赤
更新は不定期気紛れ、書けるときに書ける分しか書きませんのでご了承ください。
また、現実のいかなる国家、団体、地名、人物、出来事と関係はありません。
一応残酷描写ありにはしていますが、それほど過激にはならないと思います。
また、誤字脱字があれば遠慮なくお知らせください。
その国の王は、赤い瞳をしていた。
王妃も、王子も、王女も、王弟も、王妹も、その子供たちも、皆赤い瞳をしていた。
それは、千年純血を守った証だとされていた。
神の末席に連なるその血統を。
赤い瞳が、何故その純血の証拠たりえるのか?
そんなひねくれた問いかけを誰もしようとはしなかった。誰にとっても意味の無い問いかけだった。
だが、彼の右目は赤だった。
鮮血を溶かして固めた硝子のように。
白い頂へ降りてゆく夕陽を切り抜いたように。
彼の右目は、あまりにも鮮やかな赤だった。
勿論彼は王族などではなく、それどころかこの国の誰の血も引いてはいなかった。彼の先祖は遠い西の国の農民で、それは両親まで変わらなかった。
「お前の両親は、お前は別に変わった子供ではないと言っていたよ」
と、老人は言う。
「少し色の薄い子が生まれるのは、珍しいことではないんだと。大きくなれば色が付くこともあるんだとな。お前の祖国の医者が言ったそうな」
「何でそんなことが分かるんだ?目の赤い子供なんて見たことがないぞ」
「その国では、進んでいるのさ、色々と。それに、赤じゃなくても言えるさ。人によって、色の濃い薄いはあるだろう」
「じゃあ赤って何だよ。いくらなんでも変わり過ぎだろうが」
「色が付いてないのさ。血の色がそのまま出てるんだ」
「目にも血が流れているのか」
「そうさ。体中に血は流れているんだ」
こんなやり取りをしたのは、随分前だった。彼が十三、四の時、「自分の目はおかしいのか」と聞いた時だった。
「決して誰にも右目を見せてはいけないよ」
昔両親が死んだその時から、老人は口を酸っぱくして言った。
「でないと、お前と俺を、警吏が捕らえに来るぞ」
そして口癖を付け加えた。
「この国は、ずっと、狂っているんだ」
彼の周囲の人々は、貧しく、時に柄が悪かったが、決して悪人ではなかった。皆親切で、捨て子をも分け隔てなく接した。幼い彼の左目には、誰も狂っているようには見えなかった。
ある日の午後、人々が騒がしく何かを噂していた時があった。
「どうしたの?」
と。大人たちの一人に彼は無邪気に聞いた。
「処刑があるんだよ」
と、年嵩の女が答えた。遊び仲間の母親だった。
「王さまの血を汚したんだって」
「それで、今見に行こうとしてたんだよ」
「あんたたちも見に来るかい?」
「あたしたちと一緒なら、あんたのじいさんも何にも言わないよ」
彼は隣を見た。
「行こうぜ、フィー」
と、ガイランが言うので、彼も頷いた。まだ彼もガイランも、「処刑」という言葉を知らなかった。女たち、つまり遊び仲間の母親たちが連れて行ってくれるのは、王宮前広場だと言うので、彼も、そして恐らくガイランも、何か新しい見世物が演るのだと思い込んだ。
広場には人だかり。女たちは子供二人の手を引いて、間をすり抜け人を押し退けて、どんどんその中心へと向かってゆく。
「ああ、ここでいい。よく見えるよ」
子供たちがもみくちゃになった頃、女たちは満足したように止まる。
「どうだい、ここならよく見えるだろう」
最前列に子供を押し出して、満足げだ。
彼は密かに首を傾げた。広場には、仕掛けでいっぱいの舞台も無ければ、動物たちが蠢く檻も、色とりどりの衣装で着飾った役者たちもいない。
ただ、真ん中が凹んだ台が一つ、置いてある。
それを睨み付ける、広場を囲む武官たち。ぎらりと反射が目を射たのでよく見ると、一人、大きな斧を持っている。
ざわざわと楽しそうな群衆の中心で、切り取られたように重苦しい空間。
隣を見ると、ガイランが怪訝そうな顔をしている。自分もこんな顔をしているのだろう。
