翼賛
『織部古太その3』
(以下、青野健太郎の視点)
自分は織部という選手を過小に評価していたのかもしれない。
自分が織部古太を代表チームのメンバーに加えたのは、彼がFW、MF、DFどのポディションにはいってもプレーできるからだ。
怪我人が出た場合のバックアップ、あるいは試合中にポディションをいれかえる必要が生じた場合、織部1人がいれば戦術的な柔軟性を確保できる。そういう論理的な思考に基づき、1カ月半前織部古太を選んだ。
だが現在フィールドを走り回る織部の姿を見たとき、『理性的』にではなく『感情的』に彼を選んだことが間違いではなかったと確信できる。
織部は走る。その走りが今は日本の頼みだ。
状況は日本の1点ビハインド、後半32分。
ルーズボールをひろったボランチの金井。前をむいて攻撃を急いでしまう。
金井のパスをカットしたオランダの8番がセンターサークル内で前をむく。
日本の最終ラインを突くミドルパス。
逢瀬、近衛、左沢の3バック、
狙いはマイボールになった途端ポディションを上げてしまった左沢の裏のスペース。
背番号13が気づく前にヨハンが走りだしている。ラストパスが通ってしまえばリカヴァーできる味方はいない……。
ホフマンが慎重に送ったラストパスにコントロールミスはない。だがそれゆえに、
織部にとってカットすることは簡単だった。
長身のMFが読みきったタイミングでジャンプ、ヘディングでクリア。
(あの程度のパス俺にも出せる。ならばパスを誘ってからコースに入りカットすることも可能だ)。
リードを奪われている以上、ヨハンを相手に少ない人数で守らざるを得ない。近衛と逢瀬にだけは頼れない。中盤を制さなければどこかでいいパスが通ってしまうことは避けられない。喉から手が出るほど点が欲しいこの時間帯だが、日本はフィールド中央を制さなければ話にならない。
その役割を初先発の織部が果たしている。
3秒後、オランダの7番が右サイドでボールを持った。
内側を追い抜いた16番にパス。足を止めたボランチに対し織部が奪いにいく。
(ここは俺がチャレンジしにいく)。
16番の左足前に置かれたボールに左足を伸ばす。
わかっていた16番レーシンクは左足のタッチで軸足の右に当て織部の右側から抜き去ろうとした。だが織部が回りこむ。左足で奪いに行くフェイントだった。
守る側がしかけ奪いとった。転がったボールを左沢がつなぐ。
今度は一気に前線へ。
倉木がクサビを受ける。オランダの4番を腕で近づけさせず確実につなぐ。
左サイドへ。開いた志賀へ。
だがすでにオランダ選手がゴール前にそろっている。実に6人もペナルティエリア内に。
そしてサイドの志賀も背中を押され倒されそうになった。
志賀はマイナスの方向に逃げる仕草を見せたあと、時計回りに動き、右足アウトサイドで相手の股を抜いた。
志賀はドリブルにこだわらない。すぐさま中央相手ボランチの前のあの選手にパス。
あの選手とは、
織部古太。体勢でパスフェイントをいれたあと利き足とは逆の右を胸の高さまでふりきるミドルシュート。
シュートコースはDFに限定されていたのに。
それにこの日最初のシュートだったのに。
織部のシュートは枠を捉える。
仰け反るような体勢になったGKが決死のパンチング、このシュートは辛うじて防がれた。
「ゴールは誰が決めてもいいんだ。これまでスタメンで出てる選手たちの活躍に気圧される必要なんてない」
そう試合前織部に話しかけはしていた。だがここまで存在感を発揮するとは……。
織部は主役になれる。決勝戦終盤のゴールにはこれまでの数倍の価値がある。
倉木が前線に上がっているのだから、エースの代役が中盤に必要だったのだ。その役割を分担ではなくたった1人でやってのけようとしている。こんな選手をベンチに座らせていたとは。
22秒後、8番ホフマンが右サイドにまで上がり、織部が対応している。
ホフマン。(21番、調子に乗ってるがそれもここで終わり……)。
ライカのからホフマンへのパスがやや長くなる。それでも先に触れるのはホフマン。
とっさに右足で引きルーレットを成功させようとしたが(反応)、
左足を突きだした織部のほうがはるかに早い(予測)。局面において相手のとる選択を読み先んじる。
そして10キロ以上重い相手とぶつかったが倒れているのは相手のほう。織部はすでにボールを蹴っている。ホフマンは織部を見上げ、織部はホフマンを一瞥すらしない。
4秒後、志賀が相手の右サイドバックに倒されてFK。攻撃したくて仕方ない逢瀬が上がり得点を狙う。織部の穴を埋めるのは金井。
左サイド奥深く、タッチラインから1メートルも離れていない位置。ボールをセットしようとする有村の元に駆け寄るのは織部。
「活躍しすぎだ」と独りごちる。
ビブスを着た古谷が小声で。「どうして織部殿が急に活躍を?」
「選手たちが疲れ中盤がスカスカなんだ。パスを回しても仕方ない。お互いドリブルし放題でスルーパスも通し放題、それに相手が体をぶつけて止めにきてる。それは織部の得意分野だから。オランダは流れのなかでシュートを撃たれるならセットプレーでしっかり守ろうって意図だね」
「な、なるほど」
「でも織部もいいキック持ってるんだよ……」
11秒後、セットされたボールから有村が離れると同時に織部が蹴る(短い助走だったこともありオランダの選手の3人が足を止めてしまったが)、
その鋭く速いクロスボールは、ゴール前近いサイドを固めるホフマンの頭で押し戻された。
ここから、
『キャンセル』
転がったボールを有村がキープ(背後を織部が走っている)。
有村がゴールを見た。ミドルシュート?
いや右斜め後方の織部だ!
ドリブルから再び右足をふりきる。豪速。
だが飛びだしたDF2人が角度を10度以下に限定している。
その延長線上にはすでに身をかがめたGKが。あの好守の代名詞が。
決まらない。だからシュートコース上に立っていた日本の10番は、エースは、倉木一次はシュートをキャンセル。
左足のトラップでシュートの威力を抹消し、フィールドプレイヤー2人の間に右足でパス。GKの前に超ゆっくりしたボール。重心を下げきったGKは眼の前キャッチできない。
オフサイドラインを見てから走り始めた逢瀬、真横からボールをかっさらいゴールに流しこんだ。
……珍しい組み合わせだ。逢瀬と織部、それに倉木が走って肩を組みこちらのベンチにやってきた。
倉木が両腕でベンチを煽る、織部が倉木の肩を叩く、逢瀬が、
キャプテンが吠えている。「どうだ!」
「やるな」
「ああ俺はやれるんだ。またふりだしに戻してやった。あと10分か?」
「ああそうだよ」
「PK戦なんていらない。もう1点獲って勝つんだよ!」
ベンチの選手たちが湧きかえる。そうしているうちに冷静になり、出場不出場問わず選手たちは言葉を交わしあい、再開後に発生する事象に対処しようとしている。
オランダ語で大声を出しているのはヨハンだ。内容は不明だが彼がチームを仕切っているこてゃ確かなようだ。監督よりも口数が多い。近衛がハーフタイムにもらしていたことを思い出す。『オランダ17番、ヨハンはこの試合で引退するらしい』と。