴ろうとしたマルコーニが銃撃されたようにその場に倒れ伏す。
実況「日本敗れてしまいました。2対3。本当にわずかなところでゴールが奪えずPK戦にもちこむことができませんでした。残念ながら……男子初の世界一とはなりませんでした。勝ち越しを許しオランダに敗れました。奇跡を起こせなかった逢瀬もついに……(絶句)」