突然、武官たちが大声を出して、二人してびくりと身を震わせる。
「静まれ、静まれ」
静寂の波が、内から外へと。彼は小さく息を呑む。
波が伝わり切った時、じゃらり、と王宮から未知の音。
同時に、静寂の中、人々が、憎悪と嫌悪を溢れさせて、子供二人で、戸惑いと恐怖に身を縮こませる。
じゃらり、じゃらり。
音が大きくなって、ついにその発信源が姿を現す。
女だ。それも若い女。背に黒々と波打つ髪ごと鎖で縛られて曳かれている。
この音は、足にも付いた鎖が、石畳を擦る音。
あの奇妙な台の前で、音は止まる。
女を曳いていた武官が、女を跪かせる。
その前に、武官がもう一人、進み出て大仰な仕草で羊皮紙を広げた。
「罪人アイレーン。この者は妃の身でありながら、下賤と密通し王の血統を汚した。ここに斬首刑を執行する」
言い終わらぬ内に、がばりと上がる女の頭。直後、広場を胸の切り裂かれるような叫びが響き渡った。
「無実でございます!わたくしは陛下以外の誰にも、決してこの身を許したことはございませぬ!神に誓って!」
その瞬間。群衆の憎悪が、形を持った。
「この期に及んでまだ言うか、この売女!!」
「お前の生んだ赤ん坊の目は黒だったのだろう!!」
「汚ならしい女め!!」
「神まで穢したな!!」
「とっとと死ね!!」
四方八方から女に浴びせられる激しい罵倒。石を投げる者さえいる。
悪意の渦の中で、彼の身体はいつの間にか、震えていた。
恐ろしくてたまらない。なのに、目が、離せない。
女の頭は下がらない。その頭がゆっくりと回る。
その赤い両目が、群衆を見つめてゆく。
彼らをも。
嗚呼、何と悲痛な瞳!哀しみと絶望が満たす、何と冥く美しい落日の赤!
女の赤い視線が、彼らの所で、少し留まったように見えたのは、気のせいか。
間もなく女の身体を、武官たちが台の上に抑えつける。女はもう、動かない。
群衆はまだ、女を罵っている。
斧を持つ武官が進み出た。そして、振り上げた。
陽光を、ぎらりと、生々しく、刃が反射する。
降り下ろした。
台から鮮血が吹き出て武官たちを汚し、迷子になった物体が石畳に落ちた時、群衆は、水を打ったように静まり返って、そして、
歓声を挙げた。
「王様万歳!王様万歳!」
何だ、これは。
今、楽しいことが、嬉しいことが、あったか。
気がつくと、家の近所の溝に、ガイランと一緒に吐いていた。どうやってここまで帰って来たのか分からない。連れて行ってくれた女たちを放って来てしまったことに気づいたが、今は顔を合わせたく無かった。
「お前のじいさんの所に行こう」
ガイランは言った。彼は、頷いた。
老人はいつも通り家にいて、顔面蒼白の二人に黙って水差しを寄越した。
「連れて行かれたんだってな。聞いたぞ。全部、見たんだな」
水差しが空になった時、老人は静かに切り出した。
「なあ、何で皆あんなに嬉しそうなんだ」
ガイランが、聞いたこともない泣きそうな声で問うた。
「人が死んでるんだぞ。悪いことなんかしてないって言ってる人が」
彼も参戦した。
「あの女の人が可哀想だ。何であんな酷いことをするんだ」
ここまで言って、もう堪え切れなかった。せりあがった涙がぼろぼろ溢れた。
「言ったろう、この国は、可笑しいのさ。狂っているんだよ。」
暗く、老人は告げた。
「なんで」
「なんで」
二人は金切り声を上げる。
「勉強しろ」
老人は静かに答えた。
「俺も教えてやるが、それよりもまず、本を読め。文字は教えてやるから。ここには、歴史の本も、神話の本もある。読んで、考えてみろ」
そして、二人まとめて、その枯れ枝のような腕で抱き締めた。
「よく我慢した、辛かったな、怖かったな…」
そして、いつものように。
「このことは、決して誰にも言ってはいけない。明日おばさんたちに会ったら、昨日は勝手に帰ってごめんなさいと謝るんだぞ。ちゃんと笑顔でな」
彼はこの時、十歳だった。