犯意
……再び倉木家のダイニングルーム。
3週間ぶりの帰宅直後、着替えをして夕食を摂りながら2人でカーテンの閉めきられた部屋で決勝戦を見直している。俺の左横に栞が座る。彼女のほうがテレビに近い。
テーブルに突っ伏していた俺の背中に栞が触れた。モニターを見たらオランダの10番、ライカのミドルシュートを逢瀬がブロックしていた。
「……ここまでは完全に俺たちのゲームだったんだ」
「このコーナーキックから……」
カメラがゴール裏からマルコーニの姿を映す。手を叩きゴール前の味方に声をかけていた。ニアサイドの逢瀬が腕を伸ばしオランダ選手のマークを指示する。
「カメラには映っていなかったけど、このときヨハンはボールを下に落とし蹴って運び始めた。これもあのプレーのための仕込みのうちだ。1度後ろをむいて味方にむかって何か叫んでいた。あのプレーを狙うことを伝えてたんだろ」
ヨハンがフラッグポストのすぐそばに立つ副審に話しかけている。眉がつきでたように高い顔。感情の読めなさは異常なほどだ。
俺はペナルティエリアの角に立ち、コーナーアークに近づいていく5番、ルッテを警戒していた。ショートコーナーを使ってくると思ったからだ。
「副審にむかって話してるのはインプレーになることを伝えていたからなんだ。気づいても良かった。コーナーに1番近かったのは俺なんだから、1番責任があるのは俺だ」
「……私はそう思わないけど」栞は不満そうに言った。
俺はビデオを一時停止させる。「前半見せたようにアウトフロントキックを使って、今度は入ってくるボールを蹴るのかと思った。確か……前に残ってたのは志賀1人、日本は10人で守ってた。オランダは遠いサイドに選手を集めていた。空けておいたニアに誰かが飛びこんでくることは予想できた。逢瀬がそこに立って守っている」
「選手交代が認められなかったって……」
「そう。こういうセットプレーを警戒して古谷が鮎川と交代することになったけど認められなかった。ヨハンの再開が早かったからだ、そんなに珍しいことじゃない……そもそもCKからゴールなんて珍しい。たとえ世界一のキッカーが蹴ってもそう変わるもんじゃない。準決勝でも先制されたけどそんなに怖いとは思ってなかった」
俺はスロー再生ボタンを押す。
日本はゾーンとマンマークを混ぜた守りだ。ヨハンがボールを蹴る直前、遠いサイドのオランダ選手4人が走りだすことはわかっている。
と、ボールをセットしたヨハンがゴールにむかって歩きだした。キッカー交代。ルッテを呼びボールを蹴らせるつもりだ。
ヨハンがターゲットになるほうが怖いかもしれない。奴の身体操作能力ならどんな蹴り方、体の向きからでもゴールを決めかねない。
ルッテがヨハンとすれ違う。
ヨハンはゴールラインに沿って日本ゴールに近づく。ショートコーナーを警戒し俺が近づいていく。3人目の選手はいないことはわかっている。俺はヨハンから眼を離さない。
ヨハンはまだゴールラインに沿って歩いている。シュートを狙うにしては角度が狭すぎる。……逢瀬の前に立ちスクリーンをかけるつもりか? そのことを前をむいたままキャプテンに伝えていたことを思い出す。
「この時点で何かトリックプレーを使ってくることはわかっていた。それが何かはわからない。俺がマークするヨハンを使うとは思えなかった」
「コーナーから離れてたから?」
「そう。で……」
メインスタンドからの見下ろす位置のカメラに代わった。俺とヨハンが並び、そのすぐ横にドリブルを開始したルッテの姿がある。
「どうしてこの選手はドリブルを始めてるの? セットプレーのときは蹴った人がドリブルしちゃいけないんでしょ?」
「そうだよ。パスかシュートしかできない。他の誰かがボールに触らないと駄目だ。連続してボールにタッチしちゃ駄目。ヨハンは既にCKを蹴っていた」
あとでベンチの選手が教えてくれた。わずかに10センチほどコーナーアークからボールを外に蹴り出していたそうだ。ベンチからの指摘は試合中は声援にかき消され聞き取ることができなかった。
……だからルッテはドリブルをしかけられる。ルッテのプレーは正当だ。
虚を突かれた俺をかわしゴールへ近づく。
まだ日本選手は気づいていない。何かの間違いだと思っている。
ペナルティエリアぎりぎり外からルッテが左足でいれてくる。
「反射神経の問題だ。ゴールに近ければちかいほど守る側に残された時間は少ない。それに俺たちは2人を除いて試合が再開したことに気づいていなかった。ルッテの周りにオランダ選手がいない以上、ルッテがまともにCKを蹴ってくると予想していたから……」
マルコーニすら棒立ちになっている。動けるのはオランダ選手だけ。ルッテはゴールエリアのヘーシンクに頭の高さのボール。
日本の4番がヘーシンクを追いかけている。
ヘディングシュートを撃つ寸前、ヘーシンクが両腕を上げながら倒れる。ボールはセンターバックの目の前を通過。近衛が両手を上げ触れてはいないとアピールした、しかし審判は笛を鳴らしペナルティマークを指さす。
俺は不機嫌な顔をしているだろう。ビデオで主審を睨めつける俺の表情に似ている。
「トリックプレー自体はクールだった。この大事な場面であんな選択をするだなんてよほど度胸がある。ヨハンもルッテもヘーシンクもミスがなかった。俺たちに気づかれない演技力があった。だが近衛は気づいていた。ヘーシンクの肩に手を回していたが倒れるほどの接触じゃなかった。大槌が気づいてファーサイドのシュートコースを消していたことに気づき、シュートを諦めダイヴすることを選んだ」
再生スピードをもとに戻す。主審を日本人選手が囲む。70分近く守ってきたリードをこんな形で帳消しにされる? だが覆らない。主審を睨みつけた逢瀬にイエローカードが提示される。近衛が肩をつかみ引きはがした。そして振り返りマルコーニに何か話している。
「……なんて話してるの? この人は」
「『やれるだろう』って。PKストップを……」
ボールはヨハンがつかんだ